Diary
1999年4月

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1999.04.30(金) Route"3"Band反省会
…と言う名の飲み会(爆)
ただ、意外?ときちんとした反省会は出来た。今後の活動目標も話し合ったし、次回どんな曲をやるかまで話し合った(笑)
あとは…飲み&ゲーム大会(こうなると、俺は観客オンリー。ヘタっぴなんで、自分でやるより見てる方がオモシロイや)
そして、中村さん宅を後にしたのは、もう外が明るくなってから(笑)
う〜ん、あの散らかしまくった部屋を片付けてろくに寝る間もなく働いたであろう中村さんのことを考えると…少〜しだけ申し訳ない(笑)
という訳で、Route"3"Bandは走り続けて行くノダ!
1999.04.29(木) ライオンズ旗少年剣道大会
篠栗4チーム中、3チームが一回戦突破。決して未だ強いチームではないけれど、確実に子供達が強くなっていってる。
父兄の参加数も急増した。みんなで選手達を応援している。篠栗内の他のチームが試合しているときは、子供達も一緒に応援するようになった。
ウチの坊主達も頑張った。勝てなかったけど、気合いの入ったいい試合をした。特にこの日が公式試合デビュー選の三男・奨悟(小学2年生)は、まるで面が歩いているようで、思わず笑ってしまうが、背丈の違う相手に一生懸命喰らいついていた。
他の地区の後援会と競って席取りをし、頑張って世話をした甲斐があった。伸びていく子供達を見ていくのは楽しい。
元来、俺は他人の面倒見が良い方ではないので、こういう後援会活動はなんか新鮮でオモロイね。大変やけど。女房は俺の数倍大変やけど(笑)

1999.04.27(火) 蘇える金狼
ビデオに録画して取っておいた香取伸吾(字は合ってるのか?)主演のTVドラマ「蘇える金狼」を女房と一緒に観る(←こればっか(笑))。
 観る理由@:かって松田優作主演で映画化された話のリメイクだから
 観る理由A:石橋凌が出演しているから
中学〜高校時代、松田優作が好きだった。「探偵物語」みたいなコミカルなノリも良いが、「処刑遊戯」などの工藤栄一監督と組んだハードボイルドアクションでの彼は抜群に格好良かった。
ストイック性、孤独感、狂気、暴力への衝動…これらを同時に演技に具現化して表現できる俳優は、日本では後にも先にも松田優作しかいないと今でも思っている。
(だからこそ、「ブラックレイン」で世界に羽ばたこうとした直後に死んでしまったこと、そしてそれが引き金でARBが解散してしまったことはとても辛く感じた。「松田優作のバカヤロウ!石橋凌に影響与えすぎて死んじまってどうすんだよ!」「石橋凌のバカヤロウ!松田優作の意志を継ぐなんて言っても、アンタが松田優作になれる訳ないじゃないか!!」と思った)
そんな石橋凌がこのリメイクドラマに出るのは意味深いと思う。本当なら、もっと若ければ、きっと自分がこの主役をやりたかったんだろうな、とも思う。
香取伸吾は、期待していなかった分、予想よりずっと良くやってると思う。松田優作と較べる気はハナからない。無意味だ。次元が違う。
子供達も凌さんが出る、というだけで楽しみにしていて、一緒にこのハードボイルドドラマ(=お子さま向けの対極)を観ている。
と、俺なりに色々と思いながらこのドラマを観ていたのだが、またしても女房の一言。
「私、俳優の石橋凌はあまり好きじゃない。唄ってるところがやっぱり格好イイ」
また何を我が儘なことを、と思っていたが、ふと気付いた。
自分が1/24の武道館でのARBのLiveで感じた違和感もそこにあるんじゃないか、と。
あのステージは確かにカッコ良かったけれども、ARBというよりは石橋凌ユニットを観ている思いがした。
俺の懐古趣味による自分勝手なイメージの思いこみによるものだろう、と思っていたが、結局、俺も俳優石橋凌が見たいんじゃなくて、ステージでバンドと一体になってシャウトしている凌さんが見たいのだろうと思う。演技達者な石橋凌のショーが観たい訳ではないのだ。
なるほど、流石は俺の女房、たまにはいいこと言うやん(笑)
(↑俺もかなり我が儘なことを言ってる気がするが)

1999.04.25(日) 「さらば相棒」ショック!
下のここ一週間余りの日記を見ると、ほとんど毎日、友達と会ってるか少年剣道後援会のことをやってるかのどちらかばかりだな、俺(笑)
さて、ここから先は22日の日記とまったく関係のない、石橋凌主演の映画「さらば相棒」の話。
この映画を、夜、酒を飲みながら女房と一緒に観た。
初めてこの映画を観る女房は、若き日の石橋凌に期待しまくっていた。が…
「いやぁ〜っ!こんな石橋凌、見たくな〜い!!」
要は、若きロックシンガーの夢、恋、友情に挫折を描いた映画なんだが、いかんせん昔の日活ロマンポルノの一つとして位置づけられるこの作品、当然エッチシーン連発。しかも、凌さんの役の性格設定がいかにもクズっぽいし(笑)。
俺からすれば、凌さんだって悩んで現状からの脱却を図ろうとした行動の一環としての映画出演だったろうし、いわゆるピンク映画にだって「水のないプール」のような傑作(異論のある人も多いだろうが)だってあるし、…と気楽に観ていた。
しかし、女房は昨年の福大学園祭で観た格好いい凌さんのイメージがガラガラと崩れまくったみたいで、特にエッチシーンのテーマみたいに使われていた「ノクターン・クラブ」や「Tiger」は、変なイメージが焼き付いてもはやマトモに聴けないという状態。
「こんなの、夜中にウチへの電話に出てくれた石橋凌(何故かウチの家族はフルネームで呼ぶ)じゃない!」
しかも、ドラムのキースまでヤクザの役で、尻を丸出しにして女を強姦してるし(トホホ)
「何でこんな映画見せたのよ〜!?ARBが、ARBが〜…!!」
と俺に文句を言う始末。う〜む、彼女には刺激が強すぎたか?
笑ってしまった(映画に、ではなく)のは、ラストシーン近く。
自分の彼女を輪姦したヤクザまがいの音楽事務所を潰し、待ち合わせの駅へ行こうとする凌さんの前に、ふらりと立ちはだかるジャンキー(内田裕也!)
「なんだ?どけよ」と言って横切ろうとする凌さんの腹を、ジャンキーの突き出したナイフがえぐる。血を出し、うずくまる凌さん。
「ありゃ、死んじゃうんだ」という俺の言葉を無視して言った女房のセリフ
「内田裕也偉い!こんな石橋凌なんてイラナイ!」(爆)
…ホントにイヤみたいだな(笑)

なお、俺には、その後、いきなり女房に「Tiger」を聴かせて嫌がる姿を楽しむ遊びが増えた(笑)

1999.04.23(金) ワンダーMac
MissYさんからG3ノート用のスーパーディスクドライブをお買い上げ頂いたので(笑)、夕方に待ち合わせて商品を渡しがてら、ちょこちょことチューニング。
このノートに限らず、Macの世界はミステリアス&ワンダフル。フリーズはするわ、システム自体が常に爆弾抱えて潜行中だわ、回りにユーザーの絶対数はWindowsに較べて少ないわ、アプリの種類は少ない&高いわ…と、一見Windows PCに較べて優位なことは少なく思える。
でも、Macユーザーは色々とブツクサ言いながらも、Macと仲良く楽しみながら付き合ってる。Windows PCを購入した初心者には、即座に家具or荷物置台と化してしまう人も実際多いが、Macではそういう話は聞かない。
じゃ何が違うのか?と考えたら、漠然とだけど、Windows PCよりは人間とよりフィーリングが合う機械として作られてる、と言えるんじゃないか。
たとえ手元にマニュアル無くて使用法を知らなくても、トライして触ってみる気になるし。Windows PCから感じる、対人的な不正操作への拒絶感、みたいなものは感じないよな、確かに。
俺も個人的にはMac大好きなんだけど、いかんせんMacベースの仕事依頼が極端に少ないしなぁ。
誰か俺にMacの大きな仕事、発注してくれんかいな?(笑)

ここで、ついでにMac耳より情報。
G3ノートの現行機種は既に生産完了しており、メーカーのAppleも出荷を先月辺りから意図的に停止しているので、2ヶ月以内には新しいG3ノートが出る可能性が高い。これがiMACノートとなるかどうかは未定(可能性はかなり高いが)。
以上、購入を検討中の人は、ちょいと頭に入れておいて欲しい情報でした。

1999.04.22(木) さらば相棒
18:30。東京へ旅立つ村崎さんを博多駅まで迎えに行き、そのまま空港に向かう。
都へ行く彼に気の利いた激励の言葉をかけてやるでもなく、他愛もない話をして見送りの時間を過ごす。こんな時、ぶっきらぼうな自分を自覚する。
考えてみれば、お互い知り合って未だ半年も経っていない。バンドのメンバーだって1年も過ぎていない付き合いだ。
時間をかけて深まる友情もあれば、気が合えば短期間でもそれが腐れ縁になるまで長くなっても、何も変わらない気持ちを持ち続けられる友情もある。
どうせまたちょくちょく合うのだろうが(笑)、仲の良い友が一人、東京に行くと思うと少し寂しい。
19:25。再会を互いに誓い、固い握手をして別れた。
結局、心から頑張れよ、としか言えなかったが、それで充分だとも思う。頑張れよ、相棒。

1999.04.21(水) 少年剣道会寄り合い
19日の剣道会総会の内容を伝え、今後の方策を考えるために、午後8時より我が家で役員5人の寄り合い。
当日一緒に出席していた副会長の奥さんと一緒に内容報告と共に、みな怒りまくり。そんならぶっちぎっちゃえ!またはもう全部計画を辞めちゃえ!という過激な意見も飛び出すなか、いやこれこれこういうプランでうまく話を持って行って、計画はすべて実現するつもりです、というとみんな喜んで賛同してくれた。
無関心・無感動な後援会だと思ってたが呼びかければみんな反応を返してくれるんじゃないか。要はこっちの考えと動き次第では、みんな答えてくれる。LiveのMCでの客の乗せ方と同じみたいなものか?(笑)
で、色々と話は白熱して、(俺以外は)主婦ばかりが平日の夜に3時間余りも話し続けて、やっと午後11時過ぎに解散となった。
この盛り上がりならやっていけるだろう。後援会の意志を再度統一したので、次は先生方と話し合いだ!

1999.04.19(月) 少年剣道会改革、早くも暗転?
前日の後援会総会での決定を受け、意気揚々と臨んだ剣道会総会。
ここで先生方の承認を得て、改革実現へ一直線!と思っていたのだが…
剣道は、スポーツの中でも最も最高齢まで(死ぬまで?)続けれるスポーツだと思う。野球なら50歳も過ぎればOB、大御所だが、剣道の世界じゃまだひよっ子。還暦迎えた先生方の、さらに20歳以上も歳が上のご長老も健在だ。
しかも元々が個人競技、協調性が希薄な武道の総会、意見がさっさと一致して、はい、シャンシャンで終わり♪…と上手く行くはずがねぇよな、考えれて見れば。
考えが甘かった俺も悪いかも知れないが、ジェネレーションギャップ大発動の意見の連続に(頭の中じゃThe Whoの"My Generation"が鳴りっぱなしだった)、何度台を蹴飛ばして帰ろうかと思ったか。
しかし、少し?は俺も歳を取って賢くなったか、グッと堪えて考えた。
「子供のためだ。俺の頭でよけりゃナンボでも下げてやる。金がかかるほどのものでもねぇし」
で、意見飛びまくり&重苦し〜い雰囲気を繰り返した後の宴会(結局、少年剣道後援会のお伺いは再考の余地あり、保留ということになった)で、一人一人の先生に酒を注いで廻り、意見を拝聴した。
なんだ、結局みんな自分の話を聴いてくれりゃ満足な訳ね。
「意見として色々言わしてもらいましたが、ここはひとつ…(以下約1024KB文字略)…ちゅうことで、結局私ぁ分かっちょりますけん、頑張ってやってクダサイ!」
建前上みんなの前で反対はしたが、私はあなたがたの理解者である、と概ねみな、個別にそのようなことを言っていた。
『そんならみんなの前でも賛成せんか〜い!!!(怒)』
と心で吼えつつ、
「貴重なご意見ありがとうございます。これからも子供達のためにご指導ください。」
と笑って酒を注ぎ足す。
昔の俺ならツバを吐きかけたくなるような行為かもしれない。でも、結果オーライ。一時の怒りで頭に来てすべてをオジャンにしていたら、二十歳前の俺と何も変わらない。
未だに糞みたいな大人にはなりたくないが、無能なガキのままでも社会は生きていけない。
たまには父親らしい仕事もしなきゃなるめぇ。

ともあれ、一部の理解ある先生方は最初から賛同してくれているわけで、ここは更に一計を案じてうまく事を進めるとしよう。
(開き直った悪企みなら自身あるし、楽しんでやれるし(笑))

1999.04.18(日) 少年剣道会改革に着手
この日は、長男の志朗の剣道の試合の日。志朗がキャプテンになって最初の試合でもある。
結果は負けだったが、着実に試合に成長が見れる。嬉しいことやねぇ。
だが、この日の親のメイン行事は試合の引率ではない。夕方の、年に一度の後援会総会だ。
例年なら、昨年度の行事および会計報告、今年度の新役員のご挨拶、で15〜30分程度で終わる。出席者も新旧役員以外はほんの2〜3人のみ。形骸化した、お役目済まし的な総会だ。
だが今年は違う。好んで会長になったわけじゃないが、どうせなったんだからやりたいようにやる。性格的に保守派じゃないし。
で、剣道人口の減少のせいもあって(それでも少年剣道会員は70名ほどもいるが)けっこうジワジワと切迫している財政事情の建て直しのため、月謝の1.5倍UP、弁当代の参加者一部負担、更にはヨソにカッコで負けないためのお揃いの銅の購入、と今までずっと多くの人が考えながらも実現できなかったことを一度に議題として提出した。ドロなんてナンボでも被ってやる、結果オーライで我が子達が楽しくできるようになればいいんじゃい!文句あるなら誰か言うてみぃ!
…予想に反して意見続出(爆)事前に出席を力を入れてあちこちに促していたこともあって、一挙に30名ほどの参加者に膨れ上がっただけのことはある。
議論も白熱して、約2時間もかかり、ようやく承認された。なんだ、みんな煽れば活気出るじゃん!Liveの客と一緒やな(笑)
おかげで、この日誕生日だった章祥の誕生パーティが7時半からになってしまった。許せ、お前達の為だ(笑)
何とか目論み通り総会の賛成も取れて、ここまでは満足行く出来だった。あとは明日の剣道会(つまり指導する先生達)の総会で簡単な結果報告と承認を得れば万々歳、と思っていたのだが…年寄りは一筋縄じゃいかなかった…

1999.04.17(土) 友在り遠方より来る(3)
朝に弱い村崎さんを既に充分承知しているウチの女房は、昼過ぎまで我々を寝かせておいた。正しい判断だと思う(笑)
で、午後1時過ぎに遅い朝食を取ると、昨日の電話でYampoさんから聞いていた「YUSUKE」(元パワーハウスのオーナー田原裕介氏のお店)の新作ケーキ、その名もずばり「Ruby」を食べに隣町の須恵に向かった。
社内のBGMはシナロケの秘蔵Liveだ。1981年の屋根裏、永井"ホトケ"隆がゲストのテープ。生録りとは思えない良か音だ。
村崎さんは、「YUSUKE」に行くのを楽しみにしながらも、演奏を聴き込んで車内から出るのを名残惜しそうにしていた(笑)
ウチから車で15分ほどの「YUSUKE」は、店内でそこのケーキを味わうこともできる。
オーナー自ら入れてくれた美味かコーヒーを飲みながら、「Ruby」を食べる。甘さの押さえ方が「う〜ん、大人やねぇ!」という感じ。だが、苺の風味を生かすには最適の甘さの匙加減。女子供には合わねぇ、Rubyの音とぴしゃりマッチしてる。
見かけはここでくどくど説明するよりも、Rubyのホームページ上でのYampoさんのReport(http://www.aqa.co.jp/yampo/ruby/txt_yusuke.html)を見た方が手っ取り早いし、味は自分で味わうのが一番。サンハウスのLiveと一緒で、実際に体験したけりゃ九州に来るべし!
田原さんは口数が多い人ではないが、変なオッサン二人組もキチンと相手してくれる、良か人!この笑顔に、サンハウスのメンバーも何度も救われたんだろうナァ、等と勝手な想像をする。
店の様子は、ホンマに洒落た店。ボウイやロキシー聴きながらケーキを食べれる店なんて、他にはない。
(この日は「熊本の友達にRuby食べさせようと思って連れて来ました」と言うと、田原さんがBGMをRubyの1st「黒い地球儀」に変えてくれた♪)
逆に言えば、窓の外を歩いていく坊主頭のニキビ中学生を見ながら、粕屋にこんな洒落た店があっても土地の人にその良さを理解してもらえるのかな、とも感じた。こんな良か店があっても、その良さが分かる人間がこの辺にどれだけいるのかな、でも繁盛して女子高生や主婦でワイワイやっててもイヤだな、とか(まったく勝手な事ばかり考える)
俺達がケーキを食べてる最中に、車で来て持ち帰りたいという若い女性客が入ってきた。帰りに2時間位かかるがケーキは保つのか、と訊いていた。
そうだよな、遠方からでも評判聞いていっぱい分かる人達が来ればいいんだよな。やっぱり、サンハウスやRubyのファンは、全国から必ずここへ来るべきだな(笑)

…すっかり日記が「YUSUKE」の宣伝みたいになってしまった。でも、それだけ良か店やった。
ケーキ屋を引き揚げた村崎さんは、時間がないのでウチの色々な音源をダイジェストで次々と聴いて、夕方6時前に帰っていった。帰りまで、名残惜しそうだった(笑)

1999.04.16(金) 友在り遠方より来る(2)
この日は朝から北九州の仕事。さっさと客先に行ってサクサクと早めに終わらせて…と行けば良いが、なかなかそうウマクは行かない。
客先に行く前のプログラム作りのために朝3時には起きて、何とか10時頃仕上げ、1軒目に11時頃到着、2軒目は14:00過ぎに入って…と、全体的に時間が押しぎみ。
「来る前になったら電話しぃね」
とそれだけしか行ってないので、村崎さんが来る時間もはっきりしない。
とにかく早めに、と慌てて仕事を切り上げて家に帰ったのが19:30。帰り着くと、もうすぐ博多駅に着くとのこと。
バタバタと末っ子を風呂に入れ、JR篠栗駅に迎えに行ったのが20:15。一ヶ月ぶりの再会(笑)
事前にメールでバンドメンバーには村崎さん来襲の件は知らせておいた。
で、藤永さんが来たのが22:30頃。中村さんが来たのは23:30。コゴウさんは結局、大人の付き合いの酒で来れなかった。お勤め、ご苦労様です(笑)
で、飲み、だべり、ついでにギター抜きでバンドの反省会もして…解散は午前6時だった。その時の模様をランダムに挙げると…

「中倉さん家の子供達に見せるために特訓してきた!」とピカチュウの絵を披露してくれた中村さん。しかし、なれない我が家のコードレスマウスで書いたそれは…どうみてもバッタモンの駄菓子の絵だった(爆) 今度はPC上じゃなくて「せんせい」に書いてください(笑)

その中村さんに触発された藤永さんは、我が家でグラフィック処理のお勉強。講師はもちろん画伯中村!ゲッターロボはなかなか上手かったぞ!
必要なソフトなどを熱心に中村さんに訊いていたが…その前にRAMメモり増やした方がいいと思う(笑)

村崎さんと二人の時は専らサンハウス談義。後の二人が来てからはRoute"3"Bandの反省会に突入!メンバー以外の、シリアスな村崎意見は参考になりました。ウチの女房よりずっと甘口批評やったけど(笑)
…あ、コゴウさん抜きで反省会やっちゃった(笑)

ARBやロケットの映像を見ながら、それぞれ好き勝手な事を、ず〜っとダラダラと話していた。なんてまとまりのない、心地よい集まりだろうと思った(笑)

普段タバコを吸わない俺の仕事部屋に、やたらと煙が立ちこめる。
煙がこもって誰かが窓を開ける⇒近所に聞こえる騒音を気にして俺がこそ〜っと窓を閉める⇒また誰かが開ける…の繰り返し。

最後は我が家のPCゲームに熱中していた藤永さんと中村さん。中村さんはゲームのためにWindowsを買おうか、なんて言っていた。ちゃんと仕事に使いなさい(笑)
ところで、後で考えたら、未だに徹夜でプレステをやってる村崎さんはまったくやろうとしなかったが、何故?PCのゲームには興味ないのか?

当日の酒の総消費量はビール13本、焼酎5合。これって多いのか少ないのか?
もしこれにコゴウさんが加わっていたら更に多量の消費が…

この日の料理&おつまみ一覧。
冷や奴・豚しゃぶ玉葱添え・鶏もつ煮込み・きんぴら牛蒡・もやし&きのこ炒め・ちくわ・ジャコと葱の卵とじ(中村さんは、来るやいなやこれでごはんを3杯食べた…ゴハンがススム君だ(笑))・その他チョコなど
量もそれぞれけっこう多いと思ったが、ほぼ全部なくなってしまった。
人が来ると何か作らずにはいられない性格の我が女房。ご苦労さん!

その女房は、ちょこちょこ座っては話に加わっていたが、遂に深夜2時過ぎにダウン!前日も睡眠時間少なかったのに、ちょっと可哀相なことをした、と一瞬だけ思った。

村崎さんが気になってちょくちょく部屋を覗きに来る子供達(特に末っ子)。自分たちが寝た後に中村さんが来ることに、大ブーイングだった。

その中村さんの子供達の呼び名は「絵の上手なお兄ちゃん」。
対して村崎さんは「空手のオジチャン」。
同い年なのにこの扱いの差に、村崎さんはかなり不満げだった(笑)
(なお、藤永さんは「ベースのオジチャン」(笑))

仕事上の飲みで来れないコゴウさんは、気になるのか何度も電話を入れてきた。
人の辛い立場を少しも理解していない酔っぱらい共は、そのたびに「未だ来んと〜?」
挙げ句の果て、留守電に「こんばんは〜ルート3バンドです!」とか「盛り上がってるよ〜未だね〜?」とか、好き勝手な嫌がらせ。
更にバンドのライブビデオを観ながらその音声を留守電に入れて中継?までしていた。
挙げ句の果て、5時前に「今中洲です!もう今から帰って寝ます!すんまっしぇん!!」の電話をくれたコゴウさんに、
「今からタクシーで来るの?ご苦労様!」とか「あ、ついでにタバコを買ってきてもらえます?銘柄は…」などと鬼のようなコメント。
(…しかし、この時間まで中洲で飲んでるコゴウさんも凄いな)
…ゴメンナサイ。楽しかったんで許して下さい(爆)>チーフ

村崎さんにギターの弾き方を教えてもらった。そうか、弾く位置でこんなに音が違うのか。そりゃそうだわな。納得!
(今まで細かいことを意識していなかった俺が馬鹿か?)

藤永さんが
「始発が出たから帰ろう」
と言ってお開きになった(即座に彼のカバンからボロボロになった時刻表が出てきた。常に時刻表を携帯している、彼の熱き鉄道魂を見た(笑))。
中村さんが駅まで送ることになって、一緒に帰っていったが、別に泊まって行ってくれてもよかったのに。というか、この時間までいたら泊まっていけばいいのに。布団まで女房が用意してたし(笑)
で、ヘロヘロに酔い果てた俺と村崎さんは、ようやく明け方(というより、とっくに新聞配達が来た後の時間)それぞれの眠りについた…

1999.04.15(木) 友在り遠方より来る(1)
ここ最近、特にやたらと忙しい。週のうち、ほとんど外出してあちこち回っている。
たまの在宅の日も、溜まった仕事をせっせとこなさなきゃいけない。で、家にいると客からの電話に捕まる。いつもいないんだからしょうがないが、電話に捕まると仕事が中断して仕事が進まない。
夕方、この日何度となく鳴った電話がまた俺を呼ぶ。またやっかいな仕事の電話か?と思い、少々ウンザリしながら電話を取ると、
「村崎です〜ご無沙汰してます〜」の声。
う〜ん、ご無沙汰…先月サンハウス巡礼の旅をAKIさんとも一緒にやって以来だな(笑)
何でも、1/15の熊本での新年会で藤永さんが忘れていったベースを届けついでに今度の日曜日ウチに寄りたい、とのこと(どっちの用事がついでなんだか(笑))。
「日曜日は子供の剣道の試合があって忙しいけん、来週の土曜日に泊まりでくればいいやん!」
と言うと、何やら渋っている。
「いや、東京に」…モゴモゴモゴ。
「東京?それなら東京から帰ってきて遊びに来ない!」と俺が言うと、
「いや、それがもう東京に来週の半ばに行ったきりになるから…」
何?東京に移住する〜!?う〜ん…
「よし、それじゃ明日の夜に来ぃ!泊まってゆっくり飲めばいいヤン。俺もそれまでに仕事終わらせとくけん!」
という訳で、村崎さん来襲がバタバタとその場で決まってしまった。いきなり決まったので、彼自身がビックリしてたが。
さぁ、忙しくなって来たゾ。
借りてて返さなきゃいけないビデオもダビングしとかなきゃだし、せっかく来たらお土産にテープもやりたいし、それよりも山積みの仕事を片付けなきゃ!いやいや、それよりも女房にお願いしなきゃ!!
急な話なので、ゴリ押しのきくRoute"3"Bandのメンバーだけに取り急ぎメールを出して、あとは…徹夜しないと仕事片づかないな(爆)

という訳で、明日の日記に続く!

1999.04.14(水) 末っ子入園式
午前中に末っ子の巧樹の入園式。
これで子供4人とも同じ幼稚園に通うことになる。が、上3人とは入園式の様相が変わって、なんと町内3園合同の入園式。で、場所も当然幼稚園じゃなくて「クリエイト篠栗」(いわゆる町立の公民館みたいな所)
年長さんが手をつないでトンネルを作って出迎えて、一人一人名前を呼ばれて元気良く「ハイ!」と返事をする、あの微笑ましい入園式は何処へ行ったんだ!?
聞いた話では、ここ数年この形態で、明日からクリエイト篠栗に通うと思いこむ新入園児もいたとか。当たり前だっつーの!成人式じゃあるまいし、自分が通う所以外で何で入園式やるんだよ!?(それとも今はそれが当たり前なのか?)
3園の責任者を一人で兼ねる園長が手間を惜しんだ、とか、経費節減だとか貧乏くせー噂もチラホラ。
親子共々、座る席まで座席指定だし、見事に心の籠もってない入園式だった。
しかも、来週には町議選を控えて、例年は気もしない現役町議連中がずらりと壇上の来賓の席に雁首揃えてやがる。いちいち、町議の名前まで一人一人呼んで紹介するんじゃねーよ!今日の主役の子供達は、誰一人お前等の名前なんて聞きたがってやしねーよ!お前等がぞろぞろ来る位なら、子供が喜ぶように唄のお兄さん・お姉さんでも連れてこんかい!(←無理だっつーの)
結局、一番の盛り上がりを見せたのは、最後に地元の中学校吹奏楽部がポケモンの曲を演奏した時だった。中学生だから演奏も拙くはあったが、ああいうのこそ「おめでとう!」の気持ちが籠もってるんじゃないのか?別に子供に媚びる必要はないが、主役を無視した『対御父兄様「お目出度う御座います」ご挨拶大会』はウンザリだ!
…などという親父の怒りをヨソに、巧樹は新品の幼稚園バックを引っさげたまま、そこら中を嬉しそうに走り回っていた。…おめかししてるんだから、服を汚すなよ(笑)

1999.04.13(火) 老け顔?
ロイヤルホストにて取引先の専務と昼食。周りは幼稚園の入園式帰りなのか、制服姿の幼児とみょ〜に着飾った若作りの奥様軍団で一杯だ(その格好からお受験系の私立幼稚園と推測される(笑))
そのため、会話はお互いの子供の話となる。
専務「中倉さんの所、お子さんは?」
俺「4人いて坊主ばっかりです。一番上は小学校6年、末っ子は明日が入園式なんですよ」
専務「意外とまだお子さん小さいんですねぇ。
…ち、ちょっと待て〜!長男は23の時の子供だぜ。アンタ、俺のこと幾つと思ってんの!?
最近、40台中半に見られることがすっかり当たり前になってきた。
慌てて自分は今年35歳になることを告げると、先方は唖然としていた。
専務「かなり色んな経験をされて来たと聞いてたけど…どういう人生を歩まれてきたんですか?
放っとけ!いらん世話や!(爆)

1999.04.12(月) 本当に欲しいソフト
仕事柄、業務用のソフトは山ほどあるが、別に自分から進んで買った訳じゃない。仕事で必要だから購入しただけ。
仕事に必要ないソフトで購入したのは、ストーンズのブゥドゥー・ラウンジCD-ROMと中古の悪魔君スクリーンセーバー位だ。
仮に『お、これ欲しいな』と思っても、女房@経理担当常務取締役の決済が絶対に下りない。俺に買い与え出したらキリがないことを十二分に把握している証拠だ。
ただ、今回雑誌の広告で目にしたソフトばかりは、俺の購入欲を全開で刺激した。
その名も「タイピング奥義 北斗の拳 激打」!
いわゆる、キーボードタイピングマスター用のソフトなんだが、キャッチフレーズからして
「お前はもう打てている…」
わざわざ神谷明があの「アタタタタタッ!」の声を録音していたり、「ひでぶっ!」「あべしっ!」等の秘孔突きにによる人体破裂シーンをアニメーションで再現するため、この手のソフトに不釣り合いなCPU Pentium MMX/233Mhxz以上推奨…など、気合いの入った馬鹿らしさだ。
あまりの欲しさに、このソフトが紹介された雑誌記事や販売会社のホームページを、恐る恐る女房に見せてみた。
…速攻で購入が決定した。お気に召したようだ(笑)
次の仕事の買付のついでに、絶対購入しよう!きっと、夫婦で競って使用することだろう。
(しかし奥義をマスターしたら、両手の人差し指だけ使ってもの凄い速さでキーを打つようになるんじゃないだろうか…?)

1999.04.11(日) 年月
鮎川誠・著「MONO」(双葉社・刊)
20歳前後に手にした本だが、ずっと俺のバイブルだった。
実家に置いたまま何年も目にしてなかったが、竹下さんが貸してくれて久々に読むことができた。
その中の一節
「…それから、ええと、十三年間、彼女はぼくと一緒だ。ぼくは彼女と一緒だ。」
その頃から鮎川夫妻は最強のRock'n'Roll夫婦と思っていて、「さすがにあれだけ息が合った夫婦は、同じ時間を長く共有してるだなー」と思ってた。
が、考えてみりゃ俺達は一緒になって既に15年目。1984年当時の鮎川夫妻の13年を越えている。
なんだ!夫婦で一緒にいる時間なんて、いつまでたってもあっという間じゃないか。

1999.04.10(土) 日記の文調
更新を数日前に再開して以来、ここ何回かの日記の文調がなんとなくアッサリ目なのは、外で他人と喧嘩してないので気持ちが穏やかなためだ、と女房が分析していた。
なるほど。納得。

1999.04.09(金) LAN, LAN, LAN
といってもヴェルベットの曲のことではなくて(←当たり前)、Local Area Network、ここではパソコン通しのネットワークのこと。
自宅のシステムも含めて、今年に入ってあちこちでLANへのシステムアップを構築する作業が増えた。
Windows同士はもちろん、WindowsとMacの連携など、もちろん各々形態は様々。
当然要求される使用内容も異なるわけで、となりゃ、当たり前のようにトラブルもその都度続出だ。
パソコンが簡単になった、なんぞとよく世間ではいうが、ちょっと気の利いたことをやろうと思えば、やれ相性だ要求されるシステム性能だ、とややこしいことこの上なし。実際、その環境で起こりうることは、実際に稼働してみるまで分かりゃしない。
多分、この世にコンピュータのハードからソフトまで全てを完全に理解している人間なんていやしないだろう。ということは、誰もが100%理解していないケッタイな箱を稼働しようとして四苦八苦していることになる。
新しい技術は日進月歩どころか分進秒歩で出てくるし、俺のような仕事はそれをず〜っと吸収し続けなきゃお終いだし、あーぁ、大変だぁ…と思いつつもここ最近はLANと格闘している。
でも、会社勤めよりはずっと楽しいので文句は言えんか。

1999.04.08(木) ゲームの実力
いやね、元々ゲームって昔からあんまりやらないし、得意な方でもなかったんだけどさ、MS-Plus!に付いてくるゲーム「Lose Your Marbles」(オマケにしてはグラフィックが綺麗な落ちモノゲー)でさ、俺が一度も難易度1(つまり初級者コースね)をクリアしたことがないのにさ、4歳の末っ子がそれをクリアしてる所見たらさ、そりゃショック受けるよ…。
こら巧樹、お父さんに内緒で上手くなってるんじゃねぇよ!(←八つ当たり)

1999.04.06(火) 変な遭遇の日
仕事で用があって、ベスト電器本店に立ち寄った。
改装のため一時閉店、とのことでセールの真っ最中。
(ここも、メガネの愛眼のように、四六時中、改装閉店セール→新装オープンセールを繰り返しているような気がするが…)
1階からエレベーターに乗り込む。先客が数人いて、駆け込む俺のためにドアを開けていてくれていた。
「どうもスイマセン」と礼を言って一息つきながら周りをよく見ると…若いニィちゃん達ばかり5人が全員同じ格好をしていた。しかも白と黒の横縞の囚人服柄のシャツ。いや、一人だけ普通の格好をしてる人がいるぞ。…でも何でエレベーター内でビデオ撮ってるんだ?目が点の俺なぞ気にせず、
「今日は、福岡来てどうでしたか〜」
などとビデオ撮りながらインタビューしてる。
「いや〜やっぱとんこつラーメンは美味いですネェ。でも辛子めんたいをまだ食べてないから…」
などと話し&ビデオ撮りながら、7階のCDショップで降りて行った。
何かのバンドだったのか?プロモに来てたのか?
疑問は解消できぬまま、ベスト電器を出る。と、外ではものすごいアフロヘアの男がタバコを吸いつつ佇んでいた。スター高橋(福岡地元の「ドォーモ」というTV番組でレポーターなどをしている人)だ。
これは番組の撮影中らしく、周りにカメラマンなどのクルーが沢山いた。
「変な人達に会う日だなぁ」
と思いながら、天神中央公園地下駐車場から車を出して、地上に出る。
出てすぐの所で信号待ちしていると、前方から巨漢がノシノシとこっちの方へ歩いてくる。
目が足下から上の方へと向かい…む、胸がある!?で、顔は…アジャ・コング!?
もちろんスッピンだが、あの短髪にあの顔は間違いなくアジャ・コングだ。
俺の車の目の前まで来ると何故かいきなり走り始めて、瞬く間に向こうへと走り去っていった。さすがレスラー、巨漢でも俊敏(笑)
あんまりイキナリの出来事だったので、「見間違いだったのかな?」と思っていると、車の横の歩道で交通整理していた誘導係のお兄ちゃん二人が
「アジャだ」「アジャコングだ」
と囁き合っていた。間違いないらしい(笑)
しかし、今をときめく芸能人に会ったのなら、他人にも威張れるのだが、奇妙なユニフォーム5人組にスター高橋にアジャコングじゃなぁ…(笑)
広島時代にも、唯一目にした芸能人はアホの坂田だし(笑)




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