File.11 / 1977 『大濠ボウル&電気ホール』
|
サンハウスの11回目のライブは、福岡市中央区の大濠ボウルというボウリング場で観た(ような記憶がある)。今はもうなくなっているけど、そのボウリング場の3Fか4Fかに特設ステージが作ってあったと思う。
この日は、いくつかバンドが出て、トリのサンハウスの前が「紫」(沖縄のハード・ロックバンド)でかなり盛り上がっていた。「紫」が終わったら、どっと人が減っていってサンハウスの時はお客さんが少なくなったので、ちょっと寂しい気がした。フロアの床に体操座りするような形で待っていた。ステージは、そのフロアとあまり段差がない高さにあったので、至近距離からライブを観ることができた。
この日のセットリストは、ほとんど覚えていないけど、新曲を何曲かしたような気がする。「おまえが欲しい」とか...。
続いて12回目のライブは、福岡市中央区渡辺通の電気ホールで観た。この日は逆にトリが「紫」で、サンハウスが先だった。「紫」用のドラムセットは後方の高い位置にセットしてあったので、鬼平のドラムセットは、その前の低い位置にセットしてあった。
オープニングは、「アイ・ラブ・ユー」。あちゃ〜。菊の髪が短くなっていた。金髪には違いないが...。服は上下とも金色っぽい色。そうそうドライブのジャケットに写っている写真がこの日の服装(THE CLASSICSの表紙から数えて4ページめに載っている写真もそう)だったと思う。
「ワン・ツー・スリー・フォー」の菊の声に続いて「きざな奴」。ラモーンズみたいな烈しいビートが炸裂した。そして、「カラカラ」「もしも」「夜は恋人」が続いた。
「はい、どうも...ミルクのみ人形」と菊が紹介すると歓声が挙がり、怒涛の演奏が始まった。4人編成になって、鬼平のハイファット(シンバル?)の効かせ方が荒くなり、奈良のベースもその音がよく聞こえるようになった。やはり、音の薄さをカバーしようとしていたのだろう。
「恋の赤信号」「爆弾」「地獄へドライブ」「ロックン・ロールの真っ中」が続いた。
そして「レモンティ」。きょうのイントロはドラムからではなく、鮎川の「ジャジャジャーン、ジャジャジャーン」のギターリフから始まった。「はい、では、最後の曲です」で「もうがまんできない」が始まり、あっいう間にサンハウスの演奏が終了した。
菊の「はい、どうも、ありがとうございました。」で終了(アンコールの声は、ぱらぱらあったが、アンコールはなかった。)
これで、私が観た現役時代のサンハウスのライブ観戦記は終わりです。解散後のサンハウスを再び観たのは1982.12.31の新宿ロフト(菊、鮎川、浅田、川島+花田)になります。その時の様子は、またいつかUPします。
|
|
文:なまず
参考:Captain YAMPO 著 『菊の花道』
<敬称略、文責:hakata-rock.net編集部>
|
 |
|