1999.10.31(日) 週刊剣道大会…とJust Say "Fuck No!"
学園祭真っ最中の九州産業大学の体育館で剣道の大会。いつものごとく後援会長として夫婦で出席。こうなってくると、週刊剣道大会だ(笑)
試合形式は一風変わっていて、総勢約100チームが8ブロックに分かれ、それぞれ2試合行い、勝ち点の高いブロック内上位2チームが決勝リーグ進出。
この日は志朗・章祥が同じチーム。先週と違ってお互いあまり変わらない学年と当たるはずだ。
2試合済んだ結果、我が子は二人とも引き分けまたは勝ちで負けナシ。チームも2試合とも勝ち。結構いい感じで決勝リーグ選出チームの発表待ち。
ところがなんと、勝ち点が足りずに我がチームは決勝リーグに残れず。試合は負けていないのに残念!!当大会のルールで試合に勝つだけじゃなく、本数を多く取っていないとダメらしい。
決勝進出と思って子供達・父兄共に気持ちが盛り上がっていただけに「何で!?」の連発。が、仕方ないので、我慢していた弁当を配って、食事が済んだら決勝リーグの試合観戦。この悔しさ、今後に活かしてくれればいいが。
帰宅後、夜からは町立の武道館で後援会&剣道会の臨時総会。俺と女房の発案でみんなを集めたこの席で、俺はより活発な後援会活動を父兄に促し、先生達にも改めてヨロシク頼む、とやるつもりだった。
しかし、なかなか話は思惑通り進まない。というか、みんなそれぞれ勝手な思惑があったようだ。日頃ロクに手伝いもしないのに先生にベンチャラ言って勝手なこと言う奴、自分の子供がちゃんと連絡のプリントを持って帰っていないことを棚に上げて後援会の運営に対する疑問を口にする奴、父兄に口出しさせず子供達を好き勝手にいじり回そうとする一部の××…オメェ等、まとめていい加減にしろ!!(怒)
会議の議事次第も分からずに大人やってんのか?お前等が全部後援会の仕事やってくれるのか?一人一人に電話してやっとこ総勢40人以上を集めたウチの立場は?わざわざ自分がやり玉に挙げられるためにやっただけ!?ウチの陰口叩いて涼しい顔してるのは誰だ?××、××…って持ち上げてやってたら調子コキ過ぎてんじゃねぇ!
結局、思ったような話は全然できず、頭の中で渦巻く怒りと混乱する気持ちだけが残った総会だった。午後7時から10時半まで、3時間半もさんざんそれぞれが好き勝手なこといいやがって、まったく無駄な時間を演出してくれやがって!
父兄が帰った後も先生達だけが残って話し合いをやっていた。一旦二人で家に帰ったが腹に据えかねた俺は再び家を飛び出し、雨の中武道館へと車を走らせた。が、すでに武道館の明かりは落ち、人影もなかった。こっちの文句言ったらとっとと話はお仕舞いか!?
これで引っ込むと思ったら大間違いだ。あんた等、相手間違ったな。俺は決して好戦的ではない(と自分では思っている)が、専守防衛、ピストル向けられたら機関銃で打ち返さなきゃ気が済まない。何より、やっかいな問題でひさみを悩ませていることが腹立たしい。俺の女に迷惑かけたのと一緒だ。
ということで、スポーツ月間が終わったと思ったら、剣道場外乱闘バトルフィールドの11月に突入するのだった。キーワードは『沈黙の艦隊』だ(怒笑)
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1999.10.30(土) Go!Go?アビスパ
小学校が希望者にサッカーJリーグのチケットをタダでばらまいてやがる。観客が少ないんで、せめて子供達に興味を持ってもらうように家族も一緒に招待という形でチームが提供してるらしい。しかし、希望者はほぼ全員タダ券が手に入るなんて、同じプロスポーツでもダイエーホークスに較べて何とお寒いことよ。
サッカー人気なんて結局一時のブームだったのか?もっとも、この福岡という土地柄は強い者には好意的で弱い者には冷たい、という何とも分かり易い土地柄であることも確かだが(苦笑) Jリーグ落ち崖っぷちの今のアビスパ福岡の姿が、かっての最弱だった頃の太平洋クラブ〜クラウンライターライオンズと重なって見えるのは果たして俺だけか?
もっとも高校の頃はサッカー部に入ってた(←意外に思う人も多いと思うが正真正銘本当だ)俺にしても、特に今のプロサッカーには興味ない。車で20分程度の博多の森競技場に出かけるのもこれが初めてだ。
昔の平和台を想像していたので、かなり閉散な様を予想していたが、お〜結構いるじゃん、人が!ウチ等みたいにタダだから来た親子風も多いが(笑)
試合が始まる前、徐々に観客席も埋まって行く。結構いい入りなんじゃないのか?
で、試合開始と同時に観客も盛り上がっていい感じ。
試合は、結果1−3で負けたが、それなりに楽しめた。
でも、サッカー選手って態度デケーぞ!(怒) 試合後グランドを回って観客に顔見せするんだけど、挨拶したり手振ったりしたのはサポーターが集まるS席の応援席だけで、あとのこっち(いってみりゃ自由席みたいな場所)は自分達でペチャペチャ喋りながら素通り。そんな偉いのか、お前等?人気無くなったりJリーグ落ちしたりしたら首でプーになるんだろ?何様だい!?
あと、気になってたサッカーのサポーターのノリは実際どんなもんじゃろかい?という事なんだが…う〜ん、何か変。
女房曰く「イヤなノリのロックバンドのコンサートみたいだ」と。
なるほど、正に言い得て妙。四六時中唄(しかもいい唄とは思えない)を唄い自分達だけ盛り上がり、敵チームの選手がフリーキックに近づくとブーイングの嵐(旗で相手を突く仕草までする)。そんな連中にだけコビを売る選手も含めて、大した実力もないのに斜に構えたバンドとそれに合わせて皆同じ動きを繰り返す気持ち悪ぃファンのようだ。
俺はこれでもサッカー自体は好きだし、日本のサッカーだって頑張って欲しいと思っている。しかしこんなんじゃダメだろう!これがアビスパだけのものであること(または俺の勘違いであること)を信じたい。
サッカーの試合自体は楽しめただけに、これはよけい残念だった。アビスパせめてJリーグに残れ!で、選手もサポーターもお前等何とかしろ!(ちゅうか変わらんならいっそ消えてくれ)
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1999.10.27(水) 奨悟の父兄参観
またも夫婦で父兄参観。奨悟ボケーッとし過ぎ!章祥以上!!
帰って来てから…(以下、章祥と同じ)
…そりゃ泣き顔は可愛いけど、ちゃんとしてくれよ〜、泣きたいのはこっちだよ〜別に塾行ってまで勉強する必要はないけど学校の勉強ぐらいはちゃんとやろうぜ〜(こっちが泣きたい)
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1999.10.24(日) 神社と力士と剣道
隣の志免町岩崎神社で子供の剣道大会。結構大規模な大会で、神社の境内で裸足で戦う屋外の試合は、なかなか見応えがある。
また、時期が大相撲九州場所前と重なるので、例年この神社に相撲部屋が来ている。ウチの子達も最後の方は練習中の力士に遊んでもらっていた(笑)
章祥の対外公式試合のデビュー戦でもあったこの試合、チームは1回戦負け、章祥も2本取られて負けてしまった。でも大柄な6年生相手によく頑張ったんで俺達夫婦は満足。他の4〜6年の十数人の上級生を差し置いてわざわざ選手に選ばれた(事前に町内の練習試合で勝ち抜いて選ばれたらしい)だけの試合はしたと思う。
志朗のチームも2回戦まで進んだ。志朗は勝ちこそ取れなかったが気合いの入った試合でこっちのムードを高めれたんじゃないだろうか?
チームのキャプテンでありながら大将ではなく先鋒に回されてショックを受けている志朗に「先鋒にされて悔しかったら先生を見返せる位の試合をして来い!」とハッパをかけたが、よくやったよお前は。
町内のもう1チームは結果3位まで勝ち進んだし、まぁウチの少年剣道会としては御の字の結果じゃないだろうか?
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1999.10.18(月) 章祥の父兄参観
このクソ忙しい月に父兄参観までありやがる!Fuckin'!!…と思いつつやっぱり父兄参観に参加する俺(爆) 平日ということもあり、父親は俺一人だ(苦笑)
で、章祥は、終始ボケーッとしている。親はハラハラする。何で俺に似てこんなにマイペースなんだ?(笑)
帰って来てから、章祥は俺とひさみにこっぴどく叱られた。こんなことなら父兄参観に来てくれない方がいいんじゃないか?
「お前、あげんボケーッとしようならわざわざお父さんもお母さんも父兄参観やら行かんぞ!」
と叱ると、ポロポロと涙を流しながら
「イヤだーっ…」
だと。…可愛いじゃねぇか、この野郎(笑)
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1999.10.17(日) 獅子舞
今年も獅子舞が来たぞ、ほらお前達表に出てごらん、頭を噛まれると健康になるんだぞ、だから怖がるなよワッハッハ、こりゃいつもご苦労さんですお賽銭をどうぞ…
と毎年やってたのだが、今年はひさみが子供会の役員で付き添い(つまり「ご苦労さんです」と言われる方に回った訳だ)のため朝早くから出ていき、子供達4人も全員ついていった。従って俺一人留守番の寂しい獅子舞の日。
しょうがないので仕事したりPCしたりして時間を潰していたら、昼前になってようやく我が家に回ってきた。
例年玄関から飛び出していた我が子達は、俺の目の前で獅子を持ったり賽銭箱を持ったりして並んでいる。ひさみも後ろの方で大勢の子供達の整理に手間取っている様子だ。
自分の子供に賽銭を渡すのは妙な気分だった。こうやって子供達の成長を実感するわけやね。
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1999.10.13(水) 迫り来る水洗トイレ
ココみたいな小さな町にも下水道整備の波が音訪れ、我が家が暮らしている地域でも来年3月までなら町から補助金が出る(といってもトイレ1個につきたったの2万円!工事費は数十万円かかるのに!)ということで、ウチでもそろそろ真剣に水洗化を考える時期に来ている。
ということで、この日下水道工事の業者(つまり工務店)がやってきて見積もりと説明を夫婦で聞いた。
ウチにはトイレが2つあるので、配管工事など一切合わせて80万円近くかかるらしい。
…宝くじに一発夢を賭けて一攫千金でも夢見るしかないか?(泣)
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1999.10.11(月) 町内少年剣道大会
前日と開催場所は同じでも、今度は主催者側で大忙しの町内剣道大会。町内の小〜中学生の少年剣道部員全員が参加する。
普通対外試合に出ない低学年の子達にとっては、年に一度だけ人前で試合が出来る日でもある。
運営するこちら側も、事前から左のようなポスターまで作って準備にかけずり廻っていた。
まずは、学年別の個人戦。結果、奨悟が準優勝、章祥が優勝、志朗が4位でなんと長男だけ入賞せず!小学生最後に町内で一番強い小学生になることを目指してやって来ただけに本人もショック、親もかなりショック。わざわざ今年は賞品を奮発して楯にしたのに〜!
続く団体戦(5チーム対抗)、志朗と章祥が所属するチームが優勝。何とか志朗にも金メダルが取れて、ヨカッタヨカッタ。
午後からは親子対決。今年からはアナウンスもちゃんと付けて、観客を盛り上げる。
俺は後半に奨悟→章祥→志朗と3人続けて対戦。奨悟相手に本気でする訳にはいかず、何とか2本取らせてやろうと思うが、なかなか決まらない。最後はわざと腰を屈めて頭を下げ、面を打たせてやった(笑)
2人目の章祥は、「今年は本気で勝てる!」などと不届き極まりないことを言っていたので、ちょっとマジメにやって一本勝ち(我ながら酷い親父だ(苦笑))
最後の志朗は、昨年志朗の成長ぶりに思わずジンと来て負けてやったら、一年間「僕はお父さんより強い!」と言われ続けたので、今年は現実を認識させる必要がある。子供との試合なら、体格差を活かして鍔競り合いでバランスを崩させ、そこで一本…と思っていたが、目の前で審判をしているのは俺の師匠。「お父さん、教えた通りに正々堂々と試合してくださいね!」と釘を刺されていた(←読まれている)ので、ずるい手や姑息な手が使えない。結果、一対一の引き分け。
う〜む、口惜しや!
その後、子供の相手指名による師弟対決と続き、何とか無事大会は終了した。例年より盛り上がったし参加者も多かったので、ひとまずは成功と言えるだろう。
が、この後××達と色々と揉めることになろうとは…仮にも人に「××」と呼ばれる人なら、人格者であってほしいが、現実はそうも行かない。
(だいたい、個人技である剣道をやってる人は、独りよがりで協調性に欠ける人も多いと思う(笑))
よく分かったのは、××達の半数以上は、自分たちは敬意を持たれて当然で○○を自分たちの小間使い位にしか思っていないと言うこと。
「××」と人に呼ばれたら自分は偉いと勘違いする奴が多いよな。バカじゃねぇの?いや、バカだろう(笑)
ということで、この後やっかいなバトルステージに突入して行くことになる。
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1999.10.10(日) シャッフル・ボード
町内のスポーツ競技大会とやらで、子供達が子供会からシャッフル・ボードなるものに出場。
オリンピックの種目である、氷上で玉転がしてシャカシャカとレレレのおじさんをする奴(競技名を知らない)にちょっと似ている(似てないか?)
4人1組で出る競技で、当初は長男の志朗だけが出場する予定だったが、人出が足りないとのことで急遽章祥も出場した。
志朗達は1試合目は勝ったが、2試合目で負けて準決勝出場を逃した。が、志朗達が負けたチームに章祥達のチームが勝った!
何故か剣道の友達ばかりで組まれた他の町の子供会チームにも快勝して、結局代打で出た章祥のいるチームが優勝してしまった。
会場となった町民体育館は、大人も子供も入り乱れて人口密度極めて高し。毎日、こんなのばっかりだ(苦笑)
次の日は、この同じ場所で町内少年剣道大会を運営しなきゃいけない。
何で今年はこんなにスポーツの秋しまくってるんだ?
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1999.10.09(土) 幼稚園の運動会
♪呆れた蒼さだ空の色〜
ってな鼻唄でも唄いたくなるような秋晴れの空の下、この日は末っ子・巧樹の幼稚園の運動会。
小学校も観客席が父兄で溢れていたが、幼稚園はそれより更に人口密度が高い(笑)
校区変えるなり敷地増やすなりせぇっちゅうねん、この××町行政がぁ!「福祉に力を入れてる町」っつったって老人福祉ばっかりじゃねぇかこの野郎!選挙権がない子供達の育成環境はおざなりか!!
…などと怒りを感じつつも、流石に幼稚園の運動会観戦も7回目になると、なんとなくポジション取りの要領も良くなり、狭くて父兄がひしめく中、あまりウロウロもせずに観れた。
子供達の競技を観ながら、志朗がへろへろのタコ踊りをしていたとか、章祥はミョーに一世風靡セピアに合わせて踊るのが決まってたとか、奨悟が1つ下の子と一緒に仲良く手を取って走っていたとか、他の子達の幼稚園児代を思い出す。兄貴達に較べて、巧樹は末っ子らしく腕白でふてぶてしい。
何であんなに目深に帽子をかぶってるんだ?おかげで見つけやすいが(笑)
幼稚園の運動会は、園児達がダレてしまう前に、午前中で終わってしまう。この後に続く我が家の色んな行事参加を思えば、この疲れない程度の時間配分はありがたい。少なくともあくまで観客で、準備する側じゃないし(笑)
ということで、明日のスポーツ行事に続く。
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1999.10.05(火) PC98昇天U
さ〜今日も元気に仕事しましょ〜パソコンの電源オーンッ!…ガガガガガ!(←厭な感じのハードディスクの稼働音)…まったく起動しない。昨日まであんなに元気に動いていたのに(泣)
という感じで、不幸は突然訪れる。一週間前の朝からいきなりサブマシン(通称:PhoenixV)が起動しなくなってしまった。
業務の作業自体はほぼメインマシン(通称:PhoenixW)にインストしてあるソフトでやってたから致命的な打撃ではないが、作成したデータはサブマシンに置いてLAN接続でデータアクセスしていたから、今までのファイルがまったく開けない。
このサブマシンは、先日クライアント先で急遽昇天したNECのPC98と同型で、同時期に購入したものだった。このマシンの寿命は4年に満たないのか?
PC98に内蔵していたハードディスクをむりやりDOS/V機に接続してハードディスクまるごとコピー。しかし一部ディスクに物理的損傷があるらしく、少しだが既存のデータが破損してアクセス不能(泣)
結局、復旧作業にこの後一週間以上も潰してしまい(子供の運動会中もマシンはLAN経由で黙々とリモートの復旧作業をこなしていた)、予定していた仕事にも大幅な遅れが出てしまった。
こんなこともあったから、金輪際公私ともにNECとはサヨナラしようと思う。もちろん今までさんざん泣かされた富士通(何でオフコンとパソコンであんなに部品の品質が違うんだ!?)も使わない。でも安いのは依然この2社。クライアントからメーカー指定が多いのもこの2社。いっそのこと、デスクトップならIBMでノートは東芝!と固定できたらどんなにか楽だろう。でもクライアントのニーズを優先したらそうもいかない…
なんてこと考える暇があったら、遅れた仕事を取り戻さないと!トホホ…
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1999.10.03(日) 小学校の運動会
朝から快晴で、無事小学校の運動会が開催された。
子供達の競技の前に親達の静かな戦いが早朝から始まる。
各学年4〜5クラスと生徒数の多い小学校の割には校舎もグラウンドも広くなっていないので、運動会の場所取りが大変な訳だ。
朝の7時前にはビニールシートを持って場所取りに向かい、テントの設営完了と同時に日陰目指してシートを抱えた父兄ゾンビ共(含・俺)がテントの下に殺到する。
何とか場所取りもして、家に戻り、9時前に再びグラウンドへ向かった。ヤレヤレ、だ。
志朗は応援団で長い鉢巻きを巻いて張り切り、章祥は「だんご3兄弟」の次男役を嬉々として踊り、奨悟は上の写真のように真剣に走った。親としちゃ退屈しない楽しい運動会だった。無論、小学校に3人も子供が行っているので、単純に考えても半分以上の競技に自分の子供が出ている訳で、退屈どころか何とか近くで見ようと場所移動に大変だった。
(しかし来年は幼稚園・小学校・中学校と3回も運動会に行かなきゃならない。これは大変そう)
でも、運営方針にはちょっと不満。
「子供に劣等感を植え付けない」ように、近年の運動会では必要以上?の競争や順位付けを極力避けている。
かけっこは事前にタイムを計って、似たようなスピードの子同士で走らせる(どっちみち順位付けするから関係ないと思うが)。
危ないから騎馬戦もなし。観戦してて燃える競技も無い。
俺がガキの頃は、足の遅い奴はクラス全員のかけっこしか出ないが、足の速い子は学年対抗や部落リレー(炭坑町だから地区間で対抗心を盛り上げるような競技があった)と出ずっぱりだった。昔は年に一度運動会の時だけヒーローになれる奴がいたけど、今はいない(主催者側が認めない)。全員仲良く平等にお手手繋いでチーパッパ、の感が拭えない。
無理矢理平等にしたって、所詮みんな能力に個人差があるわけで、運動が得意な子も鈍くさい奴もいて当然だと思う。建前だけの仲良しを演じている気がするのは考え過ぎか?
…などということも思いつつ、この後、怒濤の「スポーツの秋」月間に突入する。
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