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1999年 12月 |
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1999.12.31(金) 大掃除滑り込みセーフ 年の最終日になってようやく自分の部屋を掃除する時間が取れた。 PC内部のファイルの整理や業務用書類の整理など、すべき事は山ほどあったのにそんな暇など既に年内には残されていない(←当たり前!) 例年なら窓掃除や壁の掃除まで俺が手伝える部分は手伝えるんだが、今年はその分を子供達がやってくれた。 子供が多いと、タマには良いこともある(笑) とりあえず畳の上に散らばっている書類を片づけて…あ、これはファイリングしないと。これは目を通してから捨てよう。これは…だぁっ〜!一向に進まない〜っ!!いっそまとめてそのうち片づけることにし、袋にどんどん放り込む(こうしていつまでも整理されない袋が部屋のアチコチに未だに隠されている(爆)) PCの掃除もする暇なし。年末、クライアントのPCは散々掃除機をかけたりクリーナーで拭いたりしたのに(泣)とりあえずさっと表面を軽く拭いただけ。 カセットテープとCD、ビデオテープは既に我が家の収容力をオーバーし、更に増殖中。これもとりあえず適当な空箱に詰め込んで、目立たないように部屋の隅に…(嗚呼、こうやって迷子の音源が溜まって行くんだ!分かっちゃいるけど…!!) こうして室内のアレコレを整理…もとい、見た目上隠して(爆)、何とか表面だけ掃除を済ませたのがもう午後6時前。 それから、床の間に2台の自家用車の車内、俺の仕事部屋、流し…と家の中あちこちに酒と餅・みかんを飾り付けていく。 何とか年越しそば(=この日の夕食)を食う頃に一息つくことが出来た。 北島三郎は「おじゃる丸」のテーマを唄わないし、前のようにウルフルズが出場する訳でもないし、我が家的には盛り上がらないこの年の紅白はパスしてドラエモンの年末特番を観、TVをだらだらりと流してれば直ぐに訪れるミレニアム。ウチの家族は街へ繰り出してカウント・ダウンのバカ騒ぎに加わることもなく(←子供がいなけりゃ間違いなくひさみと街に出てただろうが(笑))、家の中でいつもの新年を迎えた。 そして例年通り近くの神社に行って(今年は昨年のように「バトル初詣」を繰り広げることのないよう、事前に家庭内協定を交わしていた)、家に戻って子供達は寝…ない。 「今日だけは夜起きちょっていいっちゃんね!」 とはしゃぎ回る。 午前3時前まで俺達夫婦で下で飲んでいたが、もうぼちぼち寝ようと2階に行くと、まだみんなで騒いでやがる。 こっちの方が持ちそうにないので、ともかく布団の中で喋っててもいいから、と何とか床には就かせた。 (結局4時過ぎまで起きてたらしい…呆れたモンダ) こうして、我が家にも2000年がやって来た。 |
1999.12.30(木) 年賀状作り やっと仕事納めも済んだと思ったら、年賀状作りが待っていた。 去年、スフィンクスの首をチョン切った案をひさみにボツにされてからもう一年…と感慨にふける暇もなく、怒濤の年賀状作り。 仕事用、プライベート用、ネット配布用、更に坊主共4人分の年賀状の作成、と全7種類作るのに丸一日かかった。 年末になってから、行く先々のクライアントで 「年賀状をPCで作りたいんだけど…」 と相談を受け、 「それじゃあ、教えながら作ってしまいましょう」 と絵を貼り付けたり文字を加工して、既に他人の年賀状は何種類も作っているのに…トータルしたら俺は何種類年賀状を作ったのだろう? それでも他人の会社用の当たり障りのない年賀状と違って、自分の家用となるとついつい力を入れてしまい、その割には時間が取れなくて毎年年末ギリギリに…というのが、お決まりのパターンだが、今年もその例に漏れずこの有様だ。 子供達は下絵だけ描いて俺に渡したら自分たちはもう終わったような気分で、余裕で宛名を書いている。 俺は下絵をそれぞれスキャナに取り込み、 「体はもっと鮮やかに!」 とか 「炎を本当の火のようにして!」 という厄介な注文に応えざるを得ない。 プライベート用は12年前に書いたキングギドラをどうしてもまた使いたくて、プリントゴッコで作った当時の原稿にPC上で書いた新しいイラストを合成した。なんでわざわざ、こう手間で自分を追い込むような作業を思いつくんだ?(苦笑) 仕事用はあまりゴタゴタと書き足したくなかったのでイラストに"SUNHOUSE"のロゴのみのシンプルな構成。 それと、遊び心で2匹の龍が持つ玉に「陽」と「ひ」の文字。つまり俺と女房の名前の頭文字やね(笑)何人が気付いたことか? ネット用は仕事用に"SITE"と書き足して完成…なんてお手軽!(笑) こういう感じで丸一日年賀状にかかった。 部屋の掃除も仕事の書類の整理も終わっていないのに! こんな調子で俺に新しい年は来るのか!? |
1999.12.29(水) 散々な仕事納め あ゙ぁ〜年末の仕事が終わらない〜!!と嘆いても無論誰が助けてくれるわけでもない。 てめぇで請け負った仕事はてめぇでケリつけるしかない。 24〜25日と続けてシステムの再構築を請け負ったが、予想外のマシントラブルが続出し、予定通りには終了しなかった。 そのため急遽この日も現地でマシン調整。 非常勤の役員を務める会社でもあるので、あまり気を遣わずに作業ができるのはいいが、この日はそこが仕事納め。 事務所のメンバーが皆忘年会に出かけていく夕方になっても俺の仕事は終わらない。 複数の人間が好き勝手に使うLAN環境は荒れ放題で、構築中に新たな問題がどんどん増える。 相性の悪いSCSIカードを他のマシンと入れ替えてみたり、飛んだHDDからむりやりセクタ取り出しでデータを救出したり、と手間と根気のかかる作業だ。 ヘタしたら次の日の朝までかかりかねない作業を一つずつこなしていく。 時計が午後10時を過ぎた頃、事務所の男性社員が車を取りに戻ってきた。 「あ〜中倉さん〜遅くまでオッツカレです〜♪」 このヤロ、ご機嫌じゃねぇか(怒) いつもは俺に話しかけるのさえ気を遣う礼儀正しい男なんだが、やたら陽気だ。飲んだ酒が血液と化学合成を起こして、南米の血にでも変化したのか?(←そんな訳ない) 「酒も美味いし、カラオケで唄いまくりました〜ワハハハ♪」 …聞いてないよ。勝手に喋るな(苦笑) そりゃアンタは仕事納めも済んで事務所の女の子と一緒にカラオケやって楽しかろう。でも俺はまだ終わってないんだよ! 八つ当たりしてもしょうがないので、 「そうかい、良かったな。気ぃつけて帰れよ」 と声をかけて適当に追い返す。 今しがた南米化男がやっと帰ったと思ったら、また事務所のドアが開く音がする。 奴が荷物でも取りに戻ってきたか?それとも… もともと何か異界のモノが居る雰囲気の事務所(見た目は普通なんだが、俺は昨夏以来めっきり霊感が強くなってしまった)だから、たまに夜遅くここで作業する時はあまりいい気持ちがしない。 ただ、この日は終わらない作業に業を煮やしていたので、恐怖心よりも 「オバケなんかこんな忙しいときに出るな!ウザッたい!!」 という訳のワカラン苛立ちが先に立っていたので、 「誰だよ〜!?」 と叫ぶと、それも車を取りに戻ってきた事務所の女の子だった。 「中倉さん、お邪魔かなと思ったけど、まだ作業されててソフトや物の置き場所で困ってるんじゃないかと思って、様子見に上がって来ました。どうですか順調に進んでます?」 おぉ、気が利くじゃねぇか!さすが事務所のシステム担当を任せているだけのことはあるぞ!と思って顔を見ると…彼女も見事に南米化していて、すっかりニコニコ&フラフラしている(笑) 「…ご機嫌か?」 「えぇ、沢山飲んで沢山唄って楽しいですよ〜ハハハ♪みんなゴハン食べてお酒飲んでお風呂まで入ってそれからカラオケして〜だから私今化粧してないんですよ!スッピンよスッピン!」 …言わなきゃ気付かないことまで楽しげに喋ってやがる。 「…そ、そうか…車乗れるのか?」 「大丈夫ですよ〜私保険入ってるし〜Nちゃんも一緒に連れて帰るから下で待ってるけど、彼女も保険持ってるっていうし〜♪」 それは大丈夫の意味合いの方向が違うぞ、キミ(笑) 「とにかく、こっちは大丈夫だから気をつけて帰れよ」 と、これも何とか返して再び作業に戻る。 と、途端に作業は順調に進みだしたのだ。 読み込みが不安定なボードは見事に安定し、プロトコルを認識しなかった通信環境は何故かOK、CD-ROMの読み込み速度さえ速くなった来さえする。 酔っ払いの連中に感化され、事務所の機械まで南米化したのか? そんな訳で、作業は零時前に終了! まぁ、結果オーライ。いらついてた俺の頭が気分転換されたせいもあるだろう。まぁ、予想外の南米化訪問者に感謝しておくとしよう。 ともかく、これで何とか仕事納め完了。 帰って次の日からは年賀状作りだ! |
1999.12.26(日) 納会と別れの挨拶と 5日間続いた剣道の寒稽古もこの日が最終日。 (とは言っても俺は途中で温泉に行ったりしていたのだが(笑)) 最終日は例年、練習終了後に子供も父兄も先生達も一緒に豚汁を食べて納会を行うので、後援会の女性陣は前日から仕込みで大変だ。 「今年もお世話になりました」と皆が挨拶に来るのは会長の俺だが、実質的な実働部隊はひさみも含めた女性陣だ。彼女たちには俺から「お疲れさまでした」と言いたい。ついでに「あと3ヶ月、任期満了まで頑張って!」とも(笑) 5日間皆勤の子には竹刀、4日間で手拭い、3日間で鍔と、頑張り度合いに応じてご褒美が配られる。 「今年は賞状も配ってやらんのですか」と××にチクリと嫌みを言われたが、寒稽古で賞状をもらっても子供達は喜ばないことは既にリサーチ済みだ。 ご褒美の用意の為だけでもウチがどれだけ数のチェックや発注で忙しかったか分かりもしねぇくせに! カッコだけつけるために無駄な出費が出来るかコノヤロ、と思いつつ 「皆勤賞の竹刀が子供達には何よりのご褒美でしょうから」 とにこやかに返す。…たまには俺も辛抱してみる(苦笑) 例年、その年の役員の勘に頼る所が大きかった豚汁の味付けも、ひさみが調理師学校直伝のレシピを持ち込んだおかげで、今年の豚汁はとても好評だったようだ。 2杯の大鍋の中身が残らずに空っぽになったのは近年ないことだ。去年は残り分を役員が手分けして持ち帰り、年末は毎日豚汁を食べていたが、今年はその必要もなくて本当に良かった(笑) で、何とか無事納会も終わり、先生も子供達もボチボチろ引き揚げていく。父兄も引き揚げて行く。 皆が大半帰って行った頃、若手の先生が一人、まじめな顔をして俺の方に近づいてきた。 体育館側で指導責任者のG先生のサポートをしている、まだ大学生の先生だ。 「会長、しばらくお休みさせていただくことになりました。お世話になりました」 この事は数日前に志朗から聞いていた。 6年生だけを集め、自分は事情があって3月一杯まで休む、4月からまた来るがもうお前達は卒業してるから教えられないので残念だ、みんな頑張れよ、このことはまだあまり他の子には言わないでくれ、と言っていたらしい。 この先生は、元々G先生から直々に「自分のサポートをしてほしい」と頼まれて先生を始めた篠栗少年剣道会のOBだ。 だから先生と言うよりは子供達の兄貴分に近い。 歳が若い分、純粋で熱心な感じが伝わってくる先生だった。 「志朗から聞いてはいましたが…就職活動などもあるだろうから大変でしょう。無理に引き留めてもご迷惑でしょうからご無理はいいません。ご自身のために頑張ってください」 と言う俺の顔をじっと固い表情で見ていた。 「…というのは会長としての建前です。本心は絶対このまま辞めて欲しくないんで、必ず戻って来てください」 と言うと途端に笑顔がこぼれた。 元々、章祥が一番慕っていた先生で、章祥がここまで伸びることが出来たのもこの先生のおかげだ。 −−一部自主規制−− 指導者として将来有望な先生をこんな形で無くしてしまうのはあまりにももったいなさ過ぎる。自分の覚えのないことで中傷されていた俺はそれだけで腹が立っていたが、この先生には少し申し訳ないことをした。結果的に俺も含めて巻き込んでしまったのか? 少しやりきれない思いがしたが、今更、あれはああだったこうだったと言っても始まらないだろう。 −−一部自主規制−− と言うと 「ハイ」 と大きく頷く。 「ウチの章祥は先生のことが一番好きだといつも言っています。他の子供達も先生を慕っている子は大勢います。ツマラン考え抜きで心底自分たちを教えてくれる先生は誰か、子供達はちゃんと感じ取っているんだと思います。必ず戻ってきてください。私も章祥も、他の子達もみんな先生の帰ってくるのをずっと待ってますから」 というと、その先生は涙ぐんで、しかししっかりと 「分かりました!必ずまた戻ってきます!」 と返事してくれた。 男同士、そこには言い訳もベンチャラも必要ない。こうやって分かり合えれば十分だ。 また気が向けば先生は戻ってきてくれるだろう。その間、俺は俺の約束を果たそう。 こうしてある先生の一時撤退という残念な出来事で1999年の剣道活動は幕を閉じた。 2000年もまだまだ波乱があるんだろうなぁ(苦笑) |
1999.12.23(木) 露天風呂からの朝日 「まだ寝てる〜?」 という感じで社長のお父さんに起こされた。時計はまだ6時半。ごっつぅ元気な人や〜! せっかく起こされたからには、よっしゃ朝日を見よう!ということで、屋上露天風呂へ。 外に出てみると、相当寒い。眼下の田圃は霜が降って真っ白になっている。 吹きっさらしに近い脱衣場で浴衣を脱ぎ、素っ裸でいざ風呂へ小走りに進む。 と、一足先に来ていたFさん親子が 「中倉さん、足元凍ってるから気をつけて!」 と声が飛ぶ。足元を見れば…確かに凍ってる(驚) お湯の流れた後が短時間で凍ってしまうのだろう。あぁ、冬の露天風呂だ、とすっかりいい気分で湯船に浸かる。 幾分熱めの風呂だが、冷えた外気との落差がたいへん心地よい。 ちょっと浸かってはのぼせる前に湯船に腰掛け、冷えてきたらまた浸かる。気持ちE! やがて空は次第に朝焼けを帯びてくる。 「もうそろそろだ♪」 とFさん親子と話しながら、阿蘇の外輪山の向こう側を紺色から次第に朝焼けのオレンジに染めてゆく朝日の出現を待つ。 …が、なかなか出てこない(苦笑) 外輪山に薄く張り付くように広がる雲が次第に金色に変わってくるのだが、肝心の朝日はなかなか姿を現さない。 もうどの位時間が過ぎただろうか?熱い風呂に出たり入ったり身体も疲れてきた(起きたばかりなのに!) 「…とりあえず、隣の展望風呂で見ますか?」 どちらからともなくそう言うと、ゆだりかけの3人組はフラフラと風呂から上がり、浴衣を着て隣接の展望風呂へ。そこでまた服を脱ぎ、大きな湯船に浸か…らない。かなりゆだってるので、風呂の縁に腰掛けて総ガラス張りの向こう側をボーッと眺める。 後で考えたら「何でここまでして見る必要が?」とも思うのだが、この時は皆かなり意地でも見てやるという心意気だったのだ(笑) 無言ながら「頑張ろう」「もうちょっとだぞ」とお互いに励まし合っていた(ような気がする(笑)) 「…も、もうダメだよ〜上がろうよ〜」 とついにFさんの息子が音を上げた。確かに見るからにかなりヘバっている。 「いやぁ〜ここまで綺麗な朝焼けが見れれば充分でしょう」 と負け惜しみのこもったセリフをお互い吐きながら、フラフラと脱衣場へ。 と、その時、急にFさんの息子がしゃがみ込んでしまった。つまり、茹だって目眩を起こしたわけ。 慌ててフラフラと駆け寄る大人二人。 二人がかりで肩を貸し、 「大丈夫か?」 と言いながら何とか立たせると、顔を上げた目の前には、待ちかねた朝日が雲の上に顔を覗かせていた。 「おぉ、朝日が」 全裸で肩を組みながら感激して朝日を見つめる男3人…へ、変だ(爆) 部屋に戻った頃には既に8時前だった。そりゃ1時間以上も入浴してたら倒れるよ(苦笑) 8時からの朝食も豪華で、 「こ、こんなに朝から喰えるわきゃない!」 とみんな言ってた割には、ほとんど完食していた(笑) 食事を済ませて一服し、1階のラウンジでしっかりと全員で記念撮影(笑)してチェックアウト。 通常チェックアウトを済ますとフロントの人達(場所によっては仲居さん)が 「ありがとうございました〜」 と深々と頭を下げる中悠々と客が帰って行く…のだが、このホテルではなぜか礼をするフロントから一人、女性がジョウロを手にして我々についてくる。 『こ、これは何!?』 皆、横目で見ながら疑問に思っているのだが声に出しては訊けない。女性はニコニコとついてくる。 ホテルの外に出ると、駐車してあるすべての車のフロントガラスが凍り付いている。 霜が降ったとかいう生やさしいもんじゃなくて、ガラスが凍りついた状態。 「霜どけさせていただきま〜す♪」 と手慣れた様子で俺の車のガラスにジョウロからお湯をかけるフロントの女性。 そうか、だからジョウロだったのか。ラッキー池田とは何の関係もなかったのか!(←当たり前だ) 何故忘年会を熊本にしたかの理由を、前日に初めて聞いた。 「サッカー天皇杯のチケットが取れた」からだそうだ(笑) 元々サッカーチームで今もサッカーをやってる位のこの社長、熊本で開催される天皇杯の準決勝カードのチケットが入手できて、急遽、山口は萩の温泉地に行くつもりだったのを変更したらしい。 俺も高校じゃサッカー部にいたので(嘘と思うかもしれないがホントだ)そんな良か試合は大歓迎。 無論、俺も賛成するのを計算づくで忘年会を熊本にしたらしい。で、熊本に泊まるならやっぱり阿蘇の温泉だろう、という理由で俺は朝から裸で同性同士肩を組んで朝日を眺めることになった訳だ(笑) そんな訳で、市内の競技場に着いたのは11時過ぎ。試合は午後2時からなのでそんなに並んでいるはずない…と思っていたら、すでに長蛇の列!ブロック指定制なので、前の方で見たいと思ったら早めに並ぶしかない訳だ。 並んで30分足らずで開場になると、並んでいた群衆は皆、場内を目指して突っ走っていく。人が走れば俺だって走る(笑) 息を切らしてようやく前から3列目をGET!(といってもFさんの息子が先に場所を取っていたのだが(爆)) 俺は以前、博多の森競技場でアビスパ福岡の試合を観て技術レベルの低さにちょっと失望していたが、社長曰く 「中倉さんが観た試合とはまったくレベルが違います」 と自信たっぷり。 その予告はみごとに当たり、とても白熱した試合を満喫した。 試合結果は1−0で名古屋グランパスがジュビロ磐田を下したが、ゴール際の攻防やコーナーキックには、何度も目を見張った。 試合は良かったが、場内の設備には閉口した。 弁当は冷たい幕の内弁当しか売っておらず、珍しく気を利かして昼食を取って暖まろうと売店を一周した俺は、徒労に終わった。 ひさみに電話をしようと思っても場内には公衆電話が一個もない!もはや携帯を持たない者には外へ連絡する術すらないのか!? そして、何よりこの日は寒かった!売店ではホッカイロが飛ぶように売れている。そんなものより暖かい食い物売れ!(怒) 今ここで露店のたこ焼き屋や焼きそば屋を開いたら大儲けは間違いないだろう。 試合が終了して直ぐに帰路に着いた。最初のサービスエリアで夕食を取り、帰り着いたのは外も暗くなった午後7時前だった。 「昨日からすっかりお世話になりました」 と挨拶をして帰ろうとするが、社長のお母さんの姿が見えない。 どちらへ?と訊くと 「あ、直ぐ来ますから」 と言う。ほどなく戻ってきたお母さんの手には菓子折が! 「ここのケーキ、とても美味しいんでお子さんに!ちゃんと中倉さんの分も一緒に6個入ってますから」 と渡してくれた。うひゃ〜、最後まで世話になりっ放しだ〜!!(多謝) 年末の多忙に加えて剣道のゴタゴタと、かなりヘビーな日々が続いていたので、後で考えてみればこの2日間があったから年末を乗り切れたんだろうと思う。 そう考えたら、家族連れずに一人で温泉へ行った俺はいいけど女房は…ゴメンナサイ! 来年は俺が家族をここに連れて来よう、けっこう真面目にそう思ったりした。 が、口には出さない。俺個人の"予定"が家族全体の"決定"になってしまうからだ(笑) (と思っていたら年頭に「お父さんは家族を温泉に連れて行くのを今年の目標にして!」と息子に言われてしまった。…すっかり読まれてら(笑)) |
1999.12.22(水) 温泉三昧!(一路阿蘇へ) この日は剣道寒稽古の初日。 後援会長やってるウチは体育館の鍵を預かっているので、朝5時前に起きて体育館のSECOMを解除し、子供達の出席を取り、練習が終わったらお菓子を配って…と忙しい。 これでも昨年から当番制にしたから専従じゃないので多少は気が楽だ。一昨年までは真冬の5日間、これを後援会長が一人ですべてやってたんだから大変だったろう。 今年は例年になく暖冬で朝がさほど辛くない。これもラッキー。 で、寒稽古が終わって北九州まで仕事に繰り出した俺は…そのまま温泉に行ってしまった(笑) この師走の忙しい時期にクライアント先が身内の温泉旅行に一緒にどうぞ、招待してくれたのだ。多謝! ということで夕方から阿蘇へひた走る。招待の条件が「車が中倉さんのTOWN ACE一台で間に合うから車出してください」だった(笑)ので、俺は運転手に徹して一路高速を南下する。 宿泊先の阿蘇・内牧温泉のホテルに着いたのは午後6時過ぎだったが、山間に入ってゆくに連れて陽も暮れていき、道路の気温表示も「1゜」「0゜」「−1゜」と進むに連れて下がっていく。 ホテルに着くとまずは部屋割り。 総勢8名で二部屋取ってあったが、 ○社長夫婦(+赤ちゃん) ○社長のお父さん・お母さん ○社長の友人Fさん+息子(中3)+娘(小6) ○俺 というメンバーだったので、俺は必然的にFさん側の部屋へ。家族団欒に割り込んだ形でヒジョーに申し訳ない。 が、快く迎え入れてくれて、夜は一緒に酒飲んだり話したり。有り難かった。 着いたらまずは温泉だ〜!ということで、皆揃って温泉になだれ込む。 1Fには大浴場にサウナ、露天風呂さらに屋上には展望風呂と露天風呂と、温泉地らしく風呂が充実したホテルで、まずは1Fへ。 ここ数年は家族で温泉に行っても、息子共が皆男風呂に来てしまうので、ひさみは一人でゆっくり俺は子供の世話したりこすってやったり…で、まったくせわしない温泉だった。それに較べりゃこの日の温泉は極楽! 子供のことなぞ考えず大人同士でユルユルと喋って、好きな風呂に好きなだけ浸かる…嗚呼、もう一度言おう、極楽だ! 夕食は豪華で鍋に馬刺、皿も十皿ほどもあった。こんな贅沢させてもらっていいんでしょうか…え?気にするな?あ、熱燗まで注いでもらってありがとうゴザイマス…という感じで最初ちょっとは気遣ったが後は隣の社長に酒を注いでもらいながらのんびり食事を楽しむ。 この社長が俺より何歳も若いのに気が利く人で、気の利かない俺がビール注ごうと思う間もなく注いでくれる。いつも気を遣ってくれて…というか、俺のクライアントなのに良くしてもらってホントありがたい。気の利かない俺は、感謝の気持ちを仕事で返すしかないね。 この日のように社長とそのお父さんが二人揃うと気の利く人のツー・プラトン攻撃で、俺はいつも感心してしまう。 (ちなみに先日の香港旅行ではこの社長のお父さんと同室で、これもまた良くしてもらった) 2時間近くもかけて夕げを楽しんだ後は温泉旅行らしくお土産購入TIME。 今回は(も?)特にお土産を買う必要がある所はなく、家族にいくつか物色した程度。気が付くとひさみ用だけに髪飾りやらキーホルダーやら何個も買っている。無意識にひさみに一人好き勝手してゴメンナサイという気持ちが現れているのか?(苦笑) これで卓球台でもあれば温泉地の雰囲気最高!なんだろうが、あいにく7階建てのデカイ観光ホテルでそこまでひなびた場所ではなかった(笑) 部屋に戻ると男衆はウダウダと酒を飲んで喋る。 「これ、お土産に!」 と言って社長のお父さんが紙袋を渡す。中身はお菓子に焼酎。クーッ、そんな気ィ遣ってもろたら申し訳なかです!でも嬉しい(笑) (この米焼酎「白水」はめちゃウマだった。いつも俺達夫婦は焼酎は水割りで飲むんだが、味が良いのでこれはストレートで飲んだ) 夕食からずっと飲み続けの俺は、部屋に戻ってちょっと飲んだだけでもうヘロヘロになってしまったが、みんな強い強い!いつまでも飲み続け、零時前に 「よし、今度は屋上の風呂だ!」 と言って出て言ってしまった…元気だ(笑) 俺はその間、Fさんの娘と一緒にパズルをやっていた。 ウチの志朗と同い年だがまったくスレていない子供々々した娘だったので、女の子相手の感覚まるでなし(笑) ポケモンは何が好きか、だとか男子といつも喧嘩してる(笑)とか他愛のない話をしていた。これもまた楽し。 結局この日寝たのは午前1時過ぎ。俺も含めて、みんな明日のことなど考えてないぞ(笑) |
1999.12.21(火) 過去の仕事結果を知る この日の仕事先の近くに、俺が以前務めていた会社の支店があるので寄ってみた。 務めていた、と言っても非常勤の取締役だったから、俺は自宅で仕事をこなし、必要に応じて各支店に顔を出していた。 社則や勤務規定、給与体系を作ったり、業務をシステム化したり、とその時は熱中してやっていた仕事だった。 (といっても他の会社の役員や役職も複数兼ねていたので、専任していた訳ではないが) 行ってみると、自分がいた頃の店長ではなく、他支店の店長がそこにいた。 「あら、中倉さんご無沙汰してます。今日はどうされたんですか?」 「いや、ちょっと近くまで来たんで寄ってみました。○○さんお久しぶりだけど、異動になったの?▲▲さんはどうした?」 「彼は辞めたんですよ」 初老の店長は変わらぬ感じの穏やかな口調でおれにそう告げた。 驚いた。まだ若いが将来を有望視されていた男だ。気は短いが頭の回転が早く、さっぱりした性格の男だった。 今の会社の様子を聞いて見ると、有望な若手は何人も辞め、全体の給与も下がったと言う。 若手だけではなく番頭クラスの実力ある管理職も半数以上辞め、残っているのは穏便な保守的人間が多いと言う。 会社自体の収入も以前に比べて伸び悩んでいるようだ。 俺が入る前までは厳しい縦社会が確立していた社風を変えるべく、俺は色々やったつもりだった。 (社長もそれを望んで外部から俺を招き入れてくれた) 社員の給与水準を思い切って上げ、若手の抜擢を推進した。言いたいことは自由に発言できる空気を作ろうとやっきになっていた。 ただ、やり方が革新的過ぎたのか、俺が辞めた時は別に喧嘩分かれした訳ではないが、経営方針についてトップと見解が多少ずれて来ていた。辞めないでくれと残念がってくれる人間も多くいたので、後のことが心配だったものの、まぁ務めて良かった、と思っていた。 が、一方で「結局俺は引っ掻き回しただけで誰の役にも立っていないんじゃないのか」という一抹の不安を残していたのも確かだ。 この日この支店に寄ったのはただ気が向いたからだけだったが、結果として過去の自分の仕事がどういう影響をその会社に残したか知ることができた。 俺は間違ってなかった、と思う。 今までに、あちこち渡り歩いて家族にジェットコースター人生の同乗を余儀なくさせて来たが、そこそこで役に立ってこれた、という実感はあった。 広島で務めていた会社は、仕事が入ってきてもこなせる人間がいないとの理由で、俺が辞めたあと所属していた業務部門自体が閉鎖してしまった。 独立前まで所属していた会社は、俺の退社後業務が悪化してとたんにボーナスも払えない状態になってしまった。 今回の件で、この役員をやってた会社のその後もしる事ができたし、支店にふらっと立ち寄った俺を店員も事務員も暖かく迎えてくれ、いつでも来てくださいと言ってくれた。 それだけで十分な答えをもらった気がして嬉しかった。 剣道関連でもゴタゴタしている時だから、自分が今やってることは無駄じゃない、誰かに必要とされていると思えることは気持ちの上でも大きい。 だから、公私共に現在やっていることも頑張ってやっていこう。所属しているうちは、そこの役に充分立てるように。 |
1999.12.19(日) ベンチャラ親父の逆襲 「アンタここにじっとしてなきゃ!何ウロウロしてんの!?」 唖然とした。何を俺に向かって怒鳴ってるんだ、この親父? 現地に着いたときから何となく態度がおかしいのは分かっていた。 今年2回目の遠征練習試合で、この日は筑紫野市の農業センター体育館へ。 言ってみれば数十チームが参加する大規模な練習試合。 これでもかと連続して試合が組んであり、1チームごと6〜8試合もある。 我が軍は中学生含めて5チームなので、計数十試合だ。 で、これも現場に行って初めて分かったんだが、各後援会の父兄が分担して時計係や審判も務めることになっていた。 この日、幼稚園の餅つき大会と重なって(餅つき初欠席!日程アンラッキー!)ひさみも来ていないので、俺は一人で父兄の割り振りと指示や子供達を集めるのに館内を走り回る。 数人来ていた父親に各パートの時計係を頼んでいたのだが、その中の一人にたま〜に行事に顔を出してはロクに手伝いもせずに先生にオベンチャラばっかり言ってる親父がいた(以降、「ベンチャラ親父」と命名(笑))。 このベンチャラ親父、先生にしっかり張り付いてその先生がいるパートの記録係を自ら買って出た。 アンタは良いよ、それで手伝った気になるんだから。 それで大人しくしてればいいんだが、そいつは何故か俺に 「早く他の父兄を集めて来な!手が足りんちゃき、先生が一人で大変やろ!」 等と、とぼけた指示をする。 その場はハイハイ、後でイジメてあげるね♪と思いつつ 「分かりました、ちょっと待っててくださいね」 と告げて走り回っていたら、いきなり俺を捕まえて冒頭の科白を言いやがる。 「きさん、何様のつもりやっ!?」 と心で思いながらここで文句を言っても何も話は進まないので、 「じっとしてなんかいられないよ〜ん♪そこ頼むね〜」 と言いながら走り去ってゆく。ベンチャラ親父は憮然として俺を見送る。 数分後、ベンチャラ親父の横にドッカと座り、 「会長だから一箇所でじっと出来ないんだよ。それで済みゃ楽だね〜」 と言うと、奴は無言で俺を睨む。 「…分かった?」 と顔を見て訊くと、目を逸らす。 その後も俺はバタバタと走り回っていた。 走る俺の目の前に子供の置いていた竹刀がコロコロと転がってきたので、さっと足で払い除けた(これはやっちゃいけない事だけど)。 すると途端にベンチャラ親父が 「竹刀を足で蹴るなんて何事だ!なんて無礼なことをするんだ!!」 と俺にまくし立てる。 いいかげん腹も立ってきたので、 「アンタ帰れよ!タマに来て偉そうなことばっかり言うだけなら来てもらわんでいいけん、早よ帰りぃ!!」 と返すと、また無言で憮然と俺を見ている。 まったく困ったちゃんの唐変木野郎だ(笑) 5時間近く続いた子供達の練習試合がようやく終わり、全員での合同稽古になったらやっと一息つけた。 他の父兄もほっとしながら練習を見ている。 俺はベンチャラ親父を見つけると、とても丁寧に 「すいません、ちょっとこちらへよろしいですか?」 と言って、体育館裏の非常階段に連れ出した。いやぁ、学生のようでワクワクするなぁ(笑) バタン、と館内につながる扉を閉めるとクルリと振り向き、 「…アンタ、俺に喧嘩ば売りよるとや!?」 とお訊きしてやった。 返答を楽しみにしてたんだが、帰って来た答えは 「イヤイヤ、そんなつもり全然ないですよ!」 だと。アンタ、さっきまでと言葉遣いも態度も違い過ぎ(爆) 「それなら今日の態度は何や?大勢の前で俺の顔に泥を塗るようなマネしやがったろうが!?」 と続けると 「イヤ、誤解です、誤解!自分の態度が悪かったなら謝ります!」 ウ〜ン、見事な変わり身だ。ある意味凄い奴かも(笑) 「んじゃ何か言いたいことがあるなら言って見ろや!」 と言うと、半分呆れ半分感心している俺を前に、ベンチャラ親父は止めどなく喋りだした。 曰く、俺が大変そうなのは充分分かるが、もっと自分に言ってもらえば手伝うのにだの、後援会長は一部の先生達に評判が良くない噂を聞いただの、運営方針の強行姿勢に不満を持っている父兄も多いと聞くだの、次から次に良く喋る。で、決して自分はそうは思っていないが、との注釈付きだ。 あのなぁ、アンタの家族が一家揃って嫌われ者で、住んでるマンションでも後援会でも誰も相手にしてない(というより避けている)のを俺が知らないとでも思ってんのか?ロクに子供の送り迎えもしないから他の父兄と接触することすらないアンタが、誰から噂を聞くってぇんだ? 勝手に喋ってくれたおかげで大体の事は分かった。大方、ベンチャラ言ってる先生にでも吹き込まれたんだろう。じゃないと話相手もいないはずだしね(笑) ひとしきり弁明を終えたようなので、 「女ならゴタゴタと言い合いやイガみ合いが続くかも知れんけど、男は楽でいいやね」 と言ってやると、何を勘違いしたか 「そうですよね、こうやって腹を割って話し合えますから!」 と嬉しそうに答える。間違いは正してやる必要があるので 「いや、話し合いがつかんかったら最後は腕っぷしで決めりゃいいから。何ならこの場でやるね?」 と言うと、大慌てで 「いや、だから自分が悪い点は謝りますから〜」 と必死。こりゃオモロイや(笑) その場で、一点だけ俺の方から謝った。 ベンチャラ親父が会って挨拶してもウチの女房が挨拶しないことがあると言う。ウチの女房がそんなまさか、とは思うが本人に聞かないと事実ははっきりしないから、もし本当にそうならそれは済まない、と頭を下げておいた。 夕暮れ時になってやっと家に帰り着き、今日の子供の試合結果やベンチャラ親父との一件をひさみに話した。 挨拶の件を言うと、そんな馬鹿な、と言う。まったく逆で、こっちが挨拶しても向こうが知らん顔していることが多いので不愉快に思っていたと言う。 事実を確認したら即座に電話だ。 「てめぇ、言ってたことと違うじゃねぇか!即刻出てこい!!来なきゃこっちからそっち行くぞ!!!」 結局、近くのファミレスに呼び出した。30分後に、という向こうに10分以内で出てくることを約束させ、俺も即刻外出した。 今度こそはやっちまえ!と思って待っていると、ベンチャラ親父がオドオドと店に入ってきた。 「俺が悪いなら素直に謝るがよ、俺の女房の文句までデッチ上げるとはどういう事だよ!ふざけてんじゃねぇぞ!!」 と早速立ち上がりかけると、ものすごい素早さで 「いや、私が悪かったです、ちょっと待ってください、聞いてくださいよ」 と俺を制する。そのタイミングたるや絶妙で、拳を振り上げる隙すらみせない。流石ベンチャラ言ってても剣道の有段者だ(以前剣道をやってたらしい)、ひょっとして相手の間合いを取る達人か?(笑) 「殴り合いが厭なら、アンタの得意な剣道で相手してやるよ。でも俺は負けねぇけどな。表に行こうぜ」 「それは勘弁してください…ちょっと話を…」 なんて流暢にこのセリフを繰り返すのだろう。アンタ、剣道の時も同じかけ声出してたんじゃないのか?(笑) 言い訳と共に色々な話を聞いてみると、仕事でもかなり苦労してるらしいし、不器用な性格みたいだ。同年代の父親(向こうが5歳以上も上だけど)として分かる部分もある。 でも俺には無礼しないでくれ。叩き潰したくなるから(笑) 俺もこういう性格だから、面倒なことにならないようなるべく穏便に事を済ましたい、そのためには今後是非共お宅にも協力してもらいたい、判ってくれるよね、そうかお手伝いしてくれるか、ヨカッタヨカッタ。会長さんが大変なこともお気持ちも良く分かりました、中倉さんの文句言ってる人がいたら私が良く言って聞かせますよ、任せてください…気付くと俺がベンチャラの対象になっていた(爆) ここでおだてられていい気になればそれで済んで丸く収まるのだろうが、そうもいかない。 これだけ色々と運営に意見を持ってるなら来年は是非役員をしてね、と言うと突如固まる。Mr.フリーズの親類ですか?(爆) 「え?え…できる範囲でですね…」 と、流暢だった舌がしどろもどろだ。 安心しろ、数ヶ月後の次期役員の選任時には俺が強力に推薦してやるから(笑) まったくクタビレタつまらないトラブルの一日だったが、収穫は志朗も章祥も伸び伸び試合していたこと。 志朗は勝ち越し、章祥は負けナシ! 子供が良い結果出してくれれば疲れも幾分取れるよ。 |
1999.12.17(金) ARB KIDS忘年会 …にほぼなってたんだよね?結果的に(笑) 八時半になりゃどこからか誰もが待ち合わせの店に集まって、1・2・3・4の合図で夜の夜中まで馬鹿騒ぎ…Hey!♪ …とまで大騒ぎはしてないが(笑)、みんな好き勝手な相手と好き勝手なことダベる。 (この歳になって「十字軍」やら「モダンドールズ」やら「Blue Jug」やらの単語が他人との会話でどんどん出てくるなんて…う〜ん、貴重な時間だ!) 結局午前零時をとうに回って一軒目の店を出て解散!かと思いきや、ほぼ全員がカラオケ屋に突入(リタイヤのブルさん残念!)し、喉が枯れるまで歌い続け。 (ちゅうより、酒飲んだ時だけ煙草吸うので、当然喉が枯れる(苦笑)) 最初は皆牽制?しあってたのかボチボチ曲入れてたのが、誰かが勝手にARBの曲を連続して入れたので、マイクを回して唄う唄う! 誰がこんな酔った状態で「飲まずにいられない」なんて唄えるんだ?(笑) でも結構みんな上手いぞ!(特にシェリーさんはプチモニからARBまで何でも来い!だ) Route"3"Bandのメンバーが俺より上手に唄ったらマズイので少しは遠慮してくれよ…と言ったところで遠慮する方達ではない(爆) オマケに時折MODSの「TWO PUNKS」やらまで入ってるし。これを唄えるのは森ヤンとフミヤだけっつーの!!(笑) しかし、仕事絡みの飲み会と違って、つくづく楽しいやね、こういう飲み会は!幹事の秋山さん、サンキュー♪ |
1999.12.11(土) いらっしゃいませ練習試合 東区の和白地区少年剣友会の子供達がこっちまでやって来ての練習試合の日。 この町に他町から練習試合に訪れるなんて前代未聞。でも、夏前に苅田に練習試合に行っていたので、逆と考えりゃいいんだよな、とある程度気楽に構えていた。 が、練習試合云々以外に感じるこの微妙な空気。 我が家が復帰したことを牽制する空気をビンビン感じる。 だから文句あるなら言えよ!言えないなら文句言うな!! 「お疲れさまっす!」「ご苦労サマっす!!」 ××達もミョ〜に礼儀正しく挨拶してゆく。 アラ?先月までの「フフフン」といった鼻で笑ったような態度はどうしたんだよ?その鼻、上の人達から折られちゃったか?…ザマーミロ(笑) 志朗は威勢がいい割には綺麗に一本が決まらず決め手に欠ける。 章祥は出番待ちで身体が冷え切って動きがギクシャクしている。 まぁ、復帰直後だからこんなもんだろう。 (みっともない負け方はしないから上出来か) ボチボチ行こうぜ、坊主共。ボチボチ潰すぜ、五月蝿い奴等(笑) |
1999.12.07(火) 少年剣道会再編?U 昨日の話の結果について武道館の指導責任者、S先生の所へ報告と相談に行く。 俺が話の内容を伝えることはI先生とG先生の希望でもある。誰が話せばもっともストレートに伝わるか良く分かっているということだろう(苦笑) 将来的に少年剣道会を二分することはS先生も致し方ない感じだった。 というより、十数年も町内のチビッコ剣士を実質的に中心になって指導してきて、指導する相手数の限界、指導方針の徹底についての限界は常々重々感じていたようだ。ウチとしては分けてほしくないのが本音だが、ずっと主導でやってきた人が言うことが一番もっともだと思う。 夜の午後8時過ぎに武道館に出向き、9時半まで1時間半の話し合い。 帰りながらふと思う。 「何で来年の話にウチがこんなに首を突っ込む必要があるんだ?」 答えは分かっている。来年以降も運営に参加して欲しいと、指導者側で手招きしているのだ(笑) 確かにお世話になっている子供の数も多いし、そこまで見込んでもらったなら知らん顔もできない。 今後もまだまだ波乱が続きそうやねぇ… (この予感は見事?今月内に実感させられることになる) |
1999.12.06(月) 少年剣道会再編? そろそろ子供を剣道に復帰させる時期になって来た…と思ってたら先方から連絡が。 剣道会会長のI先生と体育館の指導責任者G先生が揃って話に伺いたい、と連絡してきた。 で、この日の午後2時から5時半まで色々と我が家で話をした(しかしながら、毎回話の時間が長い!) 話の内容の要点は2つで、まずは今月練習試合が二つ入ったので、両方とも志朗と章祥を選手で出さないか?ということ。 (要は「だからもうそろそろ復帰しませんか?」というお誘い(笑)) 1ヶ月も休んだ子を選手で出すのか?しかも章祥は3年生やし…また「会長の子だから出してもらった」とかいう××が陰口叩きそうだ。でも1ヶ月休んだ位で志朗が一番強いのは変わらないし、章祥も6年生と試合しても勝ったりするんだからいいや(笑)文句のある奴は直接俺に言ってみろってぇんだ! (この時は、まさかホントに直接ケチつけてくるバカ親がいるとは思ってなかったが…その話は後日) 志朗達はどうせ復帰させるつもりだったので、この件はこちらこそよろしくお願いします、と答えておいた。 −−一部自主規制−− もう一つは、来年度から練習時間が体育館と武道館で重なり、やがて少年剣道会自体も分裂の報告に向かうだろうが、後援会長の意見はどうだ?ということ。 「まだオフレコの段階で発表は来年の1月末辺りにしようと思ってるんですが、その前に中倉さんと話を…」と言ってくれるのだが…来年の話は来年の後援会長にしてください(苦笑)そんな大事なこと、ウチに聞かないでぇ〜! −−一部自主規制−− 改革が困難を伴うのは良く分かるし、そこで人との衝突とも生まれるので、大変なのも理解できる。剣道関係なんて年長者(というよりも長老のレベルだ)が幾らもいてしがらみの多い世界だろう。 でもそんなことはウチには関係ないのだ(笑)長老がどうだろうと大人のしがらみがどうだろうと、ウチの子は正しく楽しい剣道をさせたい、それだけ。だから移る(笑) ただ、わざわざウチに協力を要請してくれる先生達の誠意は有り難いので、今後も可能な限り協力はしていく、と答えた。 どのみち、ウチは分裂には基本的に反対だし、今年はその方向で動かない、来年以降後援会の方から声が上がってきたら協議する、ということにした。 (もっともどうせ誰かが旗振らないと誰も自分から動こうとしないのだろうが) |
1999.12.03(金) ハムの人 巧樹が風邪で幼稚園を休んでいる昼間に、宅配便が来た。 会社宛のお歳暮を持って来たらしい。 開けてみると、中はハムの詰め合わせだった。 それを見て巧樹が 「わぁ〜ハムの人が来た!ハムの人が来た!」 を連発。 学校から帰ってきた志朗達にも 「今日ね、ハムの人が来たよ」 と言っていたらしい。 …巧樹、それ、間違ってるぞ(笑) それとも宅配便屋が「…別所です」とでも言ったのか? |
1999.12.01(水) 持久走大会 この日は年に一度、恒例の小学校の学年別持久走大会。父兄も大勢見物に運動場に集まる。 1年生の父兄が最も多くて、2年、3年…と学年が上がるごとに父兄の数も減ってくるのが可笑しい。ただし、最終学年の6年生の父兄は多い。 毎年、寒いんだこれが!子供達は走ってるからまだいいとしても、それをずっと吹きっさらしの運動場で見ている親は辛い! 今年は例年になく暖かかったのが救いだった。 (当日に雪が降った年が一番辛かった!) 持久走は各学年ごと、男女別にそれぞれ15分の割り当てで続けてあるんだけど、今年は見事にというか運悪くというか(苦笑)、我が家の3人の息子の時間割り当てがほぼ1時間ごと。続けてあれば45分で帰れるのに〜!! この日仕事もけっこうせっぱ詰まっていたので、俺は自転車で何度も家と運動場を往復…するつもりだったが、時間が中途半端でカッタルイので止めた(笑) やる気満々の章祥は出だしこそTOPで突っ走ったが予想通り(笑)後半バテて、結果7位。 もっともやる気の感じられない(笑)奨悟は48位。何と途中で少し歩いていたのを目撃!…持久走大会中に歩いたのはコイツが初めてだ。結構運動神経は良いはずなのにこのやる気のなさ!…三男は難しい(苦笑) 学年を重ねるごとに順位を上げていった志朗は、13位!あの志朗が13位!!本人自ら「信じられない」と言っていた(笑) 元々運動神経があまり良い方ではないが、剣道を続けているうちに体力がついてきたのだろう。身長もいまやひさみより高く、クラスでも後ろから2番目らしいし。 で、やっと持久走大会が終わったら、章祥のクラスで父兄を招いての芋ぜんざいパーティがあるとのことで、3年生のクラスへ。意外とぜんざいに芋があって美味い。冷えた体も温まった。 |