1999.08.31(火) 麺尽くし
終日外回りの日。夏の外回りは暑いしカッタルー!
この日唯一の楽しみは昼食のラーメン。
南区の方へはあまり行かないので、せっかくだから旨いラーメン屋を事前にチェックして行く。
色々候補はあったけど、最終的に入ったのは寺塚(野間大池の近く)にある「郷屋」という店。
結果は大満足。福岡の醤油ラーメンではトップクラス!
オーダーした辛ネギラーメンは、細切りの白ネギを特製赤ダレで炒めた具がたっぷりトッピングしてある。チャーシューの味もとんこつ系に付いてくるそれとは一味違って、ダシの味がよく利いていて旨い。う〜、書いててまた涎が出てきそうだ(笑)
値段は¥630と少々高めだが、充分それに見合う味だった。この味でこんな場所じゃもったいない、市内の中心部でも絶対繁盛するのに…と思ったが、午後に店に行ったにも関わらずお客が多かった。逆にこの場所でこの客の数はやっぱタイシタもんだ、と思った。
とにかく、この店はすべてのラーメン好きにお薦め!場所知りたい人は、連絡くれれば地図を送ります(マジで)
早めに終わって17時前には戻れるはずだったのが意外と長引いて、帰り着いたのは19時過ぎ。
その日の夕食(この日の場合はディナーか?(笑))は、スープスパゲティに温野菜のサラダだった。
スープスパゲティは、最近ひさみのお得意料理になりつつある。具はベーコン&シイタケとシンプルだが、その分、味の良さが際だっていい感じ。しかし、家族6人分、約700gのスパゲティ用のスープはなかなか見応えのある量だった(それも一食で空っぽになるし(笑))
温野菜は、カボチャの甘みにアイランドドレッシングが良く合って旨い。一緒に飲むビールもやっぱり旨い(笑)
腹一杯喰って、程良く酔えていい気分になれた(喜)
麺好きの俺には、2食連続麺類でも全然OK!というか、かえって嬉しい(笑)
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1999.08.30(月) 工藤ちゃん
ひさみが珍しく(笑)スキンケアをしていてその間暇だったので、『探偵物語』の頃の松田優作をPCで描いてみた。
ほんの10分ほどで出来上がったので、
「ほら、結構松田優作に似ちょろう?」
と言って見せたら、
「松田優作のフリした変なオジサンの絵だ」
と言われた。…結構気に入ってたのに(泣)
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1999.08.26(木) 親子練習試合
剣道の練習で、志朗と練習試合をやった。二本取って勝った。かなり嬉しかった(笑)
正直、動きはもはや息子の方が早いだろうから、戦況が不利なら体格にモノを言わせて押し転かしてでも…とまで考えていたが(←我ながらまったくオトナゲなし)、落ち着いてやってみると相手の出方も予測できて(こっちは志朗が小学校の間の6年間、ずっと試合を見続けているのだから動きが分かるのは当たり前!)、綺麗に技を入れることが出来た。
息子と並んで面を取りながらどっちが防具外すのが早いとか話し、一緒に黙想して先生に礼をする。親子で一緒にやる楽しさは格別!
横で章祥はじっとこっちの動きを見たり先生の話を聞いたりしながら、始終くっついていた(奨悟と巧樹は、隣の畳の上を転げ回っていたが(笑))。
「お前も次から残って一緒にやるか?」と訊くと、大きく「ウン!」と頷く。よっしゃ、分かった。お前も仲間に入れてやろう(笑)
この日も先生が「来年の一月には初段の試験ですから、頑張りましょう!」と言っていた。…どうやらマジらしい。しかし、そんな簡単には取れないと自分では思っているので、あせらずじっくりやって行こう。
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1999.08.25(水) タン太郎
…別にタヌキの唄とは何の関係もない、念のため(笑)
女房が加入している生協の注文には、「タン太郎」と言う端末を使う。
注文したい商品のコードを「タン太郎」のテンキーに打ち込むと液晶ディスプレイにコードが表示される。打ち込み終わったら、指定の電話番号に電話し、受話器を「タン太郎」のスピーカー部分に置くと、スピーカーからピポポと音が出てデータが送られる。
…ここまで読んでピンと来た人もいるだろう。そう、これは旧時代の通信端末、音響カプラなのだ。
(つまり、端末の「タン」を取って「タン太郎」な訳ね…って、誰がその意味に気付くネーミングなんだ?)
携帯端末やPOS対応していないレジから本部にデータを送るため、何年か前までは大活躍していた通信機器だ。俺もサラリーマン時代は、オフコン用ハンディ端末のプログラム書き換えのため、音響カプラ片手に九州一円を回ったことがある(スーパー系の「こと○き屋」とか、明太子の「や○や」とか、弁当の「○っかほっ○亭」とか(笑))。ネットワークのダウンサイジングと通信インフラが整備・普及されるにつれ、近年見なくなったと思っていたが、こんな所で利用されていたとは。これを使っている主婦の99%はそんなこと知らないわけで、コンピュータ機器をコンピュータと意識せず通信しているはず。誰でも簡単に利用できる…音響カプラはやっとそういう使い方をされるようになった訳だ。
そのうち、モデムだTAだルーターだと小難しいこと考えなくても色んな用途で利用される時代になるだろう。そうなったら俺は失業してしまうので、それまでに何か別のオモロイ仕事を始めておくようにしよう(笑)
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1999.08.24(火) 志朗Birthday
…この日も泳ぎ。夏の終わりになって何を慌ててるんだか(笑)
志朗の誕生日だし、海の中道サンシャインプールのチケットが安く手に入ったんで家族で行って、俺は巧樹の面倒を見ると称してひたすらプカプカ浮いていた。
「おとーさん、寒いからあっち行こーよー」「寒くな〜い」などと子供相手に勝手なこと言って空を眺めて浮き輪でプカプカ。
夏も終わりだし平日だしカンカン照りじゃないし、で人出は少ない方だろう(TVとかに良くここが映ってるけど、イモ洗い状態だもんね) 閉散としてる訳でもなく、適度に空いてて遊びやすい。
志朗・章祥・奨悟は3人で好き勝手にあっちこっち行ってなかなか捕獲できない。ひさみも水着で巧樹と遊んだり写真を撮ったり。それぞれが気ままな休日を…世間は平日だけどね(笑)
帰りにケーキを買って帰り、帰宅後ヘロヘロになってるひさみが残り少ない余力で作った牛丼で(笑)誕生パーティ。こういう誕生日もいいね…って子供をネタに一日遊んでただけのような気もするが(笑)
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1999.08.23(月) Bye, Bye 能登川Children
ホントに色々と行事が目白押しの今年の夏だったが、その中でももっとも大きな山といえるホームステイの受け入れも、あっと言う間に最終日。
朝早くから雨の中子供達は太宰府に出かけ、慌ただしく帰ってきて昼前に公民館でお別れ会。
この日になってI君は
「僕、まだ帰りたくないわ〜ずっといたいわ〜」
を連発している。嬉しい事言ってくれるよ(笑)
「またいつでも来い!九州来たらウチに泊まるといいぞ!」
と言うと、嬉しそうにニッコリ笑っていた。
大急ぎでお別れ会を済ませて、JRに乗ってそれぞれの子供達が色んな思い出を詰め込んで帰って行った。
俺達も忙しいけど楽しかった。また行き来できるといいね、琵琶湖の子供達…と思う親の気持ちなどお構いなしで、子供達は充分やる気だ(笑)次男以降の弟たちは、兄ちゃんが行ったから当然自分たちも行くものと思ってるし。当分ゆっくりした夏を迎えれそうにはないな、コリャ(笑)
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1999.08.22(日) 玄界灘を泳ぐ
…何か釣り番組のタイトルみたいだ(笑)
能登川町のI君が、この日のみ丸一日我が家に居る日だったので、海水浴に連れて行った。
何処に連れて行くかで色々悩んだけど、福岡ドームもスペースワールドも町の方で連れて行ってしまったし、海でほとんど泳いだ事がない(琵琶湖がすぐ近くなので、泳ぎといえば"淡水浴"ばかりらしい)という事で、んじゃ海に行こう!となった。
海に着いてからのI君の一言一言が面白い。
「うわ〜海や〜海や〜っ!!」
に始まって、
「うわ〜波があるんや〜」「水がなんか辛いでぇ〜」
と、当たり前の事を嬉しそうに言う。
体はデカイが言うことや仕草はまだ子供で、ウチの子らに完全に溶け込んで遊んでいる(笑)
かなり波が強めで、奨悟などはモロに波に飲まれて水を飲んでいたが、淡水浴で鍛えているI君は楽しそうだ。
泳げるが決して得意ではない志朗は、I君に泳ぎの勝負など挑もうともしない。剣道には引き連れて行ったくせに、とことん自分のテリトリーで勝負する奴…変な所が俺そっくり(笑)
ここ何年もずっと誰かをダッコして海に入っていたが、一番下の巧樹も浮き輪で一人で遊べるようになった。だが安心は出来ない。ふと気付くと、ずっと向こうで浮き輪やシャチで遊んでいる志朗とI君よりまだ沖の方へ、ニコニコしたままパシャパシャと進んでいく。当然、足がつく場所じゃない。お前は玄界灘を渡るつもりか!?慌てて志朗を捕獲に向かわせた(足が着かない所は俺だって怖い!(爆))
章祥は今年かなり泳げるようになったようで、ゴーグルを付けて(このゴーグル姿を見ると未だにイカ天バンドのスイマーズを連想してしまう)潜って遊んでいる。一人乗り用のシャチは子供達(+俺)で順番に乗っていたが、章祥はシャチのコントロールに一生懸命で、これも気付くとけっこう沖側に行っている。「おーい、アキ〜、そこ足つかんゾ〜」と言うと、慌ててシャチの上から海に飛び込んだ。ヤバイと思ってのとっさの判断だったんだろうが…それ、自殺行為じゃないか?(笑)
そのシャチは、波が強いため、上手くやると波乗りのようになって面白い。俺もそれで数度遊んだが、順番が回ってくる間はひさみを引きずり込んだりして遊んだ(笑…こうやって書くと、まるっきりガキのようだ>俺)
途中で、ふいに大雨が降り出した。海の上を雨が近づいてくるのが分かる。少し雨宿りすると、痺れを切らした子供達はどうせ一緒だからと再度泳ぎに行った。それにつられてあちこちで人が泳ぎ始める。お前ら、勝手に人の子を見習うなよ(笑)
雨は30分ほどでウソのように上がった。降り始めた時と逆に、雨の後が海の上をどんどん遠ざかって行った。
ひとしきり遊んだ後で、先だって目を付けていた"奇怪が島"に行ってみた。
が、潮が引ききっていないので、渡る目安となる陸地がない。深さも分からず、ちょっと諦めかけていたら、どこかの兄ちゃんが腰半ばまで浸かりながら渡って行った。
兄ちゃんが渡った場所に目星をつけ、俺達も後に続く。
距離にして100m程度、何故か島との間だけ波が穏やかで水も澄んでいる。
渡った島は打ち上げられた海草とそれに群がるフナムシの大群、そして名前も分からぬ社だけがあった。
「…じゃあ、帰ろうか」
そこで何をするわけでもなく、島を後にした。何となく、行くべきではない場所だったのか?
(その後特に何かあった訳じゃないが)
午後5時近くなったので、まだ遊びたいを連呼する子供達を何とか引き揚げて海を後にした。
その後は近場の新宮の温泉(というより健康センターみたいなトコ)でさっぱりとしてラーメンを食べに連れに行った。
(そういえば温泉の前に明太子のお土産を買いたいというので、福屋にもつれて行った(笑))
本人の好物欄にラーメンと書いてあっただけあって、I君は今までの少食が嘘のように別人の如く食べた。チャーシュー麺に替え玉に餃子!…やっぱり、けっこう人のウチで緊張してたんやろうなぁ。それともひさみの料理が口に合わなかったか?関西風の味付けと違うからか?でも、それじゃあトンコツのラーメンは食べれないしなぁ(笑)
彼はここでも替え玉を珍しがって喜んでいた。いちいち素直に珍しがってくれるので連れて回る方も楽しい(笑)
結局家に帰り着いた頃には午後9時を過ぎていた。これで後はバタンキュー…と思っていたら、TVでやってた映画の『ネバーエンディング・ストーリー』を最後まで観ていた。(リマールの主題歌がやたら懐かしいぞ!)
I君はウチに来てからずっと夜は興奮して寝不足ぎみだったようだが、この夜はさすがにグッスリだった。
(ウチの子はいつでもどこでも爆睡しているが(笑))
いよいよ、明日はお別れだ。心おきなく福岡を楽しんでくれただろうか?
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1999.08.21(土) 主婦の生活
前日の晩、あの時間に寝たにも関わらず、ひさみは朝きちんと起きて朝食を作っていた。ホームステイのI君は今日は町の引率でスペースワールドに行くから起きなきゃいけないのは当たり前なんだが、それにしても偉い。
本人にとっては何でもない当たり前の生活のリズムなんだろうが、こういう時俺の横で主婦をやってくれているひさみに感心してしまう。
(だからといって自分が何か協力してやる訳ではないんだが(爆))
友人のI川さん夫婦は昼過ぎにまたの再開を約束して帰っていった。
しかし、お互いの子供が大きくなるのは早いもんだ。互いにもう12歳、ということは知り合って12年だ。
広島を離れてもいまだにこうやって遊びに来てくれることが嬉しい。
ますます可愛くなった茜ちゃんは、そのうち志朗なんか相手にしてくれなくなるに違いない。志朗も剣道で鍛えて逞しくなって少しは振り向いてもらえるように成長してほしいものだ(笑)
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1999.08.20(金) ホームステイ受け入れ
やって来ました、能登川Children!我が家に来るのはその中でもダントツでデッカイ172cm!の小学生。身長も体重も俺以上だ!
昼過ぎにこちらについてそのまま町の公民館で歓迎会〜市内観光があり、夕方6時頃にやっと各家庭に散っていく。
が!我が家に来るI君は幸か不幸か家にそのまますんなりと来らせてもらえず、そのまま志朗の剣道の練習に付き合わされて体育館へ(笑)
体育館では、何でもその体躯に目を付けて指導の先生にスカウトされる所だったとのこと(笑)身長に合わせて貸してやった俺の大人用の竹刀を、「おばちゃん、これ軽いわ」と言って軽々と振っていたらしい。
やっと夜8時に家に連れて来てもらったI君は、落ち着く間もなく驚愕する。
俺達が広島時代に仲良くしていた一家(志朗が産まれた時からの付き合い)が、急遽この日家に泊まって行くことになったのだ。
我が家が6人、友人一家が5人(夫婦+子供3人)にI君を合わせて総勢12人の夕食。
初めて九州に来て他人の家に泊まっていきなりこの食事だ、さぞ驚いたことだろう(笑)
デカイ体に似合わず志朗よりも少食で、さっさと子供部屋のある二階へ上がって行った。
でも、我が家の子とも打ち解けて遊んでるようで一安心。狭いウチの風呂に子供達ばかり5人で一緒に入っているのが可笑しかった。
2階の子供部屋だけで遊ぶのに飽きたらず、俺の部屋の各PCでゲームをやって遊びまくる子供達をやっと寝かせた頃にはもう午前0時を過ぎていた。それからやっと大人の宴の時間の始まり(笑)
揃って吉田拓郎好きの友人夫婦なので、音楽話で盛り上がる。興が乗って俺がエレキギターを二本ミニアンプ付で持ってきて、二人で軽くコードを合わせる。そのうちそれだけじゃ飽き足らなくなり、なぜかあのねのねの「赤とんぼ」の音拾い(笑)
女性陣はそんなダンナ達は放っておいてお喋りに興じている。
楽しい酒宴が終わったのは午前4時。皆、最後には酒でヘロヘロになって布団に転がり込むようにして寝た。絶対、両夫婦とも明日のことなど考えてなかったと思う(笑)
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1999.08.19(木) 反吐が出そうな…
…この世に唾を吐きかけてェ〜♪
などと安っぽいPUNK ROCKの歌詞みたいなモノとこのタイトルとは何の関係もない(爆)
休まず運動を一気にやって、気持ち悪くて吐きそうになる感覚なんて、高校卒業して以来、忘れていた。
再開した剣道はホントに色んなことを思い出させてくれる(笑)
こっちも大人なんで決して指導の先生も無茶はさせないが、ギリギリの線まで打ち込みを止めない。
腕も足もヘロヘロになり、肩で息をするようになって「今日はこの位にしておきましょう。ゆっくりと体力も付けていきましょう」ということで、やっと終了。
中学の頃は、練習中に面を外す暇もなく、面の中で吐いていた(←キタネー!)が、こんな感覚すら新鮮で楽しい(笑)
この歳になって初めて学ぶ喜びを感じている。
小学校の頃から塾に通って、大学受験、就職しても回りを見返してやりたくてコンピュータのことを覚えるのに必死だった。
剣道は誰に迷惑をかけるわけでも生活に響くわけでもない。純粋に自分の技術を高めていくために学ぶ喜び。
焦らずゆっくりと一生この喜びを持続できるように続けて行きたい。
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1999.08.18(水) サンハウス決算(2)
前日作成した帳簿を持って、税金を払うための書類を作り(税務署や役場にお金を払うためにわざわざお金を出して申告書類を揃えるのって、何か変だよなぁ。当社は申告にお金かけてないけど(笑))に、二人で…じゃなく長男も一緒に三人で博多駅前の会計事務所へ。
といっても自分が役員している会社の事務所でもあるので、何の気兼ねもナシのお気楽気分(…って、気楽なのは俺だけか?)
K女史(笑)の心強いヘルプもあって無事決算書類作成終了。いや〜ヨカッタヨカッタ(決算の数字の収益が多いともっと良いんだが(爆))
せっかく博多まで家族で出てきたから、と昼は駅の地下食堂街へ。
三人とも腹減ってるくせに目移りしてあれも食べたいこれも…とさんざん迷って、結局マグロの鉄火丼を食べた。旨かった。志朗は大人一人前だけ食べて、まだ物足りなさそうだった(笑)
後は今期の会計のやり方を検討(仕入れと売上の内容を詳細に把握できるように、販売管理と連動させることにした。なんかまるでマトモな会社の会計のようだ(笑))してお仕舞い。
なんとか夏休みの宿題をやって退屈せずに済んだ長男も一緒に3時のオヤツを貰ってから事務所を後にした。
夜は恒例の「オツカレサマ」乾杯。
が、何かスッキリ終わった気がしない、とひさみは言う。
会計のシステムがまた今期から大幅に変わって、内容を今一つ完全に理解してないせいだろう。心配するな、俺もよく分かっていないゾ(爆)
また一年、手探りでやって行けば何とかなるもんさ。Take It Easyで行こうぜ!
(…って、やっぱりお気楽なのは俺だけ?この日35歳になったのに我ながらいつまで経ってもしっかりしない奴(笑))
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1999.08.17(火) サンハウス決算(1)
会社の決算のため、税理士の先生(=俺が取締役をやっている会社の社長でもある)に来てもらって、ひさみと三人、頭付き合わせて決算資料の作成。
伝票は一年分、ひさみがなんとか必死の思いで打ち込んだので、それを元に総勘定元帳や試算表などを印刷してチェックしてみる。
入力ミスで現金勘定が180万円マイナスになっていた(爆)以外は、大して間違いもなく、後は各役場に提出する資料を作ってもらうだけになった。
しかし、年商の割には身入りが少ない。バブルが弾けて以降、業界自体の単価が急落しているのである程度は仕方ないが、それにしても労働効率をもっと上げる工夫をしないと、収入は上がらないし、第一俺自身がきつくてイヤだ(笑)今期の最大の課題だな、こりゃ。
とりあえず、この日の作業を終えて、先生に夕食をご馳走する。ホームステイ受け入れ準備のためこの日やっと田舎から帰ってきた志朗以外、子供がいない我が家の夕食はとても落ち着いている(笑)
先日奥さんを亡くされたばかりの先生にとって、賑やかな家庭の夕食もたまには良かろう、と思っていたのに、あいつ等まったく田舎から帰ってこようとしない。羽根伸ばし過ぎっだつーの!
「チビちゃん達がいないと、静かだねぇ」と先生も言う。もっとも、ウチの子達が先生に良くなついているので、ちょっと顔を見れなかったのは残念そうだ。有り難いことだ。
子供達には、我が家に来るたびにオミヤゲをくれる。いつもちょっと気の利いたステイショナリーで、選ぶこと自体を先生が楽しまれているようだ(笑)その点でも、オミヤゲもらって喜ぶ子供達の顔をお見せ出来なかったのは残念。次回は4人共取り揃えてお待ちしております(笑)
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1999.08.14(土) 二人のバケーション
子供達4人全員を女房の実家に送り届けた。ヤツラは17日まで親の手を離れてやりたい放題だ(笑)
俺と女房はそこから喪服に着替え、仕事関係の初盆参りへ北九州の黒崎に出かけた。
無事お参りも済むと、たまには旨いものでも喰わせてやろうと思ってそこからすぐ近くの回転寿司屋へ。
割と評判の店で、回転寿司といってもネタは大きくて新鮮(その分値段も張るが)
考えてみたらひさみと二人で寿司屋に行くなんてのは初めてだ。
広島の頃は「そのうち寿司屋にでも行ける身分になりたいよ」なんて言ってたが、やっと行けるようになった(回転寿司だけども(笑))
一皿2個づつだから二人で分けて食べていたが、結局最後まで二人で分けて食べた…つまり量的には俺と同じだけ!こいつが沢山食べるということはそうないので、それだけ旨かったということだろう。ヨカッタ!
帰路は高速のつもりだったが、途中の電光掲示板に7km渋滞の表示が出ていた。お盆だからなぁ。
ということで、3号線を通って帰ることにした。
いつもみたいに混んでなくて、1時間半位しかかからず、早めの15時前には家に着いてしまった。17日に会社の決算処理で家に税理士の先生が来るため、ひさみは盆休み返上で伝票入力をしなけりゃならない。帰って直ぐに仕事!というにはあまりに可哀相なので、とりあえず近くのファミレスにパフェを食べに連れて行った(笑)
パフェを二人で食べながら、来週来るホームステイの子を何処に連れていくか話した。海水浴か水族館のマリンワールドだろう、ということになって、それじゃ今から下見に行こうぜ!と俺が悪魔の囁き。
でも伝票入力が…と渋るひさみに、明日の朝から一日集中してやれば間に合う!今日行かないともう下見に行く暇もないぞ!!と強引に納得させて、海の中道に下見へ。何のことはない、今日、俺が遊びたいだけだ(笑)
海の中道はお盆なのになかなかの人出だった。お盆には泳いじゃいけない、なんてのはもう昔の話なんだろう。
志賀島まで足を延ばすと、金印公園など面白そうな所はあるし、ちょうど玄界灘の真っ正面辺りの海岸に国民休暇村があって、海水浴のロケーションはバッチリだ。膝が付く程度まで海に浸かって渡れる所に鳥居を祭った小さな島もあるし、冒険だって出来るぜ。あれを今日から勝手に"奇怪ヶ島"と命名して遊びの目的地としよう(笑)
他にも海水浴場はもう一ヶ所あって、どっちに連れてこようか二人で悩んでいたら、海から上がって来たどこかの日焼けした兄ちゃんが、友達に「クラゲが一杯刺した!バリ痛てぇ!!」と話しているのが聞こえた。なるほど、こっちはクラゲが出るのか。"奇怪ヶ島"の方ではクラゲ被害者らしき人は目撃しなかったぞ。ということで、やはり"奇怪ヶ島"側に連れて行くことに決定!サンキュー、どっかの"バリ痛かった"兄ちゃん!!
ホームステイの子が来たら、海水浴の後に豚骨ラーメン食べて温泉に入って…と計画を立てて、その下見も済ませて家に戻ったのは19時過ぎ。
その後、以前俺が出張で泊まったゴージャスなホテルから調達してきたバブルバス(泡風呂)の素で遊び、下見の帰りに買った日本酒と牛たたきの刺身で酒盛りをした(子供がいないと、こんなにも沢山刺身の分け前があるのか!)。
ということで、結局伝票入力を中止し終日、一日だけの二人の夏休みを過ごした。
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1999.08.13(金) 区内(死霊の)盆踊り
区(といっても福岡や北九州のように大きな区ではなく、人口3万人を切る篠栗町を20区に分けた単位)の盆踊り大会。女房は育成会(つまり子供会)の役員のため、出店の手伝いで大忙し。おまけに、現場の段取りが悪くてモタモタしているもんで、ストレスが溜まる。
盆踊りはZ級映画「死霊の盆踊り」の如く、踊る人もマバラで盛り下がることこの上なし。「『ダンゴ3兄弟』を炭坑節の振付で踊りましょう」って言われても、ちょっと無理すぎやしないか?(笑) こんなのは、事前に地域の婦人会にでも頼み込んでサクラを集めておくべきだろう。
現場の進行がヘタクソなため、手伝いに来ていた地元中学のタイコ部のオネェちゃん達もやりづらそうだ。
来ている地元の人達も盆踊りに興じるわけでもなく、ただフラフラしたり、知り合いを見つけて喋ったり。取り憑かれたように出店で食べ物を買い漁る子も何故か多かった(笑) こりゃ、盆踊り大会というより集団夕涼み会だ(爆)
時間も21時を回って、締まりなく「それではそろそろこの辺で終わります〜」と酔っぱらったオヤジのアナウンス(進行のオヤジが既に酔っている)が流れる。やっと終わったんで帰ろうと思うが…誰も動かない。老若男女すべてがじっとしている…なぜ?
「…では、引き続き福引きの抽選を始めます〜!」
とたんに会場の草野球グラウンド全体が熱気を帯び、ワッとみんな一斉に並び始める。見ると景品が自転車に米に旅行券…なるほど、そうだったのか!(死霊の)盆踊りは前座で、みんな福引きに来てた訳ね…ハァ〜半日以上潰して出店の手伝いをしていた女房の立場って一体?(泣)
なんか、みょ〜に疲れてその場を引き揚げたのだった。こんなツマラン催しに貴重な時間を取られるなら、マジで子供会と町内会、抜けよかな…
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1999.08.12(木) Route"3"Band再始動!
2月にやったLive以来、久しくメンバーが集まって音を出してなかったが、ようやく練習を再開した(ひとえに激務のせいで練習に参加できない俺の責任だが)
去年の11月にバンドを十数年ぶりに再開して以来、徐々にだが蜘蛛の巣が張っていた喉は戻りつつある。唄い方も工夫して変えてみることで多少は良くなるだろう。後は歌詞を忘れないようにしなきゃ(笑)
レパートリーも増やして、また年末辺りにどっかで演りたいので、個人練習も多くこなして、今度は前よりずっと良くできるようにしよう。
剣道の練習も、腹から声を出す訓練になるといいんだが(笑)
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1999.08.09(月) 平和の鐘
仕事中、車の荷物を取りに外に出ると町内放送をやっている。
「…鐘を合図に、ただ今から1分間の黙祷を捧げます…」
そうか、今日は長崎の原爆記念日だったんだ。
音声の悪いスピーカーからは、割れた鐘の音が鳴る。
空は晴れ、日差しが白いコンクリートに反射して眩しい。次男の作った向日葵が風に吹かれて揺れている。やけに静かな夏の昼前の時間。
爆弾が落ちてすべてが吹っ飛んでしまうのは、きっとこんな日なんだろう。
55年前のことなんて俺は知らないし、いくら本で知識を得たところで実際の悲惨さは分かるべくもない。だから黙祷しても何かを思い出すわけじゃないので、目はつぶらない。代わりに目を開いて周りを見渡し、ちょっとだけ戦争のことを考えた。とても静かで長い1分間だった。
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1999.08.08(日) 群体
「群体」…「郡民体育大会」の略。ぐ、"郡民"…カッチョワルーッ!"市民"に対して"郡民"って…あまりにも土着性を感じさせ過ぎる名前やおまへんか!?
…などという俺の疑問とはまったく関係なく、この日、年に一度の「群体」は開催されたのだった。それも場所は今年、ここ篠栗が当番町ということで、一斉に町内のあちこちで柔道やらバレーやらの大会が行われた。
で、競技種目に剣道もある訳で、それには剣道会所属の子供を指導してもらってる先生方も大勢出場し、となると後援会のご父兄はお手伝いをせざるを得ない…ダッー!何で今年に限って!!俺が現場の責任者かい!?
「いやいや、用意のほとんどは我々でやりますし、当日は中学生も手伝うので、お父さんお母さんは駐車場とお茶出しを…」との言葉を信じてたのに…バカだった。当番町で会場を担当するのは当たり前、主催者側の剣道会の所属の人たちはそれぞれ選手として競技に出てるので、我々が走り回るしかないじゃないか!!
それぞれ手分けして、各競技パートの進行や連絡、先生方の接待から弁当数十個の受け取りまで父兄で走り回った。剣道会からは父兄8人を頼まれていたが、どう考えても手が足りそうになかったので前もって女房があちこちに声をかけていた。十数人の父兄&更に6年生を5人でてんてこ舞い。
お茶がまったく足りずに女性軍が走り回って確保したり(結局8リットル×13回分作ったらしい)、冷房のない体育館内でステージ上の役員席が暑いと言われれば調理室から業務用の扇風機を借りてきたり、出場する選手が見あたらないと言えばあちこち駆け回って探したり…最後は、競技終了後の後片付け・掃除まで済ませてもうヘロヘロ。
ともあれ、玉竜旗観戦に始まって、JR杯の熊本遠征〜少年玉竜旗〜この日の群体と、この夏の剣道行事は一通り終了してホッとした。
でも、この後は会社の決算とホームステイが待っている。忙しかったのでまだロクに遊びにも連れて行ってない。多忙な夏はまだまだ終わりそうにない。
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1999.08.06(金) 志朗奮戦−少年玉竜旗−
1日のJR杯に続いて、この日も大きな大会。今度は参加が全国規模の少年玉竜旗!
正直、大会規模と参加チームのレベルから、自分の子は一本でも取って来れば上出来、と思っていた。
もちろん、後援会会長としては自分の子のことだけを考えるわけもいかず、チームとして一勝でもしてくれればいいな、という感じだった。
まんざら望みがない訳でもなかった。篠栗小学生2チームとも、選手個人の技術レベルが平均化しているわけではない。で、今回の試合はすべて勝ち抜き戦。実力がある子が連続で相手を敗れば、そのチームに勝ちが転がり込んでくる可能性は高いのだ。冷静に見て、志朗のチームで勝てそうなのは先鋒と志朗、もう1チームの方はずっと志朗のチームより総合力は高いが、志朗と同等かそれ以上は副将と大将のみ。両チームとも、勝ち残りはこの4人にかかっていた。
試合会場は九電記念体育館で、福岡市内でも試合は熊本遠征と較べたらグッと楽だった。ただし、駐車場を主催者側が十分に確保しておらず、駐車場で他の車とギリギリの位置でみんな車を止めていた。
参加チームは中学生を含めると700、小学生だけでも250チームに及ぶため、こちらの試合開始時間は両チームとも12時前後と遅い。気持ちがだれ気味になる子供達に、引率の先生達が頃合いを見て練習したり竹刀の調整をしたりしてくれている。
そんな中、ふと体育館内から外の駐車場を見ると、一緒に来ていた父兄の軽自動車が何やら大人数人に抱え上げられて無理矢理移動させられている!
速攻ですっ飛んで行って
「あんた達、何を人の車を勝手に持ち上げてんだよ!」
と言うと、「いや、ちょっとズラした方が車が通りやすかったんで…」とモゴモゴ言ってやがる。
なおも、勝手に抱え上げられて車体にキズが入ったらどうしてくれるんだ、アンタ達どこの人間なんだ、と問い詰めると急に逆ギレしはじめた。
警備員がズラしたって構わないと言ったんだ、と言うので、何だと、警備員がここに置けって言ったんだ、こっちこそ悪くない!と言い返す。
少し言い合いを続けていたが(ちなみにこっちは俺一人で向こうは大人4人だ)、そのうち、向こうの一人が
「だいたい、毎年同じ所でやってるのに車を止める場所をちゃんと確保しない会場側が悪いんだ!」
悲痛な声を上げた。思わず
「そう、その通りだ!我々がこんな所で喧嘩している場合じゃない!」
と答えると、一気に意気投合してしまった(笑)
結局、熊本から朝5時過ぎに出てやって来て何とか車を止めようとしていた先方の気持ちも理解し、お互いのチームにエールを送ってその場は別れた(笑)
夏の最中で館内のクーラーがまったく行き渡らない劣悪な環境に置かれて、長く待たされている間に起こった一幕だった。
ようやく11:40頃に、進行の関係で志朗のチームともう1つのチームは隣通しのパート、ほぼ同時にそれぞれの試合が開始された。
志朗のチームは、さすがに先方の子が強い!まだ5年生で体も小柄なのに、体に特殊なエンジンでも付けているかのような迅速な動きで次々と相手を倒していく。
父兄も興奮してワーワー言っている。当たり前だ、まるで篠栗ではないようなこの活躍!選手も未体験なら親だってこの興奮は未体験だ(笑)
一方のもう一チームは、あろうことか次々と相手の先鋒に倒されていく。小学生離れした動きで綺麗に小手と胴が決まってしまう。
結果、こちらのチームは先鋒が5人抜き!(つまり次鋒以下は試合しないまま勝った)、もう一方のチームは逆に相手の先鋒に5人抜きされてしまった(この相手チームの先鋒は、次の試合でも5人抜き、合わせて10人抜きをやったほど強かった)。
自分が戦ってもいないのにガッツポーズを決めて意気揚々と引き上げてくる志朗達、対照的にガックリと肩を落として言葉も交わさず戻ってくるもう1チームの子達。先日のJR杯とまったく逆の光景になってしまった。
午後2時を過ぎた頃、ようやく志朗達の二回戦が始まった。
この試合でも先鋒が引っ掻き回してくれれば…と他力本願の望みを抱いていたが、一回戦での疲れが残っているのか、動きに先ほどまでの冴えが見られない。遂にはどちらも決め手に欠けるまま、時間切れで引き分けとなってしまった。ヤバイ!
実力から考えても、次鋒以降あまり相手を勝ち抜いて行く望みは…予想通り?なかった(泣)
大柄で技も切れる相手チームの次鋒の前に、こちらのチームは次鋒、中堅、副将…とあっと言う間に倒されてしまった。どうせ負けるにしても自分の後に結果が繋がるように、もっと粘るなり相手を疲労させるなり考えてやれよ〜!と思ったが、小学生に多くを望むのは無茶か。
一回戦と打って変わって、さっさと大将の志朗の番が回ってきた。相手は未だ疲れた動きを見せない。ウ〜、せめて一矢だけでも報いてくれ…と思って見ていると、何と志朗の得意な下がり胴が見事に決まった。さっと上がる審判の旗、大喜びする俺達夫婦!(笑)
先に2本取った方が勝ちだが、この際逃げ回って時間切れまで取り返されないようにすれば…との親の姑息な期待も空しく(笑)、志朗は積極果敢に攻める。そして更に小手がもう一本!…あろうことか、勝ってしまった。息子よ、よく頑張った。お父さん、次で負けても仕方がないと諦めるよ。
…調子に乗ったのか、次の中堅にも勝ってしまった。ど、どうなってるんだ。ホントにウチの子か?
特に別人のように綺麗に動けている訳ではない。いつものように足がバタツキ気味だし、剣だって特別早いわけでもない。でも、積極的に攻める姿勢が見て取れる。引率の先生も「気迫、気迫だ!我々でも試合ではなかなかあそこまで気迫が籠もらない」と興奮気味。
3人目の副将戦。流石に副将ともなるとなかなか取らせてもらえない。ジリ貧で決着がつかないか…と思っていると、またも志朗の下がり胴が決まった。ヨッシャァ〜!これ以上は相手に接近して打たせるな〜!!結局その一本が決め手となって時間が来て志朗の一本勝ちに!
3人抜いちまったよ、あの志朗が!この頃には我ら馬鹿親夫婦だけではなく一緒について来た父兄全員で応援していた。
まったく予想もしていなかったが、大将戦で勝ってしまったら逆転で勝ち抜きできるかも!との期待までにわかに膨らんできた。
(この時志朗は自分は中堅とから戦い始めたと勘違いして、副将戦後に試合が終わったと思ったらしい。お気楽な奴だ。でも、どうやら気持ちが高ぶって勝手に体が動くナチュラル・ハイ状態だったらしい(笑))
しかし、そこまで上手く物事は運ばない。相手の大将はやはりピカイチの腕で、志朗がホンの少しだけバランスを崩した所に面を決められてしまった。だが、それでへこたれる様子も無く、志朗は果敢に前に打って出る。何本か連続で技を出して、ここぞ!と面を振りかぶった所に、相手の抜き胴(敵の胴が空いた瞬間を狙って走り抜きながら胴を決めるカッコイイ技)が見事に入ってしまった。最後は密かに志朗が狙っていた技でやられてしまい、無念の大将戦二本負け。
しかし、俺も女房も大満足だった。周りの父兄も健闘を讃えてくれた。クゥッ〜、後援会の会長やって苦労してきた甲斐があった〜!!(感涙)
少しすると志朗達が引き上げてきた。負けても相変わらずニヤニヤ笑ってる締まりのないチームメイトに少し遅れて志朗が戻ってくる。
「志朗、やったじゃねぇか!」
今日ばかりは手放しで誉める。ん、てっきり調子に乗って舞い上がって戻って来ると思っていたのに、何かあんまり嬉しそうな顔してないぞ?と思って志朗の顔を覗き込むと、急にポロポロと涙を流し出した。
「お、おい、何で泣くんだよ!?」
「…負けたけん、悔しい」
そのセリフを聞いて、馬鹿親の胸はジンと熱くなってしまった。こりゃ、こいつはもっともっと伸びる!と思った。
泣く志朗をみんな遠巻きに見ていたが、ちょっとして手拭いでパパッと顔を拭くと、顔をサッと上げて笑いながら
「でも俺、結構凄かったろう?」
と周りを見渡して言った。ちょっと心配そうに見ていた父兄達もホッとしたようだ(笑)
そう!その切り替えの早さがお前の持ち味だ!!俺だってお前が良い方に転がって行けるんなら、これからもどんどん協力するぜ!だからまだまだ俺達を驚かし、喜ばせてくれよ!
…しかし親バカだね。子供がちょっと試合に勝っただけでこの日記の長さだ(笑)
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1999.08.04(水) POKEMON in トリアス
家族全員で、トリアス久山内のワーナーMAYCALまで「POKEMON IN MOVIE・ルギア爆誕」を観に行った。
ポケモンと笑うなかれ。我が家ではこれを観てないと、家族の話題についていけないのだ(笑)
以下、感想を列記。
○ キャナルシティのAMCと較べて音が格段に良い。ドルビーシステムがバッチリで、
本当に背後からニャースの声が聞こえるので、観客が大勢後ろを振り返っていた程だった。
○ スクリーンの映像もぼやけておらず、大変シャープ。
○ 観客席は傾斜が強いため、子供の前の席に大人が座っていても、子供の視線で充分スクリーンが観れる。
○ 客は以外と少なかった。平日の朝イチだったためか?別の日にSTARWARSを観に行った人の話によると、超満員だったらしい。
○ ウチにとっては近くて駐車場代もかからないのが助かる!
○ 映画は、併映の「ピカチュウ探検隊」共に、前作より面白かった(←って、大人の俺が面白がってどうする?(笑))
○ ルギアは以外と良い奴だった。前作のミューツーのような敵キャラタイプを想像していたのに。
○ 今でも館内のショップで見たオースティン・パワーズのリアルなフィギュアを購入しなかったことをちょっと悔やんでいる。
映画館がグッと近くなったし、レイトショーに毎月1日と料金が安くなる機会を狙って、これからボチボチ映画館に行く回数も増やして行きたい。
1ヶ所に複数のスクリーンがあるんだから、1つ位、モンド系やカルト系の映画もやってくれんかいな、などとも考えてしまう。例えば…
○ 「コミック雑誌なんかいらない!」「水のないプール」等の内田裕也特集
○ 「狂い咲きサンダーロード」「爆裂都市」「逆噴射家族」の石井総互3本立て
○ 「アイズ・ワイド・ショット」やってる隣のスクリーンで「時計仕掛けのオレンジ」「博士の異常な愛情」「バリー・リンドン」のキューブリック特集
○ 「8・1/2」「アマコルド」「道」などのフェリーニ特集
○ 「ディーバ」
○ 「ピンク・フラミンゴ」「ソサエティ」「人肉饅頭」などのゲロゲロ映画
○ 「サボテン・ブラザース」「14日の土曜日」の大バカお笑い映画2本立て
○ 仁義なき戦いシリーズ全作品フィルムマラソン
○ 「遊戯」シリーズ、「野獣死すべし」「蘇る金狼」などの松田優作全集
○ ストーンズのフィルム特集
○ 「ファントム・オブ・パラダイス」「ロッキー・ホラー・ショ」の超Rockin'映画2本立て
…考え出したらきりがない。こんな風な組み合わせで上映されるなら、俺は絶対行くけどナァ。でも、たぶんこれじゃ…潰れるだろうなぁ(苦笑)
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1999.08.03(火) 剣道再開
最近、やたらと子供の剣道ネタが多いが、今回は自分の剣道の話。
中学卒業以来遠ざかっていた剣道の練習を、正式に再開することにした。先生の熱心な勧めと子供の剣道着購入に、重い腰をやっと上げた。
子供の練習が終わった後、子供の先生から俺だけ個人指導して貰う。
久々に人に学ぶ喜びを感じた。人に教えるより教わる方が新鮮で楽しい(笑)
練習が終わって先生の奥さんが差し入れてくれた冷たいお茶を飲みながら、これからのことを色々と話す。
「中倉さん、三段まで行きましょー、三段まで!」
までとは、練習前から言っていたが、どうやらマジで言ってるらしい(笑)
来年の一月には段審査を受けてだとか、いずれは指導者にとか、何やら恐ろしいことも言っていた。
ま、やるからには段位が欲しいのは事実だし、息子達にちゃんと教えるようにはなりたいと思ってはいたが…先生が燃えている(笑)
いや、自分のために燃えてもらっているんだから、こっちもその気でやらなきゃ失礼だな。
竹刀振るのはストレス解消にもなるし、いっちょ頑張ってみよう!ネット上で公言したら早々にケツ捲る訳にもいかないしね(笑)
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1999.08.01(日) 一路南へ−剣道熊本遠征−
JR九州杯少年剣道大会。九州全体から250チームが参加する大きな大会。もちろん篠栗がこんな規模の大会で遠征するのは初めて。
朝6時にマイクロバス(何故か某幼稚園の送迎バス(笑))を含む車4台で出発し、高速道路を使って一路熊本へ。一般道を使って土砂降りの中、車8台で苅田に遠征したことを思えばずいぶん楽だ。
会場に着くと、観光バスを丸ごと一台借りていたり、自分の所でバスを持っている剣道会もあったり(「○○剣道館」などと車体にプリントしてある)と、みんな色々工夫して来ている。しかし、交通手段一つとっても気合いの入った所が多い。ちゅうか、みんなお金かけとるな〜!
試合は、志朗のチームは一回戦敗退、もう一チームは一回戦を四勝一分と快勝!向こうの父兄の顔はにやける、こっちは葬式帰りのような雰囲気(苦笑)
志朗も大将の割には引き分けて勝ちを取れなかったので叱ったら、シュンとなってしまった。同じチームの他の子は…じゃれ合って笑い合っている。お前ら、負けたら反省しろよ!指導の先生の眼が吊り上がっているのに気付かないのか!?
篠栗の残る一チームも二回戦で負けてしまった。弁当を食べたがって着替えようとする子達を制して、「お前ら。今から練習だ!」の先生の喝の声が飛ぶ。結局、選手全員が試合場隣の体育室を使って、30分ほど練習をさせられキツイ説教を喰らっていた。ナマ緩いことばかりじゃなくて、たまにはキツイ目に合うぐらいで今の子にはちょうどいいかも。
「子供達が頑張ったら、試合の後熊本に遊びに連れて行きましょうかねぇ。その後、熊本ラーメンでも食べましょう」とか試合前は行っていたのに、試合結果が不満な先生達の目の中には闘志の炎がメラメラと燃え(子供達ももう少しメラメラしてくれていいんだが)、昼食の弁当を食べるととっとと帰路に着いた。嗚呼、せっかく熊本まで来たのにトンボ帰りか?前もって熊本の観光スポットやラーメン事情を調べていた我が家(および情報を提供してくれた村崎さん)の立場は!?
…まぁ、仕方がない。結果が悪けりゃ良い目は見れないことを子供達に分からせることも必要だろう。
途中、山川パーキングエリアに寄って子供達にみかんのソフトクリームを食べさせてやった。ま、これ位はしてやらなきゃね。
福岡まで帰っても、子供達はそれぞれその日の練習で夕方からまたみっちりしごかれたらしい。デカイ大会がまた目前に迫ってるんだ、今度は気合いを入れて良い結果を出してくれよ!
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