File.03 / 1975.春 『サンスイ・ポピュラー・ジャンボリー』

サンハウスを2回目に観たのは、「サンスイ・ポピュラー・ジャンボリー・九州大会」におけるゲスト出演だった。デビューシングル「地獄へドライブ」を出した後だったので、1975年春頃だったと思う。

音響メーカーの「山水」が主催するアマチュアバンドのコンテストが福岡市中央区渡辺通にある電気ビルのホールで行われ、数バンドの演奏が終わり、司会の「お待たせしました。きょうのゲスト「サンハウス」の登場です。大きな拍手でお迎えください」というアナウンスと同時にステージの幕が上がったが、実際、物凄い歓声と拍手が挙がった。「サンハウスってこんなに人気があるのか〜」って思った。菊はまぶたの上に緑っぽい化粧をしていた。

司会「演奏に入る前にインタビューしましょう。最近は福岡で人気が出るとすぐ東京に行っちゃおうっというグループが多いんですが、サンハウスは地元で頑張ろうってなわけでね。どうですか、最近はステージなんかするといっぱい入りますか?」

菊「まあまあですね」

司会「今度LPが出るんですね(観客席から拍手)。これはいつですか?」

菊「6月の25日です。」

司会「これはどうゆう曲が入っていますか?」

菊「だいたいふだんやりよ〜曲(博多弁で答える)」

司会「そういう曲。地元で頑張るサンハウス。それではサンハウス、最初の曲、ミルク飲み人形!」

当時は、チューリップや海援隊が絶大な人気があって、すぐに東京に行ったのに対して、サンハウスはあくまでも博多に拠点を置いた活動にこだわっていたわけです。

鮎川のソリッドなギターで始まった「ミルク飲み人形」他6〜7曲、30分程度のステージだったと思う。この電気ホールは座席に座って観るホールだけど、「夢見るボロ人形」が始まった時、近くに座っていた女の人が通路に立ち上がり、踊りだした。気がつくとあちこちで、何人もの人が踊っていた。自分はまだ、高校1年で、踊るなんて恥ずかしく、観ているだけだったけど、サンハウスのライブでは、「みんな踊るんだなぁ〜」というのがわかった。

LP「有頂天」が出る前でもあったし、まだ、曲もほとんど知らなかったので、この日のライブを観て、衝撃を受けたということではなかったけど、あとで放送されたラジオ放送のテープを聴いて観ると、「夢見るボロ人形」なんか実にシャープでスリリングな演奏で、踊る人の気持ちがなんとなくわかった。衝撃を受けることとなるライブは3回目に観た時に訪れる...(続く)。

文:なまず
参考:Captain YAMPO 著 『菊の花道』
<敬称略、文責:hakata-rock.net編集部>