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1999.07.29(木) 玉竜旗観戦 高校剣道の全国大会として名高い、玉竜旗大会の決勝リーグを観戦しに家族で出かけた。 ロビーには武道具店が何店も出店を出して、防具や小物を売っている。俺は近々剣道を再開するので、手拭いを1つ買った。本当は竹刀入れや鍔も欲しかったが、腕が上達してから買うとしよう(笑) 会場には、後で少年剣道会の先生も何人か子供を連れて来ていた。 試合自体は、昨年ほど突出した選手がいないため、今ひとつ盛り上がりに欠けたように思う(勝ち抜き戦形式なので、実力が高い選手は15人抜きをやったりする)。 それでも、準々決勝からは電光掲示板にチーム名と選手名が表示されるし、決勝戦ともなると審判名までアナウンスされ、次に出てくる選手用に控えの椅子まで用意される。やっぱ、勝負の世界は勝ってナンボやねぇ(笑) ちなみに志朗の将来の夢はこの大会で大将で出て優勝することらしい。学校は福岡高校に行く事まで勝手に決めている(笑)その夢を自分で掴み取ってほしいもんだ。 |
1999.07.26(日) 志朗凱旋 3泊4日のホームステイを終えて、志朗が無事滋賀から帰ってきた。 向こうではちょっと熱っぽかったみたいだが、大したこともなく色々と楽しい体験を満喫して帰って来たようだ。 解散後、小学校の校長先生や引率の先生(これが志朗の担任の先生だったので本人も楽しさが増した様子)、町の教育長にもお礼を言って家に引き上げてきた。 修学旅行に続いて、またもオミヤゲの山だ(「お母さんが美味しいって言ってたから」とわざわざ京都駅で柿の葉寿司まで買って来た)。弟それぞれにわざわざ買って来ていた。コイツはこういう気が優しいところがある(笑) 夕食中、志朗の土産話のお喋りは止まらない。ホームステイが終わってもハイ・テンション継続中だ(笑) まぁ、無事で帰ってきて楽しかったようで何よりだ。 でも、これで安心しちゃいけない。8月の20日からは先方の子供が、今度はこちらにやってくる。受け入れ側の方が大変だ。せっかく来てもらうんだから、色々と面白い体験をさせてやりたいし、ボチボチ計画を練らないとなぁ。 (実際に計画を練るのはほとんど女房だろうけど) |
1999.07.25(土) 子供相撲 長男が留守の間に、次男と三男は子供相撲に出場。志朗も毎年出ていたのに、最後の年になって出場できなかったのは残念だ(あまり勝った試合はないけどね(笑)) 結果的には、団体戦・個人戦合わせて、章祥は3連勝、奨悟は3連敗。見事に性格が出るね(笑) 章祥の負けん気の強さは兄弟随一なので、奨悟も少しは兄貴を見習えよ!いつもホヤホヤ笑ってるのが奨悟の良い所でもあるんだけどね(笑) ひさみも子供会の手伝いで大変だったみたいだ。地区の会長以下役員の段取りが下手すぎてイライラしてたみたいだが。 子供の試合もそっちのけで酒盛り始めて、個人戦が始まる頃にはもうとっとと撤収開始してるんだから、やる気なさすぎるんじゃないか、お前ら?酒飲みたいんなら来なくていいからどっかで勝手にやっとくれ。そのウチはっきり言ってやんなきゃ駄目だろうな。 しかし、子供のまわし姿は可愛いもんだ。まわしを嫌がって相撲に出てこない子が年々増えてるようだが、餓鬼がそげんツヤつけてどうするとや!? 子供の相撲が終わったら大人の相撲をするというので、遊びがてら俺も出てみようかな?なんて思ったが、控え室の方を見ると筋肉ムキムキ野郎共がまわしを締めて四股を踏んでいた…こ、こいつ等、マジだぜ!(爆) 冷やかしで出る物ではないことを認識して、その場を退散した(笑) |
1999.07.23(木) 志朗のホームステイ 篠栗町と姉妹町の滋賀県・能登川町。毎年小学6年生が数人、そこと交換でホームステイするのだが、今年志朗も選ばれて行くことになった。といっても実状は、応募者が少なくて応募者全員参加。どこの家庭も口を揃えて言うのは、「行くのはいいけどヨソの子を家庭内に受け入れるのが大変だ」…自分の子だけ面倒見てもらう訳いかねぇだろ!訳のワカランことを言う親が多すぎる! ともかく、朝7時半に役場に集合して出発式、でJR篠栗駅から見送り。ウチは家族全員で見送り。志朗は浮かれまくって、気分は既に琵琶湖のほとりに飛んでいる(笑) 3泊4日、まったく知らない他人の家に厄介になるんだが、アイツの事だから大丈夫だろう。とは思いつつ心配するのは親バカか?(笑) 家に帰って、何となく家の中が少し寂しげ。子供達もいつもの勢いがない。6人が5人になっただけでも、家族が足りない感じがする。あのお調子者でも、立派な家族の一員なんだねぇ(笑) |
1999.07.21(火) 虹の元へ 北九州のクライアント周りで夕方ヘトヘトになる。しかも外は雨。クソッタレな一日だ。 この後、更に筑豊でやっかいな仕事が待っているので、疲れた体で車を運転し、目的地へ向かう。 都市高速を降りて少し過ぎると、前方左手の山の麓に虹がかかっている。こんな大きくてはっきりした虹は珍しい。 虹を前方の山に眺めながら車を進める。やがて車は道なりに左手へ折れた。 すると、突然虹の全体が目前に現れた。今まで見ていた虹は足元の部分だけだったようで、綺麗に虹の両足元まで見える。道はその虹の下を通る形になっている。 もちろん、ずっと道を進むに連れて虹も向こうに行くから、虹をくぐることは出来ないのだが、夕景の中虹の元へ走る気分は悪くない。 結局日暮れて外が夕闇に包まれて虹は薄くなって消えていったが、それまでずっと虹に向かって車を走らせた。 これから行く先のやっかい事がなくなる訳でもなんでもないけれども、ちょっと「うん、頑張ろう!」と前向きな気持ちになれた。 |
1999.07.20(月) ゲリラクラブ 用があって実家へ家族で向かう途中、ふと目の前の道路脇にある大きな立て看板が目に止まる。 「茜ゲリラクラブ」…ゲリラ!? よく見ると"ゴルフクラブ"と書いてあった(爆) 「何でそういう風に見間違えれるの?」 と女房は呆れている。自分でもそう思う(苦笑) どうなってるんだ、俺の頭の中は?疲れているのか?(いや、壊れているのかも) でも、ゲリラクラブってどんな所かちょっと見てみたいとも思った(笑) |
1999.07.19(日) Rokketサイン in メイト黒崎![]() 行って話を聞いてみると、いつも俺が打ち合わせに使っている部屋が控え室になっていたとか、誰々がお茶を運んだとか、見かけによらず?礼儀正しい夫婦で素敵な感じだったとか、ファンの人も来て色々話していた(後で分かったんだが、どうやら"ファンの人"はMissYさんだったらしい(笑))とか、羨ましい話を色々としてくれた。 次長は「横道もんラーメンの人はデカイねぇ」と言っていたが、鮎川さんも50代の人たちにかかるとそういう認識なのか?(笑) (しかし「横道もんラーメン」とは…古い!) 「好きならそう言ってくれれば、中倉さんも一緒に弁当ぐらい用意したのに〜」とも言ってくれたが…もう遅いっちゅうの! その現場に立ち会えなかった悔しさに、写真か何か良いモン無いですか?とねだってみたら当日のロケットのサインをくれた。 これも我が家の家宝にしよう。俺宛に書いてもらった訳じゃないけど(笑) |
1999.07.17(土) 旧友との酒 高校時代の同級生と酒を飲みに飯塚へ出向く。 集まったのは自分を含めて5人。卒業以来初めて顔を合わす奴もいた。 (ちなみにそいつの子供は16歳だそうだ。ウチもかなり若いときの子供だが、上には上がいるモンダ) 高校を卒業して早や17年、気が付きゃみんないいオッサンだ。 ワイワイ騒いであーだこーだ言ってたら、ポツリと 「いいよなぁ、お前は全然変わらずに思った通り生きていけて」 と言われた。 よく人にそう言われるので別段気にもならなかったが、このメンツにまでそう言われるとは…自分自身じゃ全然思い通りに生きて来てないんだが。ジェットコースター人生だし、もっとお金と暇が欲しいし(笑) ただ、思い通りに生きるための努力はして来たつもりだ。というか、人にこき使われず、もっと気楽にやれるように頑張ってきたとは思う。 まったく、人の苦労も知らんと、好きなように言ってるよこの連中(笑) 「どんな悲惨なことでも笑って言える神経が凄い」 とも言われた。 それは笑って言えるんじゃなくて、もはや笑うしかない状況なんだよ!(爆) ともかく、人生は結果オーライだと思っているので、歳取ってこの連中とまた笑って酒が飲めるよう、死ぬときに笑って死ねるようにこれからもガンバロウ! 解散したのはすでに午前1時を回っていた。楽しい酒だった。 |
1999.07.13(火) Ctrl+Alt+Delete クライアント先のPCが調子悪いとのことで、現地に出向いてマシンチェック。 キーボードに何やら付箋が数枚貼ってある。オペレートに邪魔なので剥がそうとしてふと気づくと、付箋が貼ってあるのは"Ctrl""Alt""Delete"の各キー。 「…ス、スイマセン…この付箋は…」 「あ〜これ?コンピュータが言うこと聞かないときにこのキーをまとめて押すともう一度電源を入れ直してくれるって聞いたから…便利よね〜これ!」 と、やたら陽気に事務のオバチャンは答えた。 強制終了をそんな気軽に頻繁にやってたら、マシンの調子も悪くなって当たり前だろーが! もちろん、黙って付箋は剥がして来た。しかし、恐れを知らないシロートは怖い…(泣) |
1999.07.10(土) 夏祭りの花火 この日は、年に一度の篠栗町上げての祇園祭。旧道にはずらりと露店が並び、浴衣の女の子は大量発生し、ツッパリ共も何故かブラブラしている。 道々で沢山の知り合いに出会う。ご近所さんに学校関係、役場の人たち…篠栗に住んで年々少しずつ知り合いも増えてくる。従って、道草度数も上昇(笑) 今年は遂に志朗は、露店に友達と行ってしまった。子供が成長したねぇと嬉しい気持ちが半分と寂しい気持ちが半分。 子供達は露店に目を輝かせる。なぜか金魚すくい、亀すくい、ヨーヨーすくい、スーパーボールすくい…と「すくいもの」が好きらしい。でも生き物はこれ以上家庭内に必要ないからダメ!スーパーボールも溢れかえるように一杯家にあるのでダメ!何故か今年はヨーヨーすくいは見かけないので、これもダメ!(爆) 例年、必ず手を変え品を変えて露店に存在するのが、蛍光塗料&電池で発光する「光り物」だ。それは年によってワッカだったり頭にはめるツノ?だったりするが、今年の光り物はスターウォーズの影響か、黄色や緑に発色するライトセーバー風の棒だった(逆に言えばタダの交通整理の誘導棒っぽいが(笑))。 で、巧樹はそれをさっそくGET!こんなもの、祭りじゃなきゃ何百円も出して買わないよなぁ。でも買ってしまうんだなぁ(笑) あとの二人の章祥と奨悟はクジを引いて、妙なハリセンやら何やら(要はハズレクジ(笑))を手に入れて道々遊んでいた。 もちろん、子供ばかりにモノを買ってやるのもシャクなので、俺も焼鳥や箸巻きを買って食べた(笑) 夜には恒例の打ち上げ花火が山手の採石場から上がる。基本的には毎年お祭りには行くようにしているが、お産で入院している産婦人科の窓から見たり、去年は仕事で俺はお祭りの日に家にいなかったり、と色々あった。 で、今年はこうしてまた家族全員で花火を見上げている(志朗も露店巡りから回収して一緒に見た(笑)) だっこも肩車も不要で花火が観れるなんて今年が初めてで、ここでも子供が大きくなったなぁ、と感じてしまう。 仕事が個人経営で決して安定している訳じゃないから、正月やら花火やらの節目ごとに、何とか1年持ったなぁ、と思う。で、また来年もこうしていれるようにしよう、と思うのも同じ。 こういう日常をマンネリだ退屈だと感じる人もいるかも知れないが、俺にはとても大切だ。そして、それを大切に思える現状を楽しいと思う。 という具合に、毎年花火を見ながら色々としんみり考えるのだが、今年も無事楽しい祭りは終わった。 自宅とは数キロ花火を観る場所が離れているので、これも毎年のように家族みんな車で移動。みんなさすがに歩き疲れて大人しい。このままでは帰り着くまでに寝てしまう! 「巧樹、さっきのライトをお父さんに貸してくれ」 と言って例の「光り物」ライトセーバーを息子から取り上げ、ちょうど顔の真下に来るようにTシャツの下に入れる。対向車が近づくと、スイッチを入れる。真っ暗な車内のドライバーの顔が緑色に浮かび上がり、対向車のドライバーは仰天してこちらを見る。もちろん、ニターッと笑い返してやる(笑) これで子供は目を覚ましたので、今度は2車線の所で進行方向が同じ車の横に並んで、ライトオンして笑いかける…皆、一様に猛スピードで逃げるかスピードダウンして後方に下がる(笑) 車内の子供は大はしゃぎだが、もちろん自分も楽しい(爆)獲物を求めて「対向車だ!スイッチオン!」「横の車を追い払え!スイッチオン!」等と言って遊びに興じた。あと、チカチカとON/OFFを繰り返しながら前の車を追いかけるとか、色々と楽しんだ(笑) シンミリしたこと考えてもこれじゃね〜まぁウチらしいや(笑) |
1999.07.09(金) Love Love巧ちゃん 今日も末っ子ネタ(笑) 巧樹が幼稚園から女の子の友達を連れてきた。それも、自分から希望して「○○ちゃんを連れて来たい」と言ったらしい。 連れてきた子は、とても可愛い子だった。目が高いぞ、巧樹!(笑) 家の中を張り切って案内し、オモチャを引っぱり出してはあーだこーだと説明している。すっかり舞い上がってやがる(笑) こんなケースは我が家でも初めて。大抵は仮に本人が女の子と遊びたいと思っても誰よりも兄弟に冷やかされるので、自分から連れてくることはなかった。末っ子はさすがやることが大胆だ。つくづく末っ子の図太さに感心した(笑) |
1999.07.08(木) 武道館でドッキリ 子供達の剣道の練習は、校区によって町内で武道館と町民体育館の2ヶ所に分かれ、それぞれ週に2回づつ行われている。ウチは体育館の地域なんだけど、人より練習しないと強くなれん!ということで、武道館にも顔を出している。 子供は一応小学生以上が対象ということで、幼稚園年少組の末っ子・巧樹はまだ練習に参加してなかったが、武道館の先生が「遊びがてら、一番下の子も練習に来らせてください」と言ってくれたので、ちょっと前から兄弟4人揃って武道館に練習に行くようになった。 −−一部自主規制−− そんな状況のこの日、武道館に何故か体育館側の先生達もゾロゾロとやって来た。先生達の剣道大会が近いので合同練習にやって来たとのことだ。 別に隠していた訳じゃないんだが、竹刀をもって元気良く飛ぶ跳ねている末っ子を武道館側でいきなり目撃されるのはどうにもバツが悪かった。 でも、本心は自分の息子が逞しく強い子に成長してくれればOKな訳で(笑)、まぁ何とかなるさ!とひさみと話した。 人生、何事もTake It Easyで行かなきゃやってられねぇよなぁ(笑) |
1999.07.07(水) 浜松プレゼン本番 この日はプレゼン本番の午前11時半まで、取り立ててすることもない。ただ、朝の8時にセッティングの最終確認だけはやっておかなくてはいけない。100インチのスクリーンプロジェクターにパソコンの画面を映し出してプレゼンを進めるからだ。そのために早めに起き、スーツを着てセッティングだけ済まし、朝食に向かう。 出張では大抵がそうだが、このホテルでも朝食はバイキング形式。こんなので何でどこも¥2,000前後も取るんだ?どうせいつも食べるのはベーコンにソーセージとジャム付きのパン、オレンジジュースに食後のコーヒーだ…と不満を覚えつつ、仕事に備えてしっかり食事を取る(笑) 朝食を終えるとすることがないので、部屋に戻ってまたリハーサル。こんなにリハやった仕事は初めてだ(笑) やっと昼前になって出番が来た。出だしに声が裏返るとなかなか取り戻せないので(笑)、ここだけは意識的になるべく低くて大きな声で話し始める。そうか、人前で喋るのも唄うのも出だしのコツは一緒な訳ね、などと妙に関係ないことを考えながら順調に話を進めていく。 話も半ばに差し掛かったころ、腰を屈めて端の方から誰かがこっちに向かって進んでくる…何だ?あれ、司会進行のOさんじゃないか?どうした? 一列目の机の陰に隠れて聴衆の目に触れないように屈んだまま、Oさんは俺に何か紙を向けている。喋りながら横目で見ると、そこには「ホームページを自分で開設している会社がどの位か訊いてください」とマジックで書かれている。 ダーッ!一字一句憶えて通しリハ繰り返したのにアドリブかませってか!?何で要望があるなら事前に言わないんだよ〜!! 既に12分が経過し、残り時間は8分。喋り続けながら頭の中で話を再構成し、時間配分を計算し直す。喋るスピードを若干早め、残り2分を切ったところで、話を一旦区切る。 「ところで、既に自社でホームページを開設されている方、どの位いらっしゃいますでしょうか?よろしかったら挙手願いますか?」 パラパラと会場のあちこちで手が挙がる。なるほど。で、それからどうしろって言うの!?…という疑問が0.5秒ほど頭をかすめたが、200人余りの聴衆を前に話の流れを途切らせる訳にはいかない。エイクソ、アドリブで逃げきりだ。 「…なるほど。ありがとうございました。今挙手いただいた方、御社のホームページと較べて今までお見せしたページは如何でしょうか?今回のこのページではリンクコーナーを使用して御社と相互接続し、アクセス数を更に増加するお手伝いを…」 ふぅ、何とか話を繋いだぞ。しかし、自分のホームページもリンクコーナー作ってないのに、なんでアドリブで人の会社のLINKを作る話になってしまったんだ?(苦笑) 後で今回の雇い主の社長が「いや〜LINKコーナーとか良いよね、それイイよ!」と言って来たんで、お客さんに喜んでもらえたから、まぁ良かったんだけど… 仕事を終えて、昼過ぎには会場のホテルを出た。20分のプレゼンのために前日の昼から出張して俺の交通費・人件費・接待費合わせて10万円以上の費用がかかって…ありがたいことだ。こんな仕事でまた呼んでもらえるようにこれからも気合い入れていい仕事して結果出し続けて行かなくちゃね。 大阪に行った時みたいにキーホルダーでもオミヤゲを…と考えて新幹線ホームのKIOSKで見るが…名古屋人にセンスはないのか?(爆) 金のシャチホコに、ヤクザの金看板のような字で「名古屋」と書いてある。ユーモアも格好良さも微塵もなし! 浜松なら浜名湖でウナギだ!ということで、駅弁を買うことにする。 「うなぎ弁当、何時頃まで持ちます?」「常温で夜の8時頃まで大丈夫ですよ」「ヨッシャ、買った!」 ところが、時間は午後1時過ぎ、お昼の弁当タイムが終わった時間で、そこには1個しかない。 「何とかなりませんか?」とお願いすると、ホームの駅弁コーナーのオバチャンは「発車まであと何分?」と聞いてくる。あと6分だと答えると、即座に電話を取り、あちこちにかけまくる。 「東側売店、そちらにウナギ弁当、余ってますか?」「構内本店、そちらはどうですか?」 やがてあちこちから駅弁を包みに入れたオバチャン達が集まってきて、なんとか家族分の数が揃った。 「良かったね〜家族で浜松のウナギ食べてね〜」とのオバチャン達(みんな見送ってくれた)の声に礼を言いながら、新幹線に乗り込んだ。何とか、オミヤゲもGETし、安心して帰路に着くことができた。 行きもそうだったが、広島を通過するときはやっぱり外の景色をじっと眺めてしまう。俺達夫婦が新婚の5年間を過ごした町、安芸郡府中町。永田の団地にキリンビールの工場、矢賀の通りに蟹屋町の陸橋…懐かしい景色がどんどん通り過ぎていく。広島を後にして早10年目。ホントにあっという間だ。毎日バイトに行くのがイヤでイヤで女房に甘えてばかりでグタグタしていた頃が、つい昨日のようだ。そして、広島を通り過ぎて、俺は今の自分が生きている町に帰り着く。 家に帰って、みんなで駅弁のウナギ弁当を食べた。弁当を買って帰ることをあらかじめ電話しておいたので、夕食も食わずにみんなで待っていた。当たり前だけど、俺が一番落ち着くのはやっぱりこの空間であることを実感する。 ひさみは髪を切っていた。こんなに短くしたのは何年ぶりだろう?巧樹を生んで以来か?でもけっこう似合ってる。というか付き合いだした頃の髪型みたいだ(笑) 仕事にかまけて、昨日が結婚記念日だったことをすっかり忘れていた。ひさみも忘れていたらしい。頑張って働くのは大事だけど、もっと大事なものを失くさないようにしなきゃな。 でも、子供達の顔を見たら疲れが吹っ飛ぶのだけは、ずっと変わらない(笑) |
1999.07.06(火) 浜松プレゼン前夜 現在請け負っているホームページのプレゼンをしに一路浜松へ。 今回の出張で一番の懸念は移動中の時間の潰し方だった。新幹線なので片道5時間ほどかかる。 寝るしかないか、と思っていたが、行きはずっとプレゼンの原稿を書いていたのであっという間だった(←考えてみれば移動中5時間もずっと仕事し続けてた訳ね…) 今までいろんなセミナーや講習会の講師はやってきたが、今回の持ち時間は20分と最短だ。逆に言えばその短時間に中身を詰め込まないと行けないし、失敗も許されない。通常の講習なら2時間前後なので話す内容を大まかに決めて適度な時間配分を考えながら話す程度なんだが、今回はホテルの部屋で通しリハを繰り返し行った。喋る内容だけではなく、声の出し方や話すスピードもテストを繰り返した。 で、そのホテルがゴージャス!古いトコロのようだが格式あるところなんだろう、きっと。 明日プレゼンをする場所なんか、ちょっとしたコンサートホールにでも使用できそうな所だ。観た瞬間、「Blues Brothers」でのコンサートホールを連想した。それも曲は「Sweet Home Cicago」じゃなく、故キャブ・キャロウェイが唄った「ミニー・ザ・ムーチャー」(笑) そういう雰囲気で黒いヒラヒラしたカーテンが下がって、ゴージャスな内装が施されたホール。明日はいっそ唄うか?(笑) 夕食は講演会の講師のお偉方や先方の経営陣&営業部隊と一緒に、これまたゴージャスな中華の会食。酒は氷砂糖を溶かしながら呑む暖かい酒だった。高いんだろうなぁ、これ。自腹じゃない有り難味を味わいつつイタダク。 その場の話題は「国際金融市場の安定度」「日本経済の将来」「公共団体の今後の在り方」「不景気の原因と対策」…etc。よくそんな会話しながら食事ができるなぁ。普段俺の頭の中で渦巻いてるのは「ARBのツアーが始まる」とか「アンジーのアルバムはもうすぐだ」とか「夏の剣道の活動予定」とか…何たる落差!絶対俺の頭の中の方が楽しいぞ!…と心で思いつつ、即座の現場の話題に対応して話に付き合う。一応ゲスト扱いなんで、それなりにしなきゃね(笑) 会食も終わり部屋に戻ったのは午後9時過ぎ。出張先でこの時間に全部終わって一人でゆっくり出来るのは珍しい。今回、手元にはVAIOノートもあるし、たまには小説でも書くか…といった当初の予定は、結局読みためていた菊池秀行の小説を読むことで潰れてしまった。小説を書かずに読んじまって何やってるんだ?>俺 寝る頃には、気がつけばもう午前2時を回っていた。小説読み出したら何時間でもあっという間に潰してしまう所は、何一つ変わっちゃいねぇ。 「何一つ変わらないことに気がついて 坂の途中で立ち止まる」というRCの曲を思い出しながら眠りについた。 |
1999.07.04(日) 和歌セッション 沖縄のPowerful Girl、和歌之介さんが来福し、じゃあ彼女を囲んでスタジオでセッションでもやるベェか、と斎藤さん@ブローニング・ドライブが企画したセッションオフに参加させてもらった。 とは言っても主要メンバー(ギター=斎藤さん、久米さん、とおるさん、タイコ=青松さん、ベース=若杉さん)は実力者揃いで、ストーンズ・ナンバーを中心にスルスルとセッション曲をこなしていく。 「こ、これは割り込む隙がない…」 などと思いつつ、気持ちとは裏腹に(笑)ついついサイドマイクを分捕って、邪魔なコーラスなどを入れてみる俺。 斎藤さんに指名されりゃマラカス持って「風を吹け」は唄うし、「I Feel Good」はロクに曲進行も分かってないのに「俺が唄うぜ〜」などとほざいてマイクを奪うし、しまいには一人で(正確にはドラムスの青松さんに無理やり一緒に叩かせて)RC版「上を向いて歩こう」なんぞ弾き語りまでやってしまった。後になって勝手にはしゃぎ過ぎたと、かなり反省モード。「いやぁ、オモシロかったよう!」と何人かに言ってもらったのでかなり救われたが…。ム〜ン、これからはもっと自重しよう!(といったところで自分がアテにならない(苦笑)) セッション自体は思いつきで「この曲やろうか」と言って始めても様になってしまう(スライダーズを簡単に音合わせしただけでピシャリ決めてしまった)良か演奏だった。クールで淡々なわけではなく、「Little Wing」や「Hey, Joe」といったジミヘンナンバーで水を得た魚のごとく久米氏が嬉々として弾きまくって熱い演奏も聴かせてくれた。和歌さんも皆に押されて楽しげに何曲か唄ってくれた。 で、楽しいセッションタイムの3時間はアッという間に終わり、皆は飲みへ、俺のみ後ろ髪引かれる思い(え?誰も引いてない?)で自宅へ(泣)その後も遅くまでそうとうみんな呑んだくれたとのことで、同席できなかったのは残念至極だが、またそのうちこういう機会もあるだろう。また呼んでくれ(笑) で、自宅へ帰ったのは巧樹の誕生パーティのため。下の日記にもあるように、誕生日は2日なんだが、今日は義父母を交えて改めて誕生パーティ。 今まで我が家の誕生パーティは、手ごろ感から、さかえやの生クリームデコレーションが定番だったのだが、この日のケーキはトリアス久山内のコストコ製(1999.06.06(日)のDiary参照)。いかにもデカイモノ好きな欧米人使用のバースデーケーキだ。 やはり、改めて目の当たりにするとデカイ。我が家では珍しく半分近くが余ってしまったほどだ(それも次の日にはキレイになくなったが)。 こうして、自分だけの遊びと家族の行事を交えてこの日も過ぎていった。どっちも楽しめる環境にいる俺は、幸せかも。 |
1999.07.03(土) 幼児達の夏祭り 夕方から幼稚園で夏祭りがあったが、あいにくの雨。 元々子供の数に比べて幼稚園が狭い上、雨を避けて園児・その他父兄などの客も屋内へ。 先生たちも外で予定されていた踊りを屋内で何とか子供たちにやらせたり、大変。 それでも雨はやがて小ぶりになり、ほとんど上がった。 で、子供たちはびしょ濡れの園庭を走り回ったり、あちこちの店(母の会で用意した出店)を廻って食料やクジの景品を抱え込んだり、と楽しそう。多少の雨が降ろうと、子供達は元気だネェ(笑) 予定されていた花火も雨のせいで上げられなかった。決して大きい花火ではないが、至近距離からの打ち上げなので、あれはあれで綺麗なんで、見れなかったのは残念。準備していた裏方さんたちはもっと残念だっただろう。 こういう機会があれば子供も浴衣が着れるし、その子供を見ているだけでこちらも楽しい。好きな映画やバンドを観たりするのと同様、こういう行事も日々の生活の大きな楽しみの一つになっていることを、ふと実感した。 |
1999.07.02(金) だるまの天ぷら この日は末っ子の巧樹の誕生日。プレゼントを買うために、女房と二人で街へ。 (昔は必ず事前に買ってたもんだが、最近はその日になってバタバタ買うようになった。忙しくなったもんダ) 俺がPCの買付をしている間に女房は赤ちゃん本舗へ。そこで待ち合わせて「ポケモンアイランド」を買って帰る。 幼稚園のお迎え時間を気にしながら、どこで昼食取ろうか、と話す。 外食の機会が少ない女房(ほとんど俺と外食するだけ)は、何を言っても食べたいと言う(笑)。 ふと、思いついて、「だるまの天ぷらに行こうか?」と言うと大賛成。 この天ぷら屋は吉塚にあって、旨い、安い、汚いの三拍子?が揃った、地元では有名な店だ。篠栗に来てもう10年近くなるが、ずっと行こう行こうと言いながら、天ぷら屋だし、いつも行列で待ち時間が長いため、子供が小さいからと諦めて、なかなか行けずにいた。 店は最近改装したらしく、ちょっとこぎれいにはなっていた。注文も食券制だ。なんか龍龍軒みたい。 二人で各々オオエビ定食¥800也を注文する。ご飯の盛りによって10円刻みで定食の金額が違うのが面白い。 時間的に客も一杯で、最初注文してから天ぷらが出てくるのに時間がかかり、その間漬物や塩辛でご飯を進めていた。空腹のせいもあって、やたらこれも美味かった(笑) 天ぷらは一品ずつ順々に運んでくるので、熱々が食べれる。猫舌の俺でもやっぱり常に熱々は嬉しい。天ぷらの衣は見事にパリッとしている。素材も量も申し分なく、この値段でこれだけの味の天ぷら定食が食べれるのはかなりお得。 十年近い念願をようやくかなえて空腹を満たした二人は、すっかり満足してそのまま幼稚園のお迎えへと向かった。 この夜もいつものように子供たちに「お父さんとお母さんだけズルーイ!」と言われた。 坊主共よ、勘違いするな。これはあくまでお前達を美味しいお店へ連れて行くための下見なのだ(笑) |