Diary
 1999年1月

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1999.01.31(日) 奨悟のバースディパーティ
三男の奨悟は、本当は1/25が7歳の誕生日なのだが、当日俺が東京に出張(したり武道館にARBを観に行ったり)していたため、この日に誕生日のお祝いをした。
が、出張していたのでプレゼントがない。夕方からのパーティに間に合うよう、慌てて子供を連れてトイザラスへ。
本人はローラーブレードを欲しがっていたので、サイズを合わせてプロテクターと一緒に買ってやることにする。
他の三人も何もないじゃ可哀相なので、リクエストによりビーダマンの「何とかドラゴン」(4体合体の1セットで、子供達曰く「僕たち兄弟にちょうどいい!」らしい(笑))とやらを探すが、あいにく品切れ。
どうしよう、と思って見渡すと春に公開の「ガメラ3」のソフビ人形が出ている。最近のオモチャは安くて出来がいい。一人一個として…あとはハイパーギャオスに初代ゴジラにメカゴジラ。うん、この出来の良さで4つで¥2,000以下なら安いものだ(と一人で納得する)
意気揚々とトイザラスを後にするが、Mr.MAXになら「何とかドラゴン」があるかも知れない、と思い、寄ってみる。
見事、そこにあった。しかも特売で定価の半額以下。安いし、子供は喜ぶ。迷わず買い、だ。
帰ってからも子供は大喜び。
そして俺は…
「何個オモチャ買ってくるの!?」
と女房に叱られた(泣)
…だって、出張とかでちょっと家離れると子供喜ばしたいんだもんよ、しょうがねぇやんか!
しかし、女房が喜ぶ物も買っておくべきだった。俺の作戦ミスか!?
…というより、何で誕生日プレゼント買いに行ったのにこうなるんだ?

1999.01.30(土) 授業参観
この日は、小学校全学年一斉の授業参観。従って5・2・1年の3人の子供がいる我が家は忙しい。
45分間の授業の内、一人の教室に15分ずつ夫婦それぞれ見て回ることにした。順番を決め、お互いの時計を合わせて、各教室を移動する。
同じように育てているつもりでも三者三様でそれぞれ面白い。
長男は先生より先回りして発表しようとして制止され(笑…俺のガキの頃そっくりな生意気野郎だ)、次男は隣の女の子と楽しげにつつき合いながら楽器を演奏し(今時の子はマセてやがる…ちょっと羨ましいぞ)、三男は「ぼく・わたしのいちばんだいじなもの」の発表で皆が「お母さん」とか「ミニカー」とか言っているのに「入学時に買ってもらった机」という予想だにしなかった答えを聞かせてくれた。
確かに忙しいが、後で考えたらこの時期が楽しいのかも知れんなぁ。

1999.01.28(木) TOKYO OUTSIDER DAYS (7) −Walk & Run!−
出張最終日。
この日も朝から豪華。朝食を海の見える席で8時過ぎから一人優雅に取る。
ちなみにいくらだ…¥3,500?確かに美味いけど、ただの朝飯じゃネェか!!…クライアント持ちで良かった(爆)
午前中は11時前から1時間ほどプレゼンをやって、クライアントの部長やお偉い先生方と一緒に昼食。
神戸牛&シーフードの鉄板焼きを目の前で焼いてもらいながら頂く、というまたまた贅沢なコース。
…しかし、日本経済の見通しやゴルフの会員権の話などをしながら食べてもなぁ…(笑)
午後から具体的な打ち合わせをして15:00頃無罪放免。
とりあえずホテルのフロントに重い荷物は全て預けて(「スミマセン、荷物は…」と訊くと「あ、コインロッカーならあちらに…」と答えるフロントに、「○○協会の者ですが」と言うと「あ、お荷物は私どもにお預け下さい」だと。態度コロッと代えやがって!バカヤロ!!)横浜みなとみらい21なる場所をブラブラと探索。
…むぅ、広い。近未来的。実用的なもの何も無し(爆)
子供への土産を買うため、17:00頃桜木町に行く。スーパーファミコンのソフトを買うため、商店街を彷徨き回るが…ゲーム屋まったくなし。あるのはAVビデオ屋に大人のオモチャ屋。そうか、ここは大塚と同じく夜の歓楽街だったのか。初めて知った。今度は預かってくれるフロントもなく、重い荷物を引きずって一時間近く歩き回ったが、まったくの徒労だった。
仕方ないので、桜木町駅でそれぞれに本を買ってやる。そこで18:00に信号さん夫妻&金七さんと待ち合わせ。24日の武道館でも会っていたが、俺が仕事先が横浜なのを知ってわざわざ時間を作ってくれた。ありがたい。更に「お子さんに」と、お土産まで頂いた。何て気が利く人達なんだ!(喜)…それに較べて、何て気が利かないんだ>俺。
寿司屋風の居酒屋?に入ってみんなで飲んだが、豪華だった昼食の100倍くらい美味かった。あとで考えたら、ここでも俺一人で好き勝手に飲んで喋りまくってたような気が…ひょっとしてアチコチで我が勝手だけやってるのか?>俺(ちょっと反省)
帰りの便となる羽田の最終は20:10。俺は19:00過ぎからぼちぼち気になっていたが信号さんは「まだ大丈夫!」と言う。
ならいいか、と思って店を出たのが19:30過ぎ。そこから金七さん&信号嫁さんに見送られて、信号さんと二人、タクシーで信号さんの車が停めてある駐車場へ向かう。そこからは信号さんのスーパーチューンドカーで都市高速を一路羽田へ突っ走る。
…速い!信号さんに
「事故らん程度に飛ばしてくれればいいよー」
と言うと、
「大丈夫!まだ240キロしか出てないから」
だって(爆)
映画「爆裂都市<BURST CITY>」のキチガイ兄弟のサイドカーを実感したぞ、マジで(笑)だって、本当に照明が流星のように瞬く間にビュンビュンと過ぎ去って行くんだから…!
で、空港に滑り込んだのは20:00を過ぎていた。
信号さんと一緒に走りながらチェックインに行くと、
「こちらへご案内します。お急ぎ下さい。」
と言ってJASのお姉ちゃんが走り出す。俺達(他にも滑り込みの客が二人いた)も一緒に走る。
途中まで見送ってくれた信号さんに走りながら別れを告げ、結局飛行機に乗るまで走りっぱなし。「間に合わないので、こちらからどうぞ!」と走りながら振り返るお姉ちゃんに連れられて、普段は絶対通れないVIP用連絡通路をひた走る(正に「貴重な経験」だ)汗だくのサラリーマン3人(>含・俺)
駐車場〜飛行機の間を重い荷物を抱えて全力疾走し、JASのお姉ちゃん&滑り込み軍団でハァハァ言いながら「間に合いましたねぇ…」とヘロヘロで笑いあった(笑)
最後までスリリングな出張の旅だった。
でも、福岡空港の出口で待っていてくれる家族の顔を見ると、疲れがふっ飛ぶんだよね(笑)

1999.01.27(水) TOKYO OUTSIDER DAYS (6) −パシフィコホテル?−
5泊も世話になった川崎の家を後にする。といっても、この日は夕方18:00東京八重洲での待ち合わせまでオフなので、叔父さん&叔母さんと一緒に横浜見物。
完全な「おのぼりさん」コースで、山下公園⇒港の見える丘公園⇒外人墓地⇒横浜中華街⇒元町、と歩いて回る(というより、ずっと連れて行ってもらった…我ながら34歳にもなって(笑))。
途中、横浜中華街で食べた昼食が美味かった。いいやん、横浜中華街!(←単純)
夕方に横浜⇒東京と移動(途中、川崎駅で叔母さん夫婦とお別れ。本当に世話になりました!)して、業務上の夕食(笑)後、自分が役員している会社の社長と共に再度、宿泊先の横浜へ。
クライアントが取ってくれたホテルは「パシフィコホテル」と聞いている。「パシフィックホテル」というでかいホテルは知ってるが、それの名前を真似た安ビジネスホテルだろう、と思っていた。
タクシーに乗り込んで「パシフィコホテル」と告げると、
「そんなホテルはないよ。『パシフィックホテル』じゃないんですか?」
との冷たい答え。
いや、そんなホテルじゃない、となおも主張(あとで考えたら何て我が儘な主張だ!)すると
「とりあえず、『みなとみらい21』の中にホテルがあるんで、そこまで行きましょうかね?」
ということなので、よくワカランがそこまで行ってもらうことに。
で、10分もかからず着いたのは、TVなどでも良く見る、でっかいカマボコ型のホテル。
どうやら、『みなとみらい21』の中に『パシフィコ横浜』というビジネスマン用ブロックがあり、そこのホテルらしい。
「『インターコンチネンタルホテル』〜!?こんな高そうなホテルの訳はねぇだろ!?」
と思いつつ、フロントに名前を告げると、
「中倉様ですね。お待ちしておりました
と言って、案内されたのは、ツインの広〜い部屋。しかもこの部屋に一人で泊まるらしい。
ホテルについて家に電話すると、女房は
「間違いじゃないでしょうね〜。えらく好待遇だね」と言っていたが、子供には
「モスラがゴジラに観覧車をぶつけた所のホテルに泊まったよ」(…どーゆー説明だ(笑))
と言うと、
「ワ〜すごい〜、お父さんイイな〜!」
と、変な羨ましがり方をされた(笑)
なんか、キツネに騙されとんのじゃないのか?と少し怪訝に思いつつもしっかり惰眠を貪り、翌日へ…

1999.01.26(火) TOKYO OUTSIDER DAYS (5) −首都圏殺人通勤ラッシュU−
朝の殺人ラッシュも3日目となると、色々考えたり観察する余裕が出てくる(非人間的な状況なので、決して慣れることは出来ないが)。

@ドア直前のゾンビ群への対処方法
乗り込む直前になると、いきなり後ろからガンガン押してきて、我先に乗り込もうとする。しかも、皆が無言&無表情。ある意味、ゾンビより恐いぞ(笑)
モタモタしていると端に押しのかされて、列から弾き出されてしまう。
こんな時は…後ろから押してくる力に逆らわず、ただただ前方に惰性で推進するようにすれば良い(笑)
タイタニックの氷山よろしく、ドア付近で既に乗り込んでいる乗客にブチ当たる形になるが、そのことにかまってはいけない。その時点で既に自分もゾンビの一群と化していることを自覚しつつ…ぶつかって行く(笑)

Aドアの外へ溢れないようにする方法
いくらゾンビの一人となってぶち当たっても、既に車内の人口密度が飽和している場合は、ドアの外へ溢れ出したままとなってしまう。
他の人を見ていて学習したこの場合の対処方法は、
1)ドア直前になったら片手を頭上に上げ、ドアの上部内側を掴む
2)ドアを掴んだ手で自分を車内方向へ引っ張りつつ、車内方向に向いていた体をくるりと180゚回転させて社外を向くようにする
 この時、足もドア下部に引っかけておき、体全体でドアのつっかえ棒になるような形にする
3)腹が外側に突き出した体制になるので、腰〜尻をグイグイと車内方向へねじ込み、体制を整える
4)後は更に突っ込んで来る人波の力を利用して隙間を作って更に内側に入り込む
…大変だな、こりゃ(爆)

B電波系青年出現
品川を過ぎたらいくらか楽になる…ハズなんだが、赤の他人との密着度が減らない。変に思って少し向こうを見ると、ドア付近に空間が空いている。
人の頭越しに見たり聞こえたりする声からすると…嗚呼、電波系だ。
「お母さん、卒業式の写真は全部この中に入ってます」「東京行かなきゃ、東京!…すみません、東京へはここから何処へ行けばいいですか?」(←そのまま乗ってりゃ着くよ(笑))
妙に丁寧な一人語りの口調とナチュラル・ハイな態度で、回りを遠巻きにさせている彼。彼の回りの空間だけ通勤ラッシュが存在していない。
遠巻きにしている人達の中には迷惑そうだったり、汚い物でも見るような目で彼を見ている人もいたが、通勤ラッシュの現状に身を委ねるしかない我々より、自力でこの状況を解消してしまう彼の方が偉いかも。人に迷惑を掛けているかどうかという問題もあるが、別段暴れているわけじゃなし、汚い身なりをしているわけでもなし。ただ回りが精神的に気味悪がって近寄らないだけ。う〜ん…何か、考えさせられた。

この日は珍しく?20:00過ぎに川崎に戻り、ここに泊めてもらう最後の夜ということもあって、叔母一家と遅くまで食事しながら飲んだ。
家庭的でいと楽し(喜)
ホンマに、出張先でこんな雰囲気が味わえるのはありがたい。

1999.01.25(月) TOKYO OUTSIDER DAYS (4) −今日もオフ会−
次の日で大塚のクライアント先での作業も終わるため、ここぞとばかりに注文の嵐が来る。こちらもせっかく来た以上、より満足してもらいたいので、極力対応すべく頑張る。それでも、この手の仕事は、許容時間が過ぎると、頭のスイッチがオフになる(笑)。
「中倉さん、泊まり込みされても構いませんよ♪」との先方の社長の半マジの笑顔を振り切り、夕食と酒の席をホドホドに切り上げて大塚を出る。
目指すは渋谷駅前の待ち合わせ場所。この日は、前橋さん主催のThe Roosterz MLの新年会を兼ねたオフ会だった。
(とはいえ、俺の我が儘で日にちをわざわざこの日に設定してもらったのだが…)
出席者は、れいじさんや高持REEさんなどの後から来た人も含めて約10人(…だったっけ?)
昨日の50人規模の「ROCKER SITE」の大オフ会もワイワイガヤガヤと楽しいが、この程度の人数だと全員と会話が出来て嬉しい。
(しかし、毎日何やってるんだ…<俺)
オフ会毎に雰囲気や濃さ、ノリが違うのが面白い。ついでにいうと、地方によっても違う。九州は濃くて長っ尻だ(笑)
東京でのオフ会も熱っぽさは共通のものがあるが、みな物腰が紳士的。
ん?九州はやはり皆ガラが悪いのか?(←「そりゃお前だろ〜!」「俺は違う〜!!」とツッコミを入れる声があちこちから聞こえてきそうだ)
特にこのMLのメンバーの人達で感心するのは、みんな現在進行形の音楽をよく観、聴いていること。自分が勉強不足なだけで、話を聞いていると、今のバンドにも確実に食指をそそられるバンドが多数ある。この辺の話しになると、俺や高持の里佳ちゃん当たりは完全に聞き手に回り、「ヘ〜、ホゥ〜!」と頷くのみ。
よし、俺ももうちょっとあちこちと聴いてみよう。お願いしますよ、斎藤支部長(←いきなり人頼り&名指し(笑))
ともかく、楽しい酒を飲まさせてもらった。2次会も俺の終電時間に合わせて23:30頃に解散…うぅ、世話になりっぱなしだったなぁ(嬉泣)
俺に出来ることは、めんたいロックの地元出身者ならではの土産話や小ネタを話すこと位。あとで考えたら一人で浮かれていたが、他の人は楽しまれたのだろうか?
で、この日も帰りが遅くなった。叔母さん、毎日ゴメンナサイ!

1999.01.24(日) TOKYO OUTSIDER DAYS (3) −川崎大師に嫌われる−
この日はオフ。とは言っても、午後から俺が武道館にARBを観に行くということで、午前中に叔母夫婦が近くの川崎大師まで連れていってくれた。
朝からあいにくの雨だったので、いとこのSとし(叔母夫婦の息子、ね)の車を借り、俺が運転していった。
が、止めれる駐車場がない!参道の回りは路上駐車の行列だ。その中に割り込む隙もない。みんな遠方からわざわざ雨の日によく来てるなぁ、と妙な所で感心する。
(「近場から車で来るな!」とツッコミの声が聞こえそうだ)
結局、参拝を諦め、くず餅だけ買って帰った(これはとても美味かったが)。トホホ。
考えてみれば、今まで3〜4回もここに泊めてもらっているのに、川崎大師とは縁がない。
「そんな大したもんじゃないよ」と叔母は言うが、やっぱりここまで来たら太宰府天満宮より参拝客の多い大師は観てみたい。
次回こそは平日を狙って参拝してやる!
(「えっ?また来るの!?」と、叔母一家の悲鳴が聞こえそうだ)
午後からはろっかー氏主催「ROCKER SITE」のオフ会を経て、武道館で3時間余のARBのLiveを観た!
いやぁ〜、楽しんだ&良かモン見せてもらいました!(この模様は、別途Live Reportとして執筆…の予定?)
結局、川崎へ戻ったのは11:30過ぎ。…叔母さん、迷惑掛けてゴメンナサイ。

1999.01.23(土) TOKYO OUTSIDER DAYS (2) −首都圏殺人通勤ラッシュ−
朝9時過ぎまでにクライアント先へ行けば良かったので、8時に川崎を出る。駅までの約10分のバスも空いている。
東京のラッシュ時間と言っても、土曜日だし山手線のラッシュは経験済みだし、と思い、楽勝気分で東海道線に乗り込もうとしたが…甘かった!
乗車するのに整然と列を作っている人達。ホームに滑り込んできた電車は既に満員で、少し列が進んではとても全部乗り切れず、ドアが閉まる。
電車を2本乗り過ごして、やっと乗車出来そうだと思い、ドアに近づいて行くと、突然、今まで整然と並んでいた人々がゾンビの群に変貌する。
横から後ろから人を押しのけて、どんどん突っ込んでくる!
やっとのことで体を捻り込んで、妙に曲がった姿勢のまま列車は発車した。
電車の揺れに合わせて「…ウ…」とか「…クッ…」とか「…グェッ…」とか、微かな声にならない声があちこちで聞こえる。
密閉された空間に他人同士が密着して、誰も声を発さず、ただ耐えてじっとしている…何とも妙な空間だ。
何とか、ふぅ、と一息つこうとすると、首元が息苦しい。よく見ると、俺のネクタイは下へ垂れ下がらずに水平になって前方へ伸びている。先端は…人と人の間に挟まれて見えない。
…す…す、すいませ〜ん…」声を何故か回りにはばかりながら、自分のネクタイを引っ張る。なかなか抜けない。複数の人の間に挟まっているようだ。
ピク、ピクと少しずつ力を入れて引き寄せる。満員電車の中でネクタイで釣りをしている…何たる間抜けな格好だろう。
次の駅の品川に着くとドッと人が下りる。混んではいるが、人間的な量だ。
このたった10分で、朝からすっかり疲れてしまった。正に殺人ラッシュ!
俺が首都圏でサラリーマンをやっても、マジで、ラッシュを理由に3日で辞めるだろう。
みんな、偉いよ!ホンマに。
帰りは17:30と以外に早く終わったので、大塚から池袋まで歩いた。
田舎者が大東京の夕暮れを歩いてみるのも悪くないね。

1999.01.22(金) TOKYO OUTSIDER DAYS (1) −東京上陸−
この日から一週間の東京出張。クライアントへの会計指導、新規ネットワーク導入の打ち合わせに、ホームページ導入のプレゼン、と極めて堅い仕事のための出張だ。
まぁ、他にもたまたま?(「私は、計画的だと思う!」妻・談)人と飲んだりARBのLiveを観たりもあるんだが(笑…後で考えたら、最終日も含めて、結局毎日誰かと飲んでいた)
朝の早朝便07:30発の飛行機で東京へ向かう。家は空港から割と近いので06:45頃に出ればいいし、女房が去年の7月に車の免許を取たので、空港まで送ってくれるから、この辺は便利が良い。
クライアント先に到着したのは10時過ぎ。当たり前だが、東京はいつも電車が込んでいる(この後味わうことになる通勤ラッシュに較べれば生やさしいものだけど)。
そのまま会計データ変換用のプログラムを組み上げ、まずは予定通りに意気揚々と引き揚げて、今回の(結果的に5泊の)宿泊先となった川崎の身内の家に向かう。
クライアント先は山手線の一番向こう側の大塚なので、川崎までは約一時間ちょっと。20:00過ぎに親戚宅(…といっても女房の叔母夫婦の家で俺の血縁者ではない。ここでも厚かましいな<俺)に着いて手厚いもてなしを受ける。
いつも出張先のホテルでは一人淋しく酒をカッ喰らって寝るだけなので、こういう暖かい雰囲気は凄く嬉しかった。思えば、今回の出張で疲労感が少なかったのは、ここでゆっくりさせてもらったおかげだろう。改めて、ここで木村さん御一家に感謝の意を述べます(笑)。
で、この日はゆっくり寝ることが出来たんだが、次の日の朝にはアレが待っていた。

1999.01.15(金) 熊本で酔いどれJamセッション
熊本14:30到着を目標に家を出る。
途中春日で斎藤さんと合流、着いたのはピシャリ14:30。
行きの車内ではヤードバーズ、ストーンズ、アニマルズなどのBBCセッション秘蔵テープをかけながら、洋物ロック談義に花が咲いた。
唯一失敗したのは、禁煙車である女房所有のスパシオで移動したこと。斎藤さんは遠慮していたが、禁煙の禁断症状と闘っていただろう(笑)これなら俺の車で行くようにしていればよかった…スマン。
村崎さん宅にて村崎さん&女性陣2人(共に美人!)と合流し、会場である市内のカラオケ屋に向かう。
俺だけ車を駐車するため繁華街をグルグル回るが、あいにく成人式でどこも一杯。ようやく、たまたま一台空いた駐車場へ潜り込んだ。
ここで可笑しかったのは、熊本の駐車料金。どこも最初の一時間は300円で、以降30分ごと50円!長時間駐車には助かる料金設定だけど、何故?
会場に戻ると、みんな既に到着済で、乾杯を俺が戻るまで待っていてくれていたようだ。藤永さんとただし君も到着済みで、既に本日の出席者は全員揃っている。15:30過ぎにまずは乾杯し、PANTAやらARBやらのビデオをバックにそれぞれ歓談。
といっても、みんな大人しく語り合っていたのは最初の30分もない。
持ち込んだ生ギター2本+レスポールを村崎さん、斎藤さんに俺の3人が各自気儘に持ち替えながら、サンハウスナンバーからストーンズにビートルズ…と、思いつくままのJamセッションを始めると、ビデオの音声なんか聞こえない(笑)。いや、この場合、Jamセッションというよりただ酔いどれ共が好き勝手にギターかき鳴らしていたような気がするが…でも、楽しかった(笑)
藤永さんが持ち込んでいたぞうさんベースまで取り上げて弾きまくる!藤永さん本人は「こんな人達、ついていけない…」と頭を抱え、そのバカテクを披露する機会はほとんどなかった…スマン(PartU)。
弾いて騒ぎまくるオッサン共を放ったらかし、片や藤永・ただし・いそべえさんの3人は、何やら熱い討論を続けていた(「自殺感について」か何かだったと思うが…)。このギャップが同時に存在する奇妙な空間が面白かった。
時折、俺が「Punksは馬鹿ばっかりだ」などと、自分の過去を棚に上げてチャチャを入れていたが、ただしくんは当惑したかもなぁ(「お前が言うな!」と言いたかったかも)…スマン(PartV)。
村崎さんの連れの物静かな女性は…ただただ、呆れていたかも(笑)
テーブルの上には、持ち込まれた辛子レンコンと馬刺、辛子明太子などが並ぶ。馬刺がゴッツ旨かった。村崎@幹事にえらい出費を強いたかも…スマン(PartW)。
「カラオケ屋だから…カラオケやって空気を変えよう!」という藤永さんの悲痛な望みを受けて、ようやくカラオケに移ったのが19:30頃(←4時間も何をやってたんだか(笑))。
せっかくカラオケを始めても、酔いどれ達はギターを置かない。カラオケに合わせて弾きまくる。これじゃ一緒じゃ!ちゅーねん(笑)。
二回の延長を入れて、カラオケ屋を出たのは22時を過ぎていた。ここで解散すればいいものの、そのまま全員が村崎さん宅へ移動!今思い直すと、本当に呆れた連中だ(含・俺)。
村崎さん宅でも酒は飲むは、手料理のヒジキはごちそうになるは、三味線の腕は披露されるは…で、オモロイ時間を過ごした。
少し過ごして、俺と斎藤さんが最初に帰宅組になったんだが、その後残りは…朝4時まで語っていたらしい(笑)
帰路は、またまた斎藤さんとロケット&永井隆のセッションLiveなどを聴きながら、多少?道にも迷って斎藤さんを送り届け、やっと帰り着いたのが、午前2時過ぎ。そのまま、起きて待ってくれていた女房と喋って3時半頃寝た。…なんだ、俺も他の連中とあんまり変わらないじゃねぇか(笑)
とにかく、楽しい一日だった。先日12/6の我が家のドンチャン騒ぎもそうだが、東京でのオフ会とはまた違った、妙に濃〜い空気が立ちこめてまんな(笑)。九州人は大酒呑みで長っ尻ということはよく分かった(笑)
次の九州でのどんちゃん騒ぎは、いつ、何処で?(幹事、募集中!)

1999.01.13(水) 女房
仕事上の人間関係で悩んでいた。
平たく言えば、多少オベンチャラ言ってでも回りとうまく付き合うべきか、それとも孤立無援になってでも自分の正義を貫き通すのか。
今までずっと筋を通してやってきたつもりだ。でも、そんなガキみたいなことばかりもいっていられないのか…?今まで築いてきた立場はどうなるのか?
一人で考えても答えは出ない。
女房と酒を交わしながら、ついつい愚痴ってしまった。
黙って聞いていた彼女は、最後に
「やりたいようにやっちゃいなよ」
と言った。
「そんな相手と無理してまで付き合う必要はない。仕事なら、前のようにまたゼロから始めていけばいい。あなたならできる」
と。
あれだけ答えの出なかったことが、その言葉一発で吹っ切れた。もう悩まない。
どうしようもない時にトンと背中を押して、新しい一歩を踏み出されてくれる。改めて、女房ってそういう存在なんだな、と思った。

1999.01.12(火) バンドマン、唄ってよ
バンドの練習日だったが…入試前の追いつめられた時のような心境になってきたぞ(苦笑)
バンド全体も自分個人も少しずつ進歩は感じるんだが、とにかく期間があと1ヶ月ちょっとしかない!
思い通り演奏できなかったり、みんなで意見戦わせたり…久々のバンドは苦労が多い。やっていきながら、バンド特有の壁や苦労の感触を思い出していっている。
それでもバンドの楽しみはなかなか代え難いものがある。で、人前で演ったときにその気持ち良さは最高潮に達成する(…はずだ(笑))

1999.01.11(月) ARBの唄
タマにはロックの話しでも(笑)
バンドでボーカルやらせてもらってるけど、石橋凌の唄は唄いづらい!(爆)
ARBにサンハウス、モッズ、リザード、ルースターズ、INU…どうも個性的なボーカルは、オリジナルの唄法がベストで、別の唄い方にすると曲の感じを壊してしまうような気がする。
(でもRCは真似て唄わないとカッコつかないが、MOJO CLUBは自分風に唄いやすいのは何故だろう?)
ということでモノマネになってしまいがちだが、たとえ真似てもオリジナルにかなうべくもない(←弱気)
結局オリジナルの良さは失わずに自分らしく、となるのだろうけど…なかなかねぇ(ハァ)
でも唄うのは楽しいぜ!あとは如何に人に聴かせられるレベルまで持っていくかだが…期限(2/21)まで時間もないし、模索し続けて俺にとってベストの唄い方を見つけるしかないな。

1999.01.10(日) ハードスケジュール
朝から少年剣道後援会の冬休みレクレーションで、家族全員でスケート場へ行く。親子合わせて総勢50名近く…みんな人の話を聞いてくれ〜っ!まったく収拾がつかない。
「話を聞かないとスケート場にマジで置いて行くぞ(怒)
と言ったらやっと静かになった。子供だけではなく、親にも同じく呼びかけたのが良かったようだ。やれやれ。
午後からは近くの篠栗新四国八十八ヶ所の総本山(ご大層な呼び名だな…一応我が町篠栗の唯一の観光資源だ。住職がジャンボ宝くじで一億円当てたりとなかなかファンキー)である南蔵院に家族でお詣り。
夕方からは、本日限りでエレデ寿屋博多本店(無茶苦茶ローカルなネタやな)が閉店するというので、人混みにもまれにまた出かけた。マンガなどでよく目にする、バーゲンに殺到するオバサン群が現実に目の前にいた。あんたら、そんな派手な下着ばっかり買い漁ってどうするんだ?(笑)
ヘトヘトに疲れた我が家一同は、「餃子の王将」の二又瀬店(つくづくローカル(笑))で夕食を取る。時間は既に20時を回っている。
ガキ共が正に餓鬼のように食べる、食べる!
餃子が180円、ラーメンが350円…と、メニューが安いので有名な店だが、ご会計はなんとほぼ5000円!ほんの1年前まで3000円切ってたのに!!
4歳児まで大人一人前+レバニラに餃子と食べたんじゃなぁ…末恐ろしや。

1999.01.01(金) 世紀末へようこそ
1999年。世紀末だ。世界的に何かが変わる予感がする。
オーウェルの小説やデビッド・ボウイ、はたまたルースターズの別バンド名でも有名な?15年前の1984年にも変化を期待した。でも何も変わらなかった。
だが、今年は違う。なんてったってノストラダムスの大予言の年だ!
今そこで笑ったあなた。言いたいことは分かってる。「あんなのインチキだろう」
まぁ聞いてくれ。例え五島勉のいいかげんな解釈が既に暴かれていようと、ガキの頃大ブームが直撃した俺等の世代にとっちゃ特別なんだよ。
あと30年も経たないうちに地球が滅びてしまう…僕もみんなも死んじゃう…この恐怖でマジで夜眠れなかった。
その年が遂にやってきちまった。
ついでに言うと、予言にある「1999年7の月」ってぇのは太陽系惑星が十文字を描くグランドクロスを指している説が有力だが、この時期が7月じゃなくて、旧暦計算で行くから実際は8月らしい。正確に言うと8月18日。
…俺の誕生日じゃねぇか!何て記念すべき日?に産まれたもんだろう。
確かに世の中不況だし、俺の仕事だって今年も楽して儲けれる訳じゃない。
その分、楽しそうな出来事も沢山待ってる。新しい種類の仕事に、自分のバンドのライブ、それにあんなことやこんなこと…ヤな事もあるけど、その倍位は楽しみな事があるんで幸せだよな。
ともかく、可愛い女房と坊主共のため、今年も闘い抜こう!




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