SONHOUSE
Live at 1983.08.07 福岡小戸公園"Super Live '83"
(写真提供:JUNさん)

ステージ(3) 青い帽子を被ったマコちゃんが確認できる 
ステージ(4) 激しかった雨対策のため機材にはビニールシートが 

Rockを聴き始めたのが中学生の終わり頃、日本のRockはRCで目覚める高校1年の半ばまで聴いていなかった俺は、解散前のサンハウスを見れなかった。
俺がアリスでハンド・イン・ハンド(笑)していた頃に解散したサンハウスを、先輩達の話を聴いては羨ましがるしかなかった追体験世代だった。
ビートルズがいくら好きでも、日本に来日公演した時に"生"を観た者とそうでない者の間には絶対的な埋め得ない差がある。俺にとってのサンハウスのステージは、そういう永遠のあこがれ、のハズだった。


ダラダラとイヤな雨の降る1983年の梅雨の最中、FMを聴きながら受験勉強にいそしんでいた大学浪人中の俺の耳に、そのCMは突然飛び込んできた。
「サザン・オールスターズ、サード・ワールド、そしてサンハウス…Super Live '83!」
我が耳を疑った。決して自分から進んでやっている訳ではない受験勉強とジメジメした気候のせいで幻聴が聞こえたんじゃないかと思った。
「…サ、サンハウス!?そんな馬鹿な。俺の聞き間違いだろう」
疑り深くて陰気な浪人生だった俺は我が耳すら信じなかった。
数十分後、FMで再び同じCMが流れた。もう間違いない。
俺は
「ヒャッホーッ!!」
と奇声を上げてベッドの上を飛び回った。あんなに気持ちのボルテージが急激に上がって興奮したことは初めてだった。


電話をかけまくって無事チケットをGETし、心待ちにしていたその日を迎えた。
博多の姪浜に近い小戸公園に設けられたステージに、従兄弟の兄貴の友人達に混ぜてもらって一緒に出かけた。
皆やたらと気合いの入った格好をして出かけたことを覚えている。
従兄弟の兄貴の先輩は頭をグリースで固め、当時流行のBLACK風のファッションで統一していた。コカ・コーラ勤務で鍛え上げた細身の身体に、黒いパンツが良く似合っていた。
従兄弟の兄貴は格好こそ大学生らしいエセ好青年(笑)だったが、頭髪に気合を集中したのか、金!のヘアスプレーを丸ごと一本潰して頭を即席で染めていた。
「どうね陽君、気合入っとるやろう!?」
と自慢げに俺に言ったが、俺から見れば「爆裂都市」の上田馬之助の頭にしか見えなかった(笑)
俺はと言えば、一浪中の身で親の手前自粛気味だったが、この日ばかりは!と久々に頭をツンツンに立て、兄貴に負けじと緑のヘアスプレーを前髪を中心に振りかけ、豹柄のシャツに革パンツ、というあまりお近づきになりたくない輩の出で立ちだった。
こんな連中が連れ立って、従兄弟の兄貴が一人暮らしをしていた家を出ていって会場まで向かって行った。
当然、街中で目立つ。というより、完璧に浮いている。
が、会場ではそんな奴等もチラホラいた。そんな奴等に紛れて俺達一行も目立たない集団になった。
それでも普通の格好の連中が圧倒的に多い。それも当たり前だ。俺の頭の中にはサンハウスしかないが、この会場の大多数はサザンやサード・ワールドを観に来ている一般的なポップス・ファン(敢えてロック・ファンとは言わない)だったろうから。


楽しみにして待ちに待ったこの日、正直当日の一週間ほど前からは受験勉強さえ浮かれて手に付かなかった。
そんな大切な日は思い切りの土砂降り雨の日だった。
会場に着く頃まではパラパラ程度の雨模様だったのが、開始前になって足下の芝の泥が雨足で跳ね上がって来る位の凄まじい勢いの雨だった。
「傘なんぞイラン!」などと豪語して出かけた俺は見事に濡れ鼠で、頭に付けたヘアスプレーが雨で流れて顔に伝い落ちてきて、目にしみてやたらと痛かった。
(それでも髪型は崩れずにPUNK CUTを保っていた。サスガにハードタイプのヘアスプレー丸ごと一本を短い髪に費やしただけの事はある)
開き直ってずぶ濡れのまま俺達は会場中を徘徊し、「こりゃあきっと何かが起こるステージになるぜ!」などと話し合った。
景気付けに皆と一緒にビールを買ったが、まだ未成年で酒も弱かった俺はほとんど飲めずに、あとでコッソリと捨ててファンタを買った。
雨に濡れて冷えた身体をアルコールで暖めることすら出来ずに、ファンタを飲むヤセッっぽちのPUNKS。
「俺、酒飲めねぇから」と言えなかった所が思いっきり背伸びした餓鬼だ。
この日の雨で、俺が持って行ったカメラは一枚も貴重な写真を残すことなく、おシャカにになった。


この日のTOPバッターはKODOMO BAND
多分、このバンドを目当てに来たファンは会場内の何十分の一でしかなかったろうが、そんなことはまったくお構いなしといった感じでハードロックをはでにぶっ放し、5〜6曲ほど演奏してステージを後にした。
(先日10/15、DRUM LOGOSでのシナロケのLiveに前座で出てたMellow Yellowの姿勢に、この日のKODOMO BANDと同じ思い切りの良さを感じた)
雑誌で見ていたのと同じ姿で、ミニアンプを被ったヘルメットの上に取り付けた姿でうじきつよしは"Jumping Jack Flash〜Satisfaction"のメドレーを唄っていた。
文句なしにカッコ良かった。お目当て以外のバンドはやたら退屈そうにしている、「Rockなんか分かっちゃイナイ」サザンやサード・ワールドのファンなんかクソ喰らえだと思った。
なぜかやたらこの日はサザンやサード・ワールドのファンに敵対心を持っていた。今考えると馬鹿な話だ。俺は俺なりにRockを楽しめばそれで良くて、他人がどうあろうとまったく何の関係もないはずだ。でもあの頃はこの怒りこそが、ダウナーで自堕落になりがちの浪人生の俺には必要だった。


サンハウスは2番手で登場した。
メンバーがステージに登場するまで、待ち焦がれていたこのバンドを遂に見れるという思いと、もっと楽しみは取っておきたかったなんていう複雑な気持ちが交差した。
ステージが始まった瞬間、興奮した頭の中はそんな気持ちも光速でふっ飛んで行った。
夢中で人波の中に飛び込んで、声を枯らしながらメンバーの名前を叫び続けた。
この日の演奏自体は、あまりに興奮しすぎて正直、詳細は憶えていない。
ただ、後になってこの時期のサンハウスの他の3回のステージ(仙台のRock'n'Roll Olympic、渋谷LIVE INN、日々谷野音)の音を聴く機会があったが、この日のステージは素晴らしかったとだけは断言できる。たとえ、それが自分が実際に体験したからという極めて主観的感情に基づくものであったとしても。
もっとも、きっと他の会場を体験した人も、自分が体験したLiveこそ最高だったというだろうと思う。それはサンハウスが生粋のLiveバンドである限り、当然のことだ。
演奏曲も"キングスネーク・ブルース""地獄へドライブ"以外は何をやったか記憶にない。7〜8曲で終わったような気もするし、10曲以上やったような気もする。
俺の記憶の中に今でもはっきりあるのはあの時の情景と空気。
折からの豪雨もやっと止んで、夕暮れが近づいてきた時間の少し暗めの天気。
その天気の中、会場が野外のために雨対策にあちこちにビニールシートが張ってあるままのPA機材。
観客を指さし、睨み付け、ステージに涅槃像のように寝ころび、モニターに腰掛け、騒ぐ観客に「…五月蠅い!」と毒づき、激しく腰を振るキクの動きの一つ一つ。
シナロケの時の陽気なマコちゃんからは想像もつかない、一言も口を利かずに張りつめた雰囲気に終始しながらギターを弾くマコちゃんの姿。
あの時の雰囲気がハッキリと思い出せる限り、あの日のLiveは俺にとって永遠だ。
そして、メンバー構成から考えても今後もきっと聴けることが困難なステージだったろう。
当時、既に俳優に転身していた浦田賢一のドラムは、鬼平のタメのあるドラムとはまた異なる、変幻自在のリズムを刻んでいた。


サンハウスのステージが始まると共に、観客がステージ前に殺到した…サンハウス目当ての客だけが。
この日の会場の雰囲気自体は、Rockコンサートと言うよりはフォーク集会のようなのんびりしたノリで、観客の大半は雨でびしょ濡れになった芝の上に手持ちのカッパやビニールを敷き、のんびり飯でもつまみながら音楽を楽しむような感じだった。
KODOMO BANDの時は立って見ている人間すらほとんどいなかったと思う。
それがサンハウスが登場すると当時に、熱心なファンが一斉に前に出て立って騒ぎ出した。
結構数はいたと思うが、それでも広い野外会場の全体から見ると少数派だった。
中央付近に陣取ろうとしながら激烈な人波に押されて立っている連中の最後尾にいた俺は、サンハウスの曲に合わせて騒いでいると、後ろの多数の女性集団(多分サザンのファンクラブかなんかがツルんでいたんだろう)から、
「立つなよ〜!」「前が見えねーよー!」「どけよー!」
と、猛烈な避難を浴びた。
俺は振り向きざま
「やかましい!観たいならお前らも立て!このブス!!」(最後の一言が思いっきり余計だ)
と言い返すと、後はそんな奴等相手にする時間がもったいなくて、お構いなしに前を向いて騒いでいた。
そのうち、ふくらはぎ辺りに何かグチャッとした妙なモノがぶつかる感覚を覚えて、後ろを振り向いた。
…シカトを決め込んだ俺目がけて、ブス呼ばわりされた奴等が食べていたオニギリを投げ続けていたのだった。
サスガに唖然としたが、やはりその瞬間がもったいなくて、俺はまた無視して騒ぎ続けた。


結局、サンハウスのステージは30分程度で終了し、騒ぎすぎて燃え尽きた俺達一行はちょっと下がって濡れた芝にへたり込んだ。
元々雨で身体中ずぶ濡れだった上に、汗まみれで服もグチャグチャ、おまけにズボンのあちこちにはオニギリの飯粒弾の後が残っていてヒドイ有様だった。
間もなくサザンのステージが始まって、先ほどのオニギリ女の集団は嬌声を上げながらステージ前へ走って行った。
「…お前らは立ってもいいのかよ?…」
文句を浴びせる気力もなく、投げつけるオニギリも手元になく、俺達は終わった虚脱感でぼけ〜っとしながらサザンのステージを観ていた。
当時凄い人気(今でも人気があるのだから、そういう意味ではスゴイバンドだと思う)のサザン・オールスターズのステージは、既にサンハウスの毒に脳天を叩き割られた俺に何の感慨も与えてくれなかった。
これだけ人気のあるバンドの良さがまったく分からないんだから、一生俺には流行の歌謡曲なんて接点がないだろうと思った。
(この予感はあれから17年経った今でも当たっている)


俺には何の感慨もなくサザンのステージが終わり、トリのサード・ワールドの頃には夕闇が野外の会場を包みだして、いつのまにかステージ脇には何カ所も演出で松明に火が灯されていた。夕闇迫る港に炎が灯る…何てレゲエチックな雰囲気!
この時間を見計らっての演出だろうが、ステージに金のかけ方がバンドによってモロに差が有りすぎ。少し腹立たしかった。
どうせこのメンツなら最後のセッション大会なんかあり得ないだろう、とサード・ワールドの演奏終了を待たずに俺達一行は会場を後にした。
とにかく疲れて腹が減っていた。近くの安そうな大衆食堂に入ってもの凄い量の注文をした。
濡れネズミのヘンな格好の集団がいきなり入ってきてロクにモノも言わずにとにかく飯をむさぼり喰う…店の人間も面食らったことだろう。
実際、俺達はほとんど喋れなかった。
「…終わったな」「…終わったねぇ」
時折誰となく思い出したようにそう言う程度で、Liveの感想を話し合うでもなく、俺達はただただ空腹を満たす行為に集中した。
唯一、この集団の中で解散前のサンハウスを観た経験のない俺は、黙って飯を喰い続ける従兄弟の兄貴達に向かって怖ず怖ずと質問してみた。
「…昔のサンハウスと較べてどんなやった?もっとカッコ良かったね?」
「そんなモン、較べられん」「昔も今も全部サンハウス」「Liveしよるとがサンハウスたい」
みんな口々に勝手な答えをした。俺は妙に納得した。そして、Live終了後から虚脱感に支配されていた意識は、空腹が満たされたこともあってか、この時初めて『あ〜、俺もサンハウスを観れたっちゃねぇ!』という満足感を覚えた。


あの時、正直もう今後再びサンハウスを観れることはないだろうと思っていた。
しかし、1998年、サンハウスはまた俺達の前に姿を見せてくれた。
あのCrossing HollでのLiveが始まった瞬間、俺は1983年の小戸で感じた身体中の血が沸き立つ瞬間にまた出会えた。
あれから17年経ってすっかり36歳のオヤジの身体になってしまった俺の中に、まだまだ沸き立つだけのRockの血が残っていることを教えてくれた。
だからこそ、またこれからも血を沸き立たせるLiveをいつか観せてほしい!

(1998.12.1 記、敬称略)

更に深くサンハウスの毒に溺れてみたいなら…
Captain Yampo氏入魂の『キングスネーク伝説』へ!
この頃のLiveの模様は『111. 【Crazy Diamonds復活サンハウス】 83. 6.18 』に詳しいぞ!!



E-mail:you@sunhouse.in