File.08 / 1976.12 『ハロー・サンハウス』

76年12月に福岡市民会館で行われた「ハロー・サンハウス」と銘打ったコンサートは、5人メンバーでの最後のライブとなった(私にとって8回目のライブだった。)

始まる前に誰かがステージの脇に出てきて「これから始まるサンハウス・ショーは3時間に渡るので楽しんでください」とアナウンスした。あとでわかったが、この人はパワーハウスのオーナーである田原裕介氏だった。

この日は、ステージの真ん中部分が客席までせり出して、菊が前方まで出て来れるステージセットだった。

オープニングはこれまでとは違って「アイ・ラブ・ユー」だった。以下「キザな奴」「カラカラ」「魅惑の宵」と聞いたことがない曲が続いた。後に、ストリート・ノイズに収録された曲だ。観客も知らない曲が続いたので、座って聴いている人が多かった。

続いて「フォー・ユア・ラブ」「ステッピン・ストーン」「朝日のない街」「ハロー・アイ・ラブ・ユー」「ハヴァナ・アフェア」とカバー曲がたくさん演奏された。ヤードバーズのカバーである「フォー・ユア・ラブ」は鮎川が「フォー・ユア・ラブ」ってコーラスするのがとてもよかった。

休憩をはさんで、演奏されたのがなんと「仁輪加」だった。暗い場内に篠山と鮎川二人だけにスポットライトが当たり、実に絶妙なギターのかけあいだった。

「仁輪加」が終わりかけたところで、おもむろに菊が登場してきて、さて「雨」が始まるか...と思ったら「地獄へドライブ」が始まった(あちゃ、不意打ちをくらった!)これまでおとなしく座っていた観客達は一斉に立ち上がり、ステージ前へと押し寄せた。

そして、「爆弾」「傷あとのブルース」「借家のブルース」「スーツケース・ブルース」「夜は恋人」「なまずの唄」「悲しき恋の赤信号」「キングスネーク・ブルース」「ハートに火をつけて」...と新旧、カバーも織り交ぜながら円熟味を増した演奏が繰り広げられた。

サンハウスのライブの中では「能古島(エルモーション)」が最高だと言われることがあるが、自分が観た中ではこの日のライブは最高に素晴らしいものだった。

今回の再結成ツアーでは、どんな曲が演奏されるのか興味しんしんだが、「仁輪加」もやってもらいたいものだ。

サンハウスは、チューリップや甲斐バンドが出演していた「照和」とは全く無縁で、女の子にキャーキャー言われていたバンドではなくて、不良的、こわもて的なバンドだった。イギリスに優等生の「ビートルズ」に対して不良的な「ローリング・ストーンズ」がいたように...。

(続く)
文:なまず
参考:Captain YAMPO 著 『菊の花道』
<敬称略、文責:hakata-rock.net編集部>