浦田賢一 インタビュー
2005.9.26
(福岡市内某ホテルにて)

「毎日8ステージして、俺とマコちゃんが2ステージくらい歌ってた」
hakata-rock.net編集部 中倉(以下、「中倉」)
昨日はLIVEお疲れさまでした!
今日特にお聞きしたいのは、当然浦田さんのこれからの活動予定っていうか…ファン的にもHAKATA BEAT CLUBが一段落ついて、これからどうして行くんだろうって、楽しみにしてると思うんで。言える範囲で結構ですので教えてください。
浦田賢一(以下、「浦田」)
(ニヤリと笑って)…今からヒドイ事になる。
中倉 え??どうヒドイ事になるんでしょうか?
浦田 ヒドイ事しちゃろう(笑)
中倉 どうヒドイいんでしょうか?
浦田 うーん、何て言うんかいな。俺はもう自分でやりたい事を…例えば、昨日の25日の分でも、サイモン&ガーファンクルやったりとか。
やっぱりね、良い曲は良い曲と思うたっちゃんね。あれしたらいかんめーと思うたばってん。昔から何回も聞いとって、それでこの頃聞いたら、いいねーと思って。
それからボブ・ディラン。それも初めは東京で唄うた時ね。東京で、HAKATA BEAT CLUBした時、ぶわーっちしたけんね。
中倉 ボブ・ディランの中でも一番の代表曲じゃないですもんね。「MY BACK PAGES」っていったら
浦田 うん、俺、サンハウスの時、マコちゃんが歌詞よう覚えとったねーち感動してね。やっぱ10代の時に覚えとった歌詞は忘れん。10代でサンハウス…10代の終わりの頃。
「MY BACK PAGES」とか「MR. TAMBOURINE MAN」「JUST LIKE A WOMEN」「I SHALL BE RELEASED」…それ全部頭入っとうもんね、歌詞が。
ニール・ヤングの曲でも何でも、ストーンズでもビートルズでも。
中倉 それはその頃結構演奏とか回数をこなしてたから…?
浦田 サンハウスの時、ヤングキラーちいう所で出よったけどね。土日は8回か9回しよった。
中倉 一日にですか?
浦田 一日に。普通の日は4回な。12時からすれば2バンド。俺はもうナイトもしたき、一日に13か14回。
そしたら、俺は年間2,000ステージ位しとる(笑)
そいきね、そん中でずっと培ってきとう価値がある。
例えば7ステージ土日したとしたら、8ステージにするちいうたら、柴山さんはもう無理、歌えんわけよ、まるきり(通して)全部は。
中倉 それは体力的に?それとも喉が?
浦田 喉が。2ステージくらい俺とマコちゃんがするわけ。
中倉 じゃ浦田さんが歌われて、鮎川さんが…
浦田 俺とマコちゃんが歌う。俺とマコちゃんがして、柴山さんをぼちぼち横で休ませとる(笑)
まず無理やろ、8ステージ一日歌うちいう事は無理じゃ。
中倉 1ステージ大体何分くらいなんでしょうか?
浦田 1ステージ40分…40分から45分ある。
中倉 そんなにあるんですか!
浦田 あるある(笑)
中倉 例えば40分として40×8=320分。アホみたいに多いじゃないですか(笑)
一日でしょう!?
浦田 そ、一日。俺ひどい時、それが終わって、12時までナイトいって13ステージ位した。そしてその間、掛け持ちしよう時もあった。
中倉 掛け持ち…サンハウスの後、別のバンドってことですか?
浦田 サンハウスの前の時も、その後も。なーんぼしたかいな、3バンドくらいした。
中倉 サンハウスしながら他のバンド掛け持ちの時期ってあったんですか?
浦田 サンハウスの時期はなかったね。サンハウスサンハウス一本。その前はあった。その後もあった。
中倉 それにしても、サンハウス一本でも、一日ね、そんな8ステージもやりよったら…
浦田 結局、柴山さんが全部歌われんわけね。
なんでマコちゃんが「BLOWIN' IN THE WIND」歌うかちいうたら、その時期に覚えとうわけよね。
中倉 なるほどですね。
浦田 その時期に覚えとうビートルズでも、ボブ・ディランでも、何でも…ザ・バンドやら色々しよった。
その時期に柴山さんが体力が持たんけん、俺達が変わりにしよった。そこで自分達が好きな歌、歌いよったって。

「こっちが片手(でドラム)、こっちがキーボードしよったよ」
中倉 浦田さん、(片手でスティックを振る格好をしながら)こうやって叩きながら歌うスタイルって、独特じゃないですか?
浦田 うん、俺クロスマイクで歌うと好かんと(笑)。ワイルド…植田なんとかのこうして…。
ドラムはね、池畑とも話しとうけど、片手で叩いていい所がものすごあるっちゃん。例えばストーンズとか片手でできる。片手の方がカッコイイっちゃん。
中倉 僕はあのスタイルが独特に見えて…ようあれで歌いながら、一曲ドラムを片手で…
浦田 俺まだ凄かったよ。(手が)クロスして、こっちが片手、こっちがキーボードしよったよ(笑)
中倉 それ、やりすぎっすよ(笑)
浦田 今度ハーモニカも吹いてやろうかなと思って…
中倉 キーボードもやられるんですか?
浦田 うん、こっち側でキーボードも(笑)
中倉 是非一度、見せて頂きたいと思います。
浦田さんやき出来るんかもしれんけど、キーボード弾きながらタイコのリズムって可能なんですか?
浦田 こっち側で和音でウァーンウァーン…ジャンジャーン…ダッダーンダンダン…
中倉 これは僕だけじゃなく、相当のファンが見たがってると思うんで、是非一度ステージで見せて頂きたいんですけど(笑)
浦田 ハーモニカやらも簡単やん。フ〜タラフ〜タラ吹いたり吸うたりするだけやん(笑)
中倉 いや、でも…でも叩きながらでしょう?
この曲じゃハーモニカした、この曲じゃタイコしたっていうんならわかるけど、叩きながらでしょ…スゲェ!
浦田 「MY BACK PAGES」やら、ものすご入り組んどう歌詞やない。自由と平等と差別と愛と。それをね、10代の時覚えたっていうのは凄かったと思うよ。
中倉 はい…忘れんものなんですね。
浦田 俺とマコちゃんサンハウスはみんなよ。
俺が言うサンハウスは、俺と浜田とマコちゃんと篠山さんと柴山さん…。これがやっぱ最強のサンハウスやろ。これまでで、この5人が、初めのね。
池畑ルースターズやめとうらしいね。
YAMPO 途中で止めたんです。
浦田 そうやろう。
「一緒ですね」って言ってた。池畑、よう遊びに来るっちゃん俺の家に(笑)
ドラム凝っとうもん。
山口から「池畑さん、ドラム上手くなりましたね」って。
この前、したっちゃんね、俺、HEATWAVEで。ドラム叩いたっちゃんね、あの…
YAMPO ルースターズのトリビュート
中倉 ああ、そうか。やられてますね、一曲。「featuring浦田賢一」って書いてありました。
浦田 初めの方喋りが入っとう…聴いとらんめぇ?
YAMPO まだ聴いとらん。
中倉 俺も聴いとらんです(汗)
浦田 スタジオ入ったったい。浦田さん来んですかって、池畑の横でロールしようだけたい。
で、どうするとや?って、どげなっとうとや、やる場所どうなるとやって…そげな感じて。
アドリブでいきますから…って。で、
「どっから入ると?」
「いや、もう始まってます」
って(笑)
中倉 アハハ(笑)
浦田 それも入っとうって。お前、もう始まってますげな…(笑)
YAMPO もう曲が始まっとんですか?
浦田 (笑)…山口がね、それでいいですかって。いいぜ、お前の好きなごとしていいぜって。声が入っとったと。『どげなっとうとか、池畑!もう始まってまーす!』げな(笑)

「自分が十代ん時良いねって思ったものを、もう一回したかったとよ。」
中倉 いい話だぁ(笑)
HAKATA BEAT CLUBの選曲とか…さっき言われたように、良かもんは良かぜ!っていう基準で?
浦田 俺は自分が十代ん時、良いねって思ったものを、もう一回したかったとよ。
やっぱね、十代の時はスゴイと思うっちゃんね。ビートルズも、ストーンズも、レイ・チャールズも、プレスリーもそうと思うし、宝物やもんね。あの頃は…10代っていうのは。
それをオールディズっていうなら、例えばベートーベンやら、モーツァルトは200年も前。たかだか40〜50年前…30・40年前やろう。俺ロバート・ジョンソンしようかねと思いよった、HAKATA BEAT CLUBで。
中倉 ほほぉ…
浦田 弾ききる人がおらんっちゃんね(笑)
中倉 でも昨日も、HAKATA BEAT CLUBでやった曲もあり、やってないまた違う曲も有りで楽しかったですよ。お、これが来るか、これも来るか…みたいな感じで。
浦田 うん、そうそう。ま、あんまり宣伝もしとらんし、いいと、あれはあれで。
俺は好いとうバンドばっかりやっとうけんね(笑)
中倉 (笑)
浦田 綺麗な(人達)のいっぱいおろうが。ね、YAMPOね(笑)
それが一番良かったぁ。銭金でしよっちゃないき。そういうバンドもいっちょ持っとっていいと思う。どういう自分のあり方でもいいと思う。
例えば「Bridge Over Troubled Water」(明日に架ける橋)歌う俺がいても良いし、うん…花田とする俺がおってもいいし、どういう俺がおってもいいと思うっちゃん。
HAKATA BEAT CLUB森山とする俺がおってもいいし。
俺、昔、甲斐よしひろ長渕剛とか、全部一緒にした。
中倉 へぇ、そうですか!
浦田 海援隊ともしたし、武田鉄矢ともしたしな。
だけん…そう、ま、ギターとかボーカルはあれやけど、ドラムはリズム・マシーンやきな。そのバンドの震源地。ね、リズムっていうか震源地。
はっきり言うて、バンドはドラムで決まる絶対決まるギターがなんぼ、ベースがなんぼというても、絶対ドラムで決まる。ドラムがガーッとドライブしたら、それには勝ちきらん。
例えば、ジャッキー吉川とブルーコメッツ田辺昭知スパイダーズハナ肇とクレイジー・キャッツ。全部ドラムやろ。
中倉 なるほど
浦田 ただね、名ドラマーっていうか…まだ自分でどういう風に叩こうとか、まだまだ先の話やね。
中倉 そうですか?
浦田 まだまだ、自分じゃないと思うし…今年はずっともう、マイルスコルトレーンエルビン・ジョーンズマックス・ローチ…ほとんど聞いたね。
中倉 ジャズ系を…?
浦田 マイルス・デイビス、SONYやき(笑)
26枚くらいか。全部聴いた。結局、なーんもワカランかったあはは(笑)
中倉 そうですか(笑)
浦田 やき、叩きよう。トランペットもやったもん、全部。
聴きよったらつまらん。分からんごとなる。

「今度するバンドは…ギターはおらん」
中倉 昨日のステージ
「来年、HAKATA BEAT CLUBするぜ!」
っていう爆弾発言で、えらい客が盛り上がったんですけど。
浦田 うん、するよ。HAKATA BEAT CLUBもするし、来年はあと2つする。
中倉 何ばするか、今言えますか?
浦田 今もう取りかかって、東京で、音練習しよるとは…言うていいか…多分、1月に出演するっちゃ。12月か1月に。
中倉 本当ですか?すぐじゃないですか!
浦田 そうよ。だからそれが終わって、それの…そのためっちいうわけじゃないけど、それが終わって、どうしょうかって、俺は今からすごく悶え苦しんでる。
中倉 それは東京でやられるんですか?
浦田 オール東京メンバー。
中倉 オール東京メンバー、で…東京でやる?
浦田 東京かどうかわからん。福岡でするかもしれんし。
中倉 福岡中心のバンドじゃなくて、東京のメンバーで東京でやられて…それはライブのプロジェクトとして組まれた?
浦田 初めはレコーディング。SONYレコード。俺SONYやない。
皆インディーズで俺だけSONYでおかしっちゃね(笑)
だけんね、SONYの社長と話したら「おお、やりましょう」ってなってね。
いざっていっても、全然音わからんで、とにかくライブやってみよう。ライブではじけて良くなったら…3年計画。
中倉 3年…
浦田 ひとつのバンドを…サンハウスの時でも、3年かかるったい。絶対3年はかかる。1ヶ月でぱっぱっぱ…とか絶対無理。HAKATA BEAT CLUBみたいな特殊なお祭りみたいなとは別。
中倉 じゃあ今度やられるのは、そんなお祭りみたいなバンドではなくて、カチッとバンドで…
浦田 バンドになるやろか、あれは…バンドやろね。
HAKATA BEAT CLUBは続くわけないし、あれをずーっとして、あのメンバーで17人で回ったら大変な事になる。
いやもうあれで、五線譜で俺ががんじがらめに縛り付けたき、あげんなったと。隙間あいてきたら、あそこにあれ入れろう、次あそこ入れろう…そうやってガタガタ。
あのバンドは誰かがリードで全てがサポートっていうのを徹底していったと。
中倉 そうですね。だから逆に言えば、全ての見せ場がありましたもんね。この人はバックミュージシャンだけとかじゃなくて、出てくる人出てくる人みんなが、見せ場がありましたもんね。で、浦田さんが締めとって、っていうのが見よう側が見えたけん、きちっと座長って。座長的にやっとって…
浦田 きつかったぜ、あの座長は。手の掛かるともおるし、出来のいいとも、出来の悪いともおるし。
中倉 いやいやいや、見る側は楽しかったですよ。
浦田 やるとは地獄よ。すごいよ。ありゃ二日は無理やね。
中倉 いろんなセッションとか見るんですけど、悪い言い方かもしれんけど、なんぼプロがやっても、やっぱりリハが不足なんかなぁとか、打合せがちゃんと出来てないんかなぁとか多いんですよね、いろんなセッション見てて。
HAKATA BEAT CLUBって傍目に見てる分にはそれが無くて、えらいピシッと練り込んどんしゃあなって。
浦田 もう全ポジションに話したもん。これはこうって。「こう思うけど、君たちはどう?」じゃなくて俺はこう思うき、こうせないかん!って言い切る。言い切る力。
中倉 じゃ、方向性がピシャっと浦田さんの考えで決まっとって、皆その方向に全部持って行ったっていう事なんですね。
浦田 全部言い切れる自分がおらんといかん。
「俺こう思うばってん、あんた達どう思う?」
とかじゃなくて。
中倉 ああ、練り込んでいくんじゃなくて…
浦田 今度するバンドは…まあ言ってもいいばってんね。
俺がドラム。
ベースがTOKIETOKIEって言うてね、LOSALIOSとか色々…めっちゃ綺麗よ。有名で。東京じゃ女でナンバー1よ(笑)

ピアノはチカラ(力石理恵)っていうてね、女の子。
テナーサックスはyukarie
トランペットは多田暁
ギターはおらん。
中倉 え?ギターおらん!?
浦田 無し。ギターレス。うるさいエレキ使わん。
中倉 本当ですか?
浦田 この5人。もう4人で音とっとうごとあるっちゃん。
4人でして突き合わしたらノーコードやったらね…コードがないやつ。
ベースの…俺とTOKIEとどれが合うか、東京のスタジオでしたら…yukarieと…多田暁が入って…トランペット。女の方が度胸あるね。色々して…ま、(映画『ウェスト・サイド・ストーリーの』)「TONIHIT」したったい。
中倉 ボーカルも入れないんですか?
浦田 …そっから先は言われん(笑)
中倉 そうですか(笑)
いや、浦田さんがされるのか、別の方がするのか、ないのか…
浦田 見事なカヴァーしちゃる。
カヴァーもすりゃオリジナルもするし…ま、どうなるか分からん。
中倉 じゃ、オリジナルもやる?
浦田 もうジングル&ジャングル!もう全てがわからん。
初めの音が決まっとけば、どうにでも転ぶようなバンド。
ジャズじゃ絶対ないよ。それがBEAT CLUB。
中倉 バンド名が…?
浦田 BEAT CLUB。全てBEAT CLUB。
「HAKATA」が付いたら博多の人間でやる。今からする俺のバンドは全てBEAT CLUB

例えば、モータウン・サウンドがあるように、アトランタにロック・シーンがあるように、日本のSONYにもこういうサウンドがあるよ、っていうサウンドを作りたい。
ブラスやら、まだ増えるかもしれん。だから例えばオーティスのバックになったり、シュープリームスのバック、モータウンのバックになったり…そういうバンドのひとつのあり方を、形を作ろうと思って。
で、まず省くもんはギター。エレキギター。
中倉 なるほど、ギターが常駐じゃないわけですね。
たまにひょっとしたら、曲によっちゃゲストで入るかもしれんけど…
浦田 うん、そのゲストが楽しみという(笑)
そこを絶対に俺は空けときたい。ギターを。
中倉 固定じゃなくてですね。
浦田 ギターは誰でん一杯おる(笑)
あのうるさいギターを、一回取っ払ろうてみようと思ってね。
中倉 じゃサウンドは、ジャズとかロックじゃなくて、"BEAT CLUB SOUND"って事なんですね?
浦田 うん、どうなるかわからん。
だけん、みんな10代に聴きよった頃の音楽…それで決まるったい、10代で聴きよったとで。
はっきり言うて、10代の時自分が馴染んだ音が絶対出てくると。
中倉 ベースって言う事なんですかね。
浦田 俺もいつもリンゴ・スターやもん。なんかベースはいつもリンゴ・スターやもん。
それがあるけん、
「初めに何聴いた?」
って訊く。それで、5人でSONYのスタジオでミーティングして。
中倉 楽しみですね。無い…本当に日本に無い。
浦田 だき、これ、あんまり言いとうなかったとばってんね(笑)
中倉 日本にない試みだから。
浦田 合わしたったい、バーンスタイン♪パパパー、パパパ、パパパパーパ…マリア…♪
じーんとくるったい。
中倉 「TONIHT」とかもですね。あぁ、いいっすね。そういう流れがね。
楽しみ…願わくば完成したら、それを博多でも見せてもらいたいですね。そのユニットでですよ。
浦田 だき、完成したら持ってくるな、博多。
多分入ろう。看板女優が三人おるけん、ははは(笑)
中倉 なるほど。
浦田 TOKIEすごいよ。
俺、あげなベース見たと初めて。ベースに合わせたと初めて。
「あたしに付いて来んしゃい」
みたいなと。ホント俺、初めてで…すごいっちゃ、あれ(ベースを弾くポーズで)♪ドゥンドゥンドゥン…♪スゴイ!
池畑LOSALIOS観たったい、中村達也の。池畑が行きましょうって。新人発掘隊(笑)ち言うて、池畑行くったい。
中倉 それを、3年かけて…
浦田 3年かけるち言うか、ま、ぼちぼちして。
早くレコーディングしたいって言うレコード会社あるばってん、俺はま固まっとらんけん、固まってからでいい。固まってから廻そう。スタジオやら全部一緒やけん。壁の中入るんじゃなくて、顔見ながらバーンって昔のマイルスのアレンジしたようなギル・エヴァンスとか…したっちゃね。ディランも、そのバンドで。
これもう言われんこれ言うたら面白くない(笑)
これ言うたらパクられろうごたるけんね。これ絶対言われん。これ言わしたら凄いぜ。
中倉 楽しみにしときます、それは(笑)
浦田 もう、そのことばっかり考えとったい。ものすご、何しょうかーて。
俺の手帳は真っ赤たい。『3年B組選曲先生』やもん(笑)
中倉 ハハハ(笑)
(じっさいに手帳を見せてもらって)…あ、お〜!
浦田 いっぱい書いとって。したいねーと思ったら、すぐ書くって。例えば、あの「Harlem Shuffle」したいねーと思ったら、すぐ書くって。原曲よ、原曲のボブ&アールの方。
中倉 (手帳を見ながら)本当スゴイですね。すごい書き込んで書き込んで…
浦田 例えばの話、ボーカル入れるなら、ボーカル歌うなら、どげなん歌て。
俺はエタ・ジェイムスやら歌いたいって。…そこまでしたい。シカゴチェスのね…それを、こう違う風にね。ベット・ミドラーやら…その辺を出来上がるまで時間かかろうね。持っていくまではね。
中倉 嬉しいのはですね、僕等ロック・ファンって、ロックしか聞かないじゃないですか。
ストーンズの新譜出たって聞いたら、聴くけど、マイルスって名前を知っとっても、なかなか聴かんし。
それを浦田さんがHAKATA BEAT CLUBでやったり、今度BEAT CLUBでやられる事によって、
「それなら、聴いてみようか」
っていう気になるじゃないですか。
浦田 いや、マイルスやら聴かんがよか(笑)
中倉 なんで!?(笑)
浦田 ワカランごとなる。俺全部聴いたけどいっちょんワカランごとなる。
マイルスの面白いのは、一に女・二にトランペットやもんね(笑)
中倉 本当ですか?
浦田 面白い話しちゃあ。
マイルス・デイビスジミ・ヘンドリックスの女の取り合いの話ね(笑)
モンタレーで一緒にするとやったげな。
中倉 へぇー!
浦田 ジミ・ヘンドリックスマイルス・デイビス、中に入ったのがサンタナ
中倉 スーパー・セッションですね
浦田 しようと思っとったって。
で、パーティでね、女の取り合いしてね、ジミ・ヘンドリックスマイルス・デイビスが負けたげな。だけんせんったい。アハハ…(笑)そういう次元ぜ。
中倉 音楽じゃない、女の次元での話ですね(笑)
浦田 もうやめたってねマイルス・デイビス言ったらしくて、黄色のフェラーリで帰ったらしいぜ(笑)
中倉 ある意味ミュージシャンらしいですね(笑)
浦田 だけんマイルスって「Autumn Leaves」っていう…「枯葉」日本人が付けた変な名前(笑)
あれやっぱすごいね、あれいいね。エルビン・ジョーンズアート・ブレイキーズ…♪パッパッパーパパパパーン♪やっぱものすごい。
フランスから帰ってきて、アメリカのニューヨークおって、フランスに女がおって、離れておって、寂しいっちいうのが、ものすご出とうもんね。
マイルスのいいとはね、あの時のミドルトーン♪プー♪あら、初めてやもんね。あの時のマイルスの作り上げたクールジャズはやっぱスゴイよ。
中倉 「枯葉」とかも…?
浦田 マイルス
中倉 元々あれは誰の曲ですか?
浦田 あれはシャンソン。
中倉 ですよね。植木等がふざけて歌うのしか知らないんですよ。
浦田 そうやって「枯葉」っていう名前付けたとがおかしいとよね。
YAMPO あれは聴いたらいい…うん。
中倉 でも、浦田さんが聞かんでいいち言いんしゃった(笑)
YAMPO いやぁ、マイルス・デイビス聴かんといかんの何枚かある。
浦田 良いもん聴いてん、よー寝られる。
俺ジャズ聴いてね、寝られるということが一番凄いと思うよ。寝れるとは、良い音楽よ。
中倉 心地良いってことですかね。
浦田 ドラムやら、果てしなく上手い。
俺が例えば
「浦田さん、ドラム上手いですね。どうしてですか?」
ち言われたら、俺やっぱトニー・ウィリアムス聴いて、バディ・リッチ聴いて、エルビン・ジョーンズ聴いちょうき。
リンゴ・スター聴きよったっちゃいっちょん上手うならんチャーリー・ワッツ聴いたっちゃいっちょん上手うならん
池畑が俺がた来て、ものすごもう…ラテンとかメキシコの…来るたんびに10何枚も持って帰るっちゃん。
中倉 そうですか。じゃあ、池畑さんにも浦田さんの影響で、新しい血が入りよう事になりますね。
浦田 「これ聞いてん。ピアノのフラナガンエルビン・ジョーンズ、ありゃあブラシの凄いね
って(笑)
中倉 浦田さんて、ドラマーだからドラム中心に聴くんじゃなくて、やっぱり、音として捉えられてるから、いろんなパートの人のを聞かれてますね。
浦田 うん、そうよ。
ボブ・ディラン
はやっぱボブ・ディランとの出会いがあったし。
俺は嘉手納基地で…ね。黒人が歌いよう時、何歌いようとかいなって…俺、日本で一番早いかもしれんね、ビートルズ
「PLEASE PLEASE ME」はね…これ書いとって
「PLEASE PLEASE ME」は俺、予約で買うたっちゃき。シングルを。
YAMPO 予約して(笑)
中倉 予約したっていうことは、当然出るのを知ってたっていう事ですよね。何で知ってたんですか?
浦田 そうそう、レノンマッカートニーマッカートニーレノンこうちゃん(松本康)とかと言いよった、マッカートニーレノンよ。
中倉 何でそれは事前に知ってたんですか?
浦田 何でかって言うたら、俺の誕生日2月7日。2月7日にビートルズが初めてアメリカの土地を踏んだと。1964年か…それくらい。その時ね、俺の誕生日になんかすごいバンドがおるって、それじゃ聴いてみろうって。
中倉 じゃあ、世界的に有名になる前から注目しとって…
浦田 ニューヨークに降りて、その時が2月7日やったってね。それをこの前、原島からDVD貰うたっちゃん。
面白いっちゃん。そん時に3月か4月頃「PLEASE PLEASE ME」を予約で一週間か10日前に予約したっちゃん。
中倉 浦田さんがビートルズ好きっていうのは、YAMPOさんから聞いたりして知っとったんですが、そこまでとは…
浦田 この前、ギミー・シェルターっていう店行ったったい、東京の。
中倉 ストーンズ・ショップのですね。
浦田 レコード見たら12万やら、8万やらあったー!
俺も知っとったったい、ギミー・シェルター
「浦田さん持ってある?」
って言うき、俺もロンドン・レコードのテスト盤持っとっちゃね、オールセット針いっちょん降ろさん。それとギミーシェルターライブのイギリス版やら持っとったい。メイド・イン・ロンドンたい。イングランドたい。
「一回家に伺っていいですか?」
って
「何でやー?」
ってね(笑)
柴山さんからも電話があった。
「お前、ヤード・バーズの『Little Game』持っとろう?」
って
「持っとうよ」
「凄いぜ」
って(笑)
「あれもこれもや?」
「持っとう、持っとう」

って(笑)
YAMPO あはは(笑)
浦田 ものすご、持っとったわけ。
ビートルズがね、『RUBBER SOUL』だけで、4枚あるったいね。ドイツ版・イタリア版・フランス版・日本版持っとった。俺ものすご持っとったもんね。ドイツ版やらね、買いたいだけ買いよったもんね。
中倉 マニアックですね。
浦田 うん、だけんレコードはいっぱいあるばってん、ジャズも聴くし、ディランも聴くし。
だけど、何ちいうのかいな、例えば河内音頭も聴くし、(浪曲師・広沢)虎造のも聴くし…虎造はやっぱり初代が良い。
うん、やっぱ風景が出てくるやん。例えば島原の子守唄でも、♪姉しゃんなどけいたろうかい♪って、握り飯で日本人が売られて行くったい。それて全部出てくるやん、歌詞。
俺、民謡も聴くし、何か全て聴くね、なんかアホのごと。
中倉 あんまりジャンルには…
浦田 何もない。ジャンルやら何もない。
中倉 「良かもんは良か」と。
浦田 そうそう。だきあの、股旅もんやら好きやね。
中倉 あ、本当ですか?
浦田 河内音頭の吉良の仁吉やら、30分位聞くもんね。うん、だけん、やっぱ、文句がカッコイイし。
それがいい、これがいいって決めつける事はまずないね。やっぱドラム練習しようち思ったら、やっぱりもう足腰鍛えて、走って…
中倉 やっぱり基礎体力は当たり前と…
浦田 当たり前、もう体力ないと。
YAMPO 去年俺が入院しちょった時にね、病院行きよう途中でくさ、愛宕神社の階段ば上り下りしよんしゃったもん、走って。
浦田 何や、俺見よったとや?(笑)
YAMPO こっちは腹痛くて、声も掛けきらんかったばってんね(笑)
浦田 あれ200段あるもん。208段。あれ3回上がるって。
中倉 当然今も常日頃そうやってトレーニングされてるんですね。
浦田 それは言うたらいかん。ばってん見られとうき(笑)
大濠公園やら3周くらいやるばい。こっから家まで歩いて帰る、夜中。
中倉 ステージ見よったら、どーしてあげん叩けるっちゃろかって、僕等ファンは思うわけじゃないですか。ワンステージ一時間も二時間もやって、動きっぱなし。どげなっちょっちゃろか体力は、って思うけど、やっぱそういう裏付けっていうのが…
浦田 それはもう教えられんね。それは見したらいかんね。それを見せたらプロじゃないし、言うたらいかんばってん。
それの練習の仕方も教えんし、池畑にやっとちょっと教えるくらいで、トレーニングの仕方を…こうやってしらいんがたで練習するわけじゃないし。その練習しよう風景も見せとらん。そりゃ手の内は見せとらん。
中倉 ラーメン屋さんみたいですね。このスープは見せんばい!みたいな。でも、そういうところあるんですね。
浦田 いや、教えてもいいんばってんね。ただ、川嶋やら、浦田門下生ちいうたっちゃ、あいつも教えん(笑)
梶浦も…梶浦と川嶋と池畑には、全て手の内見せる。あの3人にはね。あと何人かおったばってん、あの3人ね。でも、なんちいうてもね、この街を離れて、あの街で俺達は飯食うていきようとよ。この街で金にならん、ハハハ…この街では金にならん(笑)そうやろ!?あの街で戦うちいう事はやっぱ凄いとよ。子供三人ふとらかすちいう事は。
中倉 そうですね。
浦田 だけん、俺は人のドラムは見らんし…うん、見らんし、何か…何か…どうでもいいね人は。俺は自分の思った…っていうか、あんまりステージ入る時入れ込まんで、どうしたらすっとスムーズに、どうしたら入れるかちいうことやね。あとは自分が変わっていくこと。それは人と巡り会って、変わって行くんよね。だけんまっすぐ生きていくより、俺は出来る限り曲がりくねって生きよるけんね。その曲がりくねった所で、誰かと会うけんな。それやっぱ一番。役者さんでも誰でもね。
中倉 じゃあ、あれですね。来年も音楽の場で、ガンガン浦田さんが見れるという事ですよね。僕等からしたらね。
浦田 …やるし、商売の舞台もやるし、そりゃもう子供三人おるし。
中倉 舞台もやって、それだけの活動もされるっていうことですね。
浦田 活動…舞台も…バンドだけじゃ食っていけんぜ。この国じゃ、なんぼ腕があっても食って行かれんって。
中倉 そうですね…
浦田 そやろ、ね?YAMPOね。
YAMPO そうですねぇ…
中倉 でも、僕等が憧れてるミュージシャンでも、やっぱ実際きつかったり、バイトやったりしてるって聞きますからね。
浦田 俺、バイトできんっちゃ。手が、ドラム叩かれんごとなる。
中倉 あーなるほど!
浦田 そしたら…舞台した方がいい。舞台3本したら年間でるけんね。
中倉 そうですね。
浦田 それが一番金になる。
中倉 それでもドラムはやる、と。
浦田 映画はあるし、それまでずーっと実質的に役者の方をメインにやりよった。嫌ばってん、そりゃ仕方ないよ、人生で。俺は子供捨てる事一番好かんき。離婚するとも一番好かんし。そのためにやっぱり…うん。
中倉 きちんと稼いで…
浦田 はずみで生まれたばってん、冗談で生まれたばってん(笑)ちゃんと育てなね。それだけ。それがふとうなったけね。それで父ちゃんが遊ぶちいうか…父ちゃん…二人とも大学出て、就職も決まって…うん。だき、今度は…あとドラム。まだ2年半ぐらいやない、ドラムまた始めてね。
来年の2月26日で3年ぞ、俺は。俺、3年の中で『翔−KAKERU−』作って、HAKATA BEAT CLUB作って、もう一枚。

「今度は違うHAKATA BEAT CLUBを…」
中倉 来年、BEAT CLUBと…HAKATA BEAT CLUBもやるんですか?
浦田 やると思う。俺の腹ん中じゃね。今度は違うHAKATA BEAT CLUBを…
中倉 HAKATA BEAT CLUB "U"って言うより、"NEW" HAKATA BEAT CLUB?
浦田 いやまだHAKATA BEAT CLUB出とらん奴おろうもん。
中倉 なるほどですね。タイコ4つっていうのは変わらないんですか?
浦田 3つなるか、5つなるかもわからん。
中倉 5つならステージ探すの大変かも(笑)
浦田 あれ、よう思いついたやろ、ドラム4台って。
YAMPO 昔の、あったやないですか、ドラム合戦っていうか。
ライブはもちろん、コンサートもそうやけど、レコードもあって。
で、マックス・ローチが左で、バディ・リッチ右やったり。
浦田 反対、反対。バディ・リッチが左、マックス・ローチが右。
YAMPO ああ、うん。で、そういう録音の仕方やないですよね、HAKATA BEAT CLUBは。
あの、極端に言うたら、一ヶ所から4台のタイコがドーンて出てくる。
浦田 そうそう、マイク全部一緒やもん。
中倉 あ、そうですか。
浦田 だき、トラックダウンもすごかったもん。
中倉 でも、その割には音もちゃんと分離してますね。
YAMPO いや、リズムセクション…ドラムに関してはそうじゃないですね。結構…
浦田 ドーンって。
あれは俺のバンドやし、もう2回したけんね。まだする気ない。あちこちから言われとうけど。
中倉 いや、例えば、大阪ではしてくれとらんやん、っていうファンもおるやろうし、当然、博多もまた見たいでしょうし。
浦田 どげなHAKATA BEAT CLUBになるか、わからん。
中倉 浦田さんのこれからの考えの中で、固まっていくっていう事ですか?
浦田 みんなで楽しかった、みんなで笑顔、楽しそうにする、あれ見たらね。みんなが楽しかった、ってそれでいい。
銭金やないきね。俺、銭に縁がないきね、あはは…(笑)銭金やないけん
。パーっていって、パーっとやって、ワーっと盛り上がる山笠のようなバンドやけん。
中倉 山笠のごたあって(笑)
浦田 「どげんするとですか?」
ち言うき、
「ジャーンと行って、ズーンと曲がって、ズーンと行ってズーッと行くったい。それでよかか、わかったや?」
「はい」
ってみんな(笑)
森山が『賢ちゃん祭り』って(笑)
ばってん森山すごかったね。だいたいなら、森山はトリたいね。でも森山
「俺、頭出ましょう」
って自分から言うてくれた。
「俺、頭バーンって行くけん、俺に任せといてください」
って。そりゃあ男気あるよ。喧嘩のきっかけ俺がつけちゃあって。森山は俺の中の一番歌手やん。
中倉 あのメンツでね、森やん頭に持ってこられて、わーそげ来るねーって思いますもんね、見よって。どげするっちゃろか、後の順番…って。
浦田 先にタイコがビューンって行ってくさ、ドラム、バーンといって、次に尚之がブーンって行って…やろう。からすぐ陣内行かないかん。yukarie持ってきて。そして陣内から花田、そして山部
中倉 ちなみにKENICHI URATA &SHIRAI. Bro'sはこれからは…?
浦田 いやぁ、もういっときはなかろうや。去年もしとらんもんねぇ、したかいな?
中倉 Vol.1、Vol.2ってのは、いつあったんですか?
YAMPO 去年が8月、HAKATA BEAT CLUBの前ですよね。今度9月、一年ちょっとぶりです。
浦田 また気が向いたらする(笑)
今度…違う修羅場をくぐってみろうと思ってね、自分でね。
自分がちっぽけになるごたあ、わー大変と思うような所のバンドでやってみようと思ってね。博多弁が通じんごとあるバンドでね。アハハハハ…博多弁が通じらん(笑)
中倉 それも楽しみですね。浦田さんがこげなんとこ入っちょうばい、っていうような。
浦田 だけん…自分の頭の中、出して見せるわけいかんし、それはホラになるし。それはなってみたら…俺は吹き馴れてきとう…ホラは。アハハハ(笑)
中倉 言って、実行されればホラになりませんしね(笑)
浦田 だけん…もう決まっとうとは、決まっとうけんね。そのバンドはね。BEAT CLUBはね。俺とyukarieTOKIEチカラ(力石理恵)多田暁。ギターがおらんとが凄いよ。
カッコイイぜ!ものすご。メキシカン!
YAMPO
・中倉
メキシカン?
浦田 もうマカロニ・ウエスタンのごたぁぜ、ホント。♪ドゥンドゥン…スタンスタン…ダンダンダンダダン♪
YAMPO うーん
中倉 ますます想像がつかん…楽しみにしてます。なんかそうやって、色々構想持たれてるって聞けるだけでも、ほんなら、まだ、いろいろ観れるとばいって、思えますもんね。
浦田 うーん、観れるっていうか…自分がやりたい事をやれるっていう事が、ものすごく幸せ。
中倉 僕等一般のファンにしたら、例えば浦田さんは役者さんであり、ドラマーであるわけじゃないですか。
正直、今後はどっちに重きを置きんしゃあっちゃろうか、っていうのが一番心配ですよね。
浦田 やっぱドラムやろうね。
中倉 そう言ってもらうと、「あ、ドラム観れるったい」って期待持てるし。
浦田 演じる事、奏でる事、二つあるよね。みんな、奏でる事ばっかり。俺は、演じる事、奏でる事。
だけ、役者しとってプラスになった面もあるし。ドラム叩くとの表現力とか、MCとか。喋りきらんかったもんね。東京でもね。
中倉 あ、そうですか。
浦田 絶対喋りきらんかったもんね。
YAMPO うん。
浦田 だけん、なんか、うん、喋る事とかどうもないし。ただ、それに、役者として映画もいろいろ出て、演じる事をやって来たということは、マイナスじゃなかったね。
YAMPO うん、マイナスじゃないですよ。もう、ライブにも出てきとうもん。
浦田 だけん、みんなに変わったって言われる。ばってんそれを、前に出そうという気はないし。そう、演じるばっかりして、手が動かんやったら…。
だき、まず、まっすぐ速い球!100マイル投げて、剛速球投げて、ストレート160km/時投げて、それから150km/時級のカットボール投げれるようなドラマーならんと。130km/時ぐらいで、ハッハッ…もうドッターンっていうような…。それやったら、やめた方がいい。
中倉 ハハハ…なるほどですね。
浦田 BEAT CLUBはもうメンバーのスケジュール押さえよる、今。メンバーものすご忙しかっちゃん。
博多の100倍の速さで、東京は動くっちゃんね。
中倉 そうですね、スピード違いますね。
浦田 (BEAT CLUBみたいな)そういう事、博多におってできんやない。だけん、うん…つらいばってん…なんかね…。
みんな博多の人間は、生き生きとして鮮やかに生きようよ、あっちで。柴山さんもそうやし。
中倉 これからも色々と楽しみにさせてもらいますね。それではすいません、長い時間ありがとうございました!


2005.9.25@BEAT STATIONでの浦田賢一&Shirai Bro'sのLIVEの模様はこちらへ!
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