Diary

入学の季節家族記録簿


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※注意事項
ここは、個人サイトの極私的な日記のページです。
従ってここに書いてある内容はすべて当サイト管理人本人の主観に基づくものであり、これを万物の真理であると主張するつもりはありません。
ただし、間違いなく管理人の主観でもあるので、このコーナーに対するご意見・ご批判は私ことyou@sun-house.netまで直接ご連絡ください。直接連絡以外の影での誹謗・中傷は固くお断りします。
また、以上の趣旨を理解していただいた上での読み物としてこのコーナーを閲覧してください。この趣旨に賛同できない方は、以下の記事の閲覧はご遠慮ください。


2003年 4月

2003.4.27(日) 皿山公園はつつじ時


夕方近くなって、ドライブがてら隣町の皿山公園へ。
ちょうど、つつじが満開でなかなか良い感じ。
山の中腹にはクジャクなどもいたりして、意外と面白かった。
こう書くとまともな家族の休日のようだが、途中公園の遊具で過激に漕いでジェットコースター並みのスリルを楽しんだり、と我が家らしさがあったのは言うまでもない(笑)
2003.4.20(日) 伊野神宮奉納剣道大会


連日剣道の大会に出場。昨日の武蔵杯ほどの規模ではないが、篠栗が参加する試合としては大きな方だろう。
郡内の全チームに東区のチームも交えて争われる。
この試合は毎年屋外の神社境内内で裸足で行われ、それが一風変わって見所でもあるのだが、今年は残念ながら雨。
近くの小学校体育館内で行われた試合で、奨悟は昨日と同じく次鋒で出場。
結果、準優勝。昨日の勢いをそのまま持って行けたようだ。
奨悟自身もチームの足を引っ張ることもなく、確実にポイントは稼いだのでまぁ良いか。
この日は中学校のチームも優勝し、この町にとっては良い試合の日だった。
しかしそれにしても、この写真の映り方。お前が大将かい!と言いたくなる位、ヘンに堂々としているところも奨悟らしい(笑)
さすがT先生の道場仕込み。妙なトコロで感心するが、剣も早く胸を張ってT先生直伝、と言えるようになってほしい。
奨悟のみならず、そんな我が家の坊主共の剣道には『若者たち』の歌詞がピッタリ。
「♪君の行く道は〜果てしなく遠い〜 なのに何故 歯を食いしばり 君は行くのか そんなにしてまで〜」
…はぁ、そんな遠い道に親も付き合ってゆかにゃならん訳ね。ヤレヤレ(笑)
2003.4.19(土) 武蔵杯 in 熊本


昨年も出場した『剣聖宮本武蔵顕彰全国小・中学校剣道大会』に奨悟が出場するため、一路熊本へ。
昨年は遠路で来たわりには章祥が出た篠栗チームは一回戦負け、奨悟はよそのチームで助っ人出場、それも一回戦惜敗。
次の日の個人戦は篠栗からは唯一奨悟のみ出場(長崎のチームのメンバーとしてだけど(笑))、なんとか四回戦まで進んだ、という我が家的にはまぁまぁ、町のチーム的にはさっぱりの戦績だった。
今年も大して多大な期待は抱いてなかった(笑)が、それが良かったのか結果的にはベスト16
毎年優勝争いしているチームもあるので、そういう所から見れば何でもない成績だろうが、我が町ではこの規模の大きな大会でこの戦績は快挙だろう。
我が家的にも奨悟はことのほか調子よく、得意技の引きかつぎ面が何度も決まった。決して剛剣でも風格のある剣道でもないんだが、体格のなさを充分に生かし(笑)、鍔迫り合いからふっと引く気配を見せ相手のタイミングを狂わせたトコロで面をパカン。この技、決まると気持ち良い技だ。あまり多用する小学生はいないと思うが、まったく不思議な剣道をする奴だ(笑)
ともあれ、一日に同じ技が七本も決まり、他にも抜き胴や出甲手など、相手がムカツク技(笑)を連続して取れて本人も満足げ。
この結果でずっと満足する訳にはいかないが、この日は良しとしよう。
本人が如何に嬉しそうだったかは、上の写真のとおり。
各人、好きな構えで撮るぞ〜と言ったらこれだ。章祥が尊敬するT先生の上段、巧樹は二刀(しかも自然に俺と同じ逆二刀(笑))、そして奨悟はもちろんかつぎ技の構え(笑)
こうやって見ると去年の写真と較べてもこいつら、楽しげに剣道やってるんだな、と思う。
剣道は楽しまなきゃね。
2003.4.13(日) 自転車バトル


休日の午後で天気も良ければ気分も良い。ちょいと何処かへ行きたいがわざわざ遠出もめんどくせぇ。ほんじゃちょっくら家族でサイクリングでもしてみるかい、といそいそと外に出る。
先月まで自転車の台数が足りなかったのに、志朗の分が余るのでちょうど5台。こんなトコでも志朗不在の影響がある訳ね(笑)
運動公園行って、帰りにちょっと別の公園寄って。ベンチに座ってお菓子喰ったりジュース飲んだり。
おぉ!なんとまともなファミリーの休日なんだろう!!剣道にも仕事にも追われることもなくのんびり近所の公園で過ごすなんて。ああ、いいなぁ。でも平凡すぎて退屈だなぁ(笑)
…という風に思考がいつの間にか刺激を求めて変化していくのが我が家の性(さが)で、結局お互いの自転車を駆っての広場での転かし合いバトルへ。
ルールは簡単。止まって足着いたら負け。相手にぶつかっても負け。要はフェイントで他人を如何に転かすかだ。
こうなると親子も兄弟も関係なし。無闇に広場をグルグルグルグルと駆け回り相手を追ったり振り切ったりケリ入れるマネしたり実際に蹴って「俺は蹴ってない」と無罪を主張して逃げたり。
これも良いストレス解消になった。その代償として数日足の筋肉が痛かった。使ってない筋肉を使うとすぐ無理が来る。歳だね、どうにも。でもバトルとなると息子に負けたくないしね(笑)
2003.4.10(木) 章祥の入学式


志朗の中学入学時は初めてだし不安だらけだったが、慣れたせいか章祥の入学は割と気持ち的に余裕。本人も余裕。つーか、お前はもうちょっと緊張せい!(笑)
(ひさみによると「挨拶がないからすごく気楽で、入学式中つまらない冗談を横で言い続けて五月蝿いやら恥ずかしいやらだった」らしいが)
だから学校前でこんなふざけた写真も撮れる(笑)
入学式には色々と思うこともあったけど、子供が楽しそうだから、まぁいいや(笑)
ともあれ、何かと目立つことの多かったアニキの後に入って行くので、勝手に比較もされようし、最初からみょ〜に目の敵にしたり媚びて来たりする人間も多いだろうろ思う(大人・子供を問わず)
しかし、こいつにはそんな事気にせずにマイペースの中学生活を送ってほしい。親が心配しなくとも、章祥の性格だから大丈夫だと思うが(笑)
2003.4.6(日) レギュラー用剣道着


小学校のチーム用に、ようやくレギュラー用の剣道着が出来たのが先月の事。
生成(きなり)の白の上下に緑の紐はどの会場でも良く目立った。
章祥と奨悟が同じチームで同じ剣道着で出れた試合は2試合だけだったが、良い記念にはなった。
一学年違いだが、今後再び同じチームで剣道できることがあるかどうか…
ということで、章祥が中学に入学する前に記念撮影。
こういう写真の顔見てると、何だかんだあっても楽しそうにやってるんだな、と思う。だから、まぁいいや(笑)
2003.4.4(金) 入学式と別れ


L高校の入学式なんて、そうそう見れるモンじゃないから楽しみだね、などと話していたのは数日前まで。3日前の担任の先生からの電話で状況は一変し、息子の入学式に本人よりはるかに俺が緊張せにゃならん事態になってしまった。
この不安を助長するかのように、先生となぜかすれ違い続きで、昨日入寮式後に簡単に打ち合わせる予定だったのが、先生は予定が変わって下宿生訪問で外出し、先生が戻ってきたときには志朗を連れて俺達は校内に居ず…で、結局昨日は直接会えずじまい。
夜遅めに携帯に電話があり、まぁぶっつけ本番で行きましょう、ということに。式次第の進行状況を教えてもらう。
式の最後に中学生の父兄代表、高校生の…の順に挨拶してもらう。正面の校長に向けてマイクスタンドを立てるのでそこで挨拶してください、そこで式が締めになるんでよろしくお願いします、というものだった。
あと、中学生保護者席が2F、高校生保護者席は3Fだが、名前呼ばれたら出て来やすいように2Fの一番前列左手に座ってほしい、そのため、早めに来て席取りをしてください、という事だった。
この電話で懸念事項が二つ解決されたので正直ホッとしていた。
一つは、多分千人以上になるであろう人達の方に向いて喋らなきゃいけないんじゃないか、という不安。ライブで数十人の客にアドリブでMCカマスのとはちょっと訳が違う。これは上記のように校長に向かって、ということなので一安心。
もう一つは、細かい事だが、まず名前を呼ばれた時・挨拶を読み上げる前・読み終わった後〜退場時にどっちに向かって何回挨拶するか、という疑問。挨拶文にばかり意識が集中して、この形式的な重要事をまったく考えてない、と気付いたのはつい前日。まさかスタスタとマイクの前に行って校長にヨッ!とフレンドリーに声をかけるわけにもいかないし、どうしたもんか…これは電話切って「中学生の父兄の次が出番だってよ」とひさみに言った直後に解決。「頭の下げ方とか動きは中学の父兄のマネすればいいやん」…明快なお答え、ありがとう(笑)

ホテルを出た後の市内は予想以上に混み(学校周辺のホテルは早々にどこも満室だったので、ちょっと離れた繁華街にしか宿が取れなかったことがこんなトコロでマイナスに…)、早めにと言われていたが少し遅れそうだ。ちょっと焦り気味で学校まであと10分、というところで携帯が鳴った。再度、担任の先生からだ。
「すいませんね、車が結構混んでて少し遅れてます。あと少しで着きますので…」
「あ、それはいいんですが一つ変更事項があって…」
「何でしょう
「中学生父兄代表の挨拶は無くなりました。中倉さん、お一人だけでお願いします」
…え゛っ!?
い、今更そんな言われても〜!!!父兄の挨拶が一人だけやったら、ムチャ目立ってしまうじゃねぇか
(この期に及んでもなるべく目立たない方がいい、などと思っていた)
第一、俺は誰の動きのマネすりゃいいんだ!嗚呼、誰が土壇場で俺を追いつめようとしてるんだこれも神の思し召しって奴なのか??
…などと泣き言いっても何にもならない。心の中じゃウルフルズよろしく「それはダ〜メ!」とNGを先生に出しつつも
「…承知しました...」
と力無く答えて電話を切る。
「オイオイ、挨拶が俺一人だけになっちまったよ、どうしよう!?
とすっかりビビリモード突入の俺に対し、ひさみは予想?通り
「アハハ、なるようにしかならんね〜。諦めて開き直りい〜」
と完全野次馬モードのお気楽な返事。今朝明確なアドヴァイスを俺にくれたお前は嘘っぱちだったのか?つーか今すぐ俺と代われ!お前がやれ!と慌てるうちに車は無情にも(まだなんとか逃げたいと思ってる)学校に到着してしまった。
心境は子供の入学式の父兄ではなく、発表会当日の本人みたいになっている。さぁ、不安でイッパイの入学式の始まりだ…

入学式の案内を受付でもらって父兄が事前に席に着く。中味が濃い(笑)ので、式が始まる前に目を通してみる。
式次第に新入生のクラス別氏名と住所、とこれはどこの入学式案内でも記載してあることだろう(それにしても住所がホントに全国各地だ。PTAの組織も関東、関西、福岡…などと地区別に組織されている)が、特徴的なのは「L生のつとめ」と細かい文字でビッシリ書かれたページ。
聖書からの一部引用を交えながらの隣人愛の定義やこころがまえなどが書いてある。
通常、中学だろうと高校だろうと大学だろうと、「○○生らしさを発揮して云々」などと教員側はよく説教を垂れるが、その「らしさ」の定義は非常に曖昧。それがこの学校では「らしさ」の意識をしっかりと自覚させる事から始まるらしい。何から何まで特色ある学校だね。
…と、文章にするとすっかりリラックスして式の開始を待っているようだが、実際はもちろんそんなことはない。もっともらしく落ち着いて普通に行動するよう自分に言い聞かせなければどんどん緊張度が増しそうだ。式の途中で「せんせぇ〜、おしっこ〜」と手を挙げて逃げ出すわけにもいくまい。
やがて定刻が来て、吹奏楽部が演奏する『L賛歌』(注:この学園には校歌がなく、この曲が公式行事では使われるらしい。俺には賛美歌系の曲っぽいとしか分からないが何か由来のある曲なんだろう。それにしても校歌がないとはこれもまた珍しいことではないか?野球部もあるんだから甲子園に出て勝ったりしたらどうするんだろう?まぁ、そんな事はないと思うが(笑)…とすっかり注が長くなってしまって見苦しいのでここで終わりに合わせて新入生が入場してくる。予想通りだが、みんななんとなくおとなしめ(笑)
志朗が目の前を通り過ぎてゆく(先生の指示に従って前に座ったので本当に目の前だ)。ちらっとこっちを見たがすぐに前に視線を戻し、ニコリともせずに通り過ぎてゆく。おぉ、キリッとして何と堂々として…なんて思わねぇぞエヘヘといつものようにノンビリした顔で笑ったらどうだ!?すかしてんじゃねぇ!!よし、後でお仕置きだ(笑)
志朗達高校生の席は対角線上にあって、残念ながらこの後、表情は確認出来ず仕舞。どんなツラしてすまして座ってるか見てみたかったんだが、まぁいい。俺はそれどころではない(苦笑)
式次第を見て分かっていたことだが、進行が早い。式全体で一時間しか予定してない。そのため、通常こういう式で一番退屈な祝辞の時間も短め。PTA会長以外は、地方の名士とかの来賓の挨拶もなく、ここでも合理主義が徹底している。
一番長かったのは校長の話だったが、この先生の話なら何十分聞いててたいぞ(笑) 隣人愛にLファミリーの精神の説明(注:L生本人のみならず、その家族も皆が一つのLファミリーでお互い助け合いましょう、という話を特に文書を配ることもなくこの場の説明だけできっちりと理解させるんだから、やっぱりこの先生の話は分かりやすい。少〜しだけ片言っぽくてどことなく薩摩弁混じりのイントネーションも味がある(笑)…またしても注が長いね)、入学式の校長の口から具体的に東大合格率なんて言葉が出てくるのも驚きだった。いやぁ、ほんとに話が上手い、もっと話してほしい、なぜなら話し終わったらもうすぐ俺の出番が来てしまうから!!(爆)
と、式開始後一時間足らずでとうとう俺の出番がやって来た。胸の動悸が急に激しくなってゆく。ひょっとして俺、緊張してるのか?

司会進行役の先生がスッと出てきてマイクスタンドを移動させる。それを校長の前まで持って行くわけね…えっ、行かない?何で?ちょっと数メートル横に動かしてステージ真下の左側に動かすだけ?ハハやだなぁ、司会進行を間違えちゃ。マイクはそこじゃないでしょう。…マイク動かし終えて席に戻っちゃったよ。そこが正しい訳??お〜い、そこは先生達の真ん前ですよ〜?
(注:この状況での位置説明。ステージに向かって左手に先生達の席があり、生徒達は最前列からクラス毎に並んでいる。左手から順番に中学a、b…と続き、志朗達の高校Fクラスはステージに向かって一番右手側。その後は階段状にズラッと横に座れる観客席になっており、前方が中学生の父兄の席。もう一階上が高校の父兄の席。俺は中学の父兄席の最前列、つまり先生&新入生からは階段一段昇っただけ高い席の一番左手(=先生達の後方)にいた。ちなみに通常来賓が座る右端には、来賓がいないので当然誰もいない)
俺の疑問符だらけの頭の中にはお構いなしに、校長が先生達の一番前(=挨拶用のマイクスタンドの目の前)に移動し、司会の先生は式を進める。
「父兄代表挨拶、高校1年Fクラス、中倉 陽様お願いします」
L高校の入学式で俺の名前が呼ばれるなんて、想像もしなかった。というか、名前を呼ばれて思わず「ハイ!」と返事をして立ちそうになった…それじゃ生徒だよ(苦笑)
ともかく、さっさと出ていって終わらそう。緊張を悟られぬようなるべく自然に?スッと立ち上がり、PTA席を背にしてツカツカとマイクへ向かう。廻れ左をしてまずは先生方に一礼し、マイクと向き合って視線を前に上げる。さぁ、たった数分のステージの始まりだぜ。
…おいおい、じょ〜だんじゃねぇぞワハハハ。これじゃ場内全員の真ん前に立って向き合ってる状態じゃないか先生も生徒も父兄もじっとこっちを見てるぞ。あ゛〜千数百人に注視されてるよ、、、L学園父兄にふさわしい愛情と気品に満ちた素晴らしい言葉をみんな待ってるんだきっと。こんな事喋っていいのか…いや、飾らない正直な俺の心情こそ説得力があるはずこれでいいのだ!!(by バカボンのパパ)
一瞬躊躇しつつも数秒のうちに意を決し、内ポケットから添削で赤字だらけの原稿を出す。ヤベ、手が小刻みに震えてるよ。ええい、ままよ
早口にならないよう、発音をハッキリと…と思いながら最終原稿を読み上げた。
聴衆の反応は気にならなかった、と言えばウソになる。しかし、これは一父兄の俺が息子に充てた正直な心情だ。たとえROCKに興味がなくてもその気持ちは伝わったはずだ。先生達はほとんどが視線をこちらに向けじっと直立して挨拶を聞いていた。生徒達も父兄も動かず、じっとこちらを見ていた。よってその場の反応は分からない。そんな中で、先生達の中で2〜3人の欧米人の先生が、優しい目でこちらを見ながら時折首を縦に振り相づちを打ちながら聞いていてくれた事が、『ああ、ちゃんと聞いてくれてるな』と思えて助かった。
(注:あとで志朗にどうやった?と訊いたら「そうきたか!」と思ったという。その反応で俺は充分報われる(笑))
(注:後日この時のビデオを見直してみたが、何とか遠目には平静を装えたようだ。ああ、良かった(笑))

何とか挨拶を終え、先生に一礼、生徒に一礼、父兄に向かって一礼して席に戻る。
(この辺りはセミナーの講師とかで慣れてるから、アドリブで何とかなるもんだね(笑))
「ど、どげんやった?」
「うん、なかなか良かったよ」
慰めの言葉をありがとう(笑) それでも横に女房がいると心強い。まだドキドキしているがともかくふっと一息。
式はもう新入生退場が始まっていた。
今まで緊張してるから、とビデオ撮りをひさみに一任していたので、
「後は俺が撮っちゃるよ」
とビデオを受け取り構える。
あれ、なんか画面が揺れてるぞ?今まで気付かなかったが、この講堂ってそんなに振動が伝わるのか?
…いや、違う。動悸が治まらずに俺の手が鼓動に合わせてビクビク、と揺れているのだ。
「す、すまん代わってくれ。まだ手が震えよるごとある」
アハハしょうがないね、とひさみが再度ビデオを手にする。ヤレヤレ、我ながら情けない心臓だ(笑)
入場時と同様『L賛歌』が流れる中、ちょうど目の前を新入生が通過して退場してゆく。
みんな不安そうだったり、それでもちょっと楽しげだったり、なかなか初々しい表情をしている。
列に混じり、志朗が俺達の前を通り過ぎてゆく。入場の時と一緒で、口元を引き締めニコリともしない。ここの合格が分かり、公立に行く約束だったけど鹿児島に行かしてほしい、と泣いて俺達に頼んだ時と同じ、決意に満ちた顔をしている。あの時、俺達は初めてこいつが自ら親から離れ自分の力で歩く道を切り開こうとしている、もう俺達の保護が絶対必要な子供ではないんだ、と志朗に教えられた。
その志朗が俺達二人の前から去って同級生の群の中に消えてゆく。振り返りもしない。よし、そっちの世界に行って来い。

その後、クラス毎の説明会(注:ここでも「中学持ち上がり組はほぼ進路が決まっているので、高校入学組も高一の秋頃までには『○○大学の□□学部』と具体的な進路を決めてほしい」など、ウチにとってはビックリする話が多々あった)などを済ませ、午後3時頃にやっと一日の行事が終わった。入浴(注:この寮の風呂は何故か全員腰にタオルを巻いたまま浴槽へ入る。ひょっとして西洋の公衆浴場風なのか?)〜夕食時の午後7時頃までは自由に外出しても良い、ということで、不足の小物の買い物を兼ねて志朗を連れて校外へ出る。
昨日と反対方向、つまり市街地への反対方向へ向かうとほどなく近くにダイエーがあった。昨日どこに何があるか分からずあんなにウロウロしたのに何だったんだ(笑)
時間が中途半端なので海が見えるファミレスに入り、パフェを注文する。ギリギリまで寮では喰えないものを食べさせておこう、と思う親バカさ(笑)
茶をかましつつ、とりとめのない話をして30分ほどで店を出る。3人とも言葉少なげ。
まだ帰寮まで時間がある。別に時間前に帰っても良いのだが、ギリギリまで外で一緒に過ごすことはこの場合暗黙の了解だ。家族揃って往生際が悪いのか?(笑)
さぁ、どっちに行こうか、と周りに目をやると、前方(=学校とは反対側)の山の中腹に怪しげな建造物…ありゃロケット基地か?
「よっしゃあそこを探検だ!」
と止めるひさみを押さえつつそちらへ車を走らせる。思ったより山の中腹は遠く、一向に距離は近づかない。もうぼちぼち夕闇が迫ってくる。
「あそこまで行く暇ないから戻ろう」
と再度ひさみが反対し出した頃、道路前方左手に工場らしき建物を発見。薩摩揚げの製造直売工場だ。これで土産を買いに再度駅前まで行く手間が省けた、と急遽そこに寄ることに。
一通り土産を揃え、記念にと工場前の看板で親子でパチリ。ひさみと志朗、二人とも笑っているがどこか寂しげ。ホントに諦め悪いね、キミ達(笑)

寮にもどり、志朗を車から降ろす。部屋まで送ってやるよ、と言うとここでいいと言う。
そうかじゃあガンバレと声をかけ、手を振る。うん、ありがとうと返事をして去ってゆく志朗。もう俺達を振り返りはしない。その表情も見えない。入学式の退場時と一緒だ。
もう一度ガンバレ、と心の中で繰り返して車に乗り、学園を後にした。すぐにひさみの顔が崩れてしまった。志朗の前では…と我慢していたらしい。
夕食には薩摩ラーメンを、という俺の希望を汲んで高速に上がるまでにラーメン屋を探そう、とか言いながらボチボチ車を走らせる。
ラーメン屋が見つからないのと、何となくまだ鹿児島から離れたくない心情が合致(笑)して、高速に乗ったのは志朗を置いてから一時間半ほど経ってのことだった。ようやく見つけた住宅地の中のラーメン屋は旨かったが寂しい味がした。

高速に乗ってからは当然車はグングン鹿児島市内から離れていく。陽の落ちた南九州の高速道は行き交う車も少なく、夜空の中わずかに輪郭が見える山ばかりが続く。車内の会話も弾まない。時たま、今志朗何しよるかね〜、さぁね、と不毛な会話が繰り返されるだけだ。
「もし今、志朗が怪我か何かして連絡あったら、ここなら学校に戻れるよねぇ」
と悲しげに言うひさみに
「何言ってんだ!別に少年院に送った訳じゃなくて、望んで恵まれた環境に置いてくるんだからもう諦めろ!」
と俺は言うしかない。
日頃、気丈に4人の母親をしているひさみがこんな母性的な部分があったなんて意外だった。それより、男親なのにこんな寂しい気分になってしまう自分が意外だった。あぁ、鹿児島が遠のいてゆく…という気持ちは俺にも痛いほど分かった。でも、父親はガンバレこのバカチン!と憎まれ口半分の応援をするしかないじゃないか。泣くことも泣き言を言うわけにもいかないし、男はつらいよ。
でも、そんな寂しい気持ちはさっさと切り替えて長男&次男以下三人の学費稼ぎにせっせとまた明日から働こう。俺に生き甲斐を与えてくれる坊主共、ありがとう。志朗が生まれた23歳の時からずっと俺は毎日が楽しいよ。これからもびっくりさせたり喜んだりさせてくれ。頑張って俺達二人で働くからよ。
2003.4.3(木) 志朗の入寮式

前日寝るのが遅かったので数時間しか眠れないまま、明け方の5時には起きた。
昨晩書き上げた原稿を諦め悪くああでもない、こうでもないと時間ギリギリまで細かい修正をし、3人で家を出たのは6時過ぎ。
志朗はなんとなく早く出たくなさそうだ。親の反対押し切って自分で行くの決めたくせに今更何言ってやがる、と車に押し込み、いざ鹿児島へ出発。

比較的安全運転をし、途中でアイス食べたりの休憩をいれ、そのたびに志朗はもたもたと長居をし、結局現地に着いたのは午前10時前。
明日の入学式を控えて、今日は午後から寮生の入寮式がある。そのため、午前中にはほぼ荷物を部屋に入れておかなければならない。
その部屋割だが、この日になってようやく部屋割りが分かることになっている。屋内にシャワーもある個室寮に、シャワーがないちょっと古めの個室寮、さらに共同部屋だ。
かって高校時代に3年間共同部屋の全寮制でほとんどはちゃめちゃで辛い思い出しか残ってない俺には、我が子にはせめて共同部屋は避けてほしいと思っていた。
幸い志朗はシャワーのある個室寮の方、それも3Fで見晴らしも良く、トイレにも炊事場にも近い部屋をGET!これで、夜腹が減っても腹を壊しても安心だ(笑)
あいにくの雨でぬかるむ地面で汚れないように、と気を配りながら布団などの大物の荷物を運び込むと、小物の配置や掃除を始めたひさみと違って俺はもうする事がない。ブラブラと寮の廻りを散策してみる。
この日は、中学も高校も一緒に入寮することになってるので、新入生となる中学生およびその父兄もあちこちで見かける。
『15で家を出すなんて…』と散々躊躇した俺達だが、遠方から12で家を出る子達もあたり前にいるわけで、その親はより大変だと思う。親元離れて集団生活(&一種の競争社会)に飛び込む本人達はなおさらだ。中一で小倉の寮に入ったが、劣悪な環境・先輩のシゴキ・ホームシックが重なってそれに耐えきれず3ヶ月で逃げ出した脆弱な昔の俺に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいよ(笑)
歴史が50年以上ある学校だけあって寮の廻りはかなり古いが、それでもモノが散らかっている訳でもなく整然としている。新しいが殺伐・荒涼とした俺の高校時代の寮と大違い…とここでも自分の過去と比較する。
そう、俺はある日物事には何でもピンからキリまである事に気付いたのだ。進学率も学校の設備もL高校はピンで俺の高校はキリ(笑) それを散策しながら実感する。

「カフェL」(こじゃれた名前だが要はただの学校食堂(笑))で食事を済ませた後の午後からの入寮式は、寮の食堂で行われた。中高の新入生に保護者で食堂はイッパイだ。
校長はじめ寮監先生など、寮のスタッフが前方に勢揃いし、それぞれ挨拶して行く。どの先生の話もしっかりしていて好感が持てる。父兄に媚びることもなく、集団生活の規律遵守を各先生が簡単に説明してゆく。この先生達に限らず、事務室も洗濯や食事の担当の職員も皆テキパキと動き、話す。親的にとても安心感がある。子供達には厳しいかもしれないが(笑)
それにしても、メキシコ人で修道士(校内の修道院に住んでいる)の校長の話はオモシロイ!笑わせながらも必要な話は分かりやすくきちんと説明してゆく。「話術」とかいう教科があったら、是非この先生に持ってほしい(笑)

入寮式も終わって、子供達は先生の引率で寮内の見学へ。親はその間暇になる(ひょっとしてこの日俺はほとんど暇だったのか?)ので、二人して志朗の部屋で今日のホテルはどんなトコだろう(ネットで一人¥3,000で押さえた。安さと共に不安は募る(笑))とか、晩飯は志朗は外出できるだろうか、とかグタグタと話していると、やがて志朗が帰って来た。
お前夕方は外出できるのか、と訊くと分からないと言う…それじゃ答えになってな〜い!
何となく学校や寮の雰囲気は高校というより、大学に近い。学校側から生徒への説明事項は必要最小限、個別に知りたい事があれば自分で訊きに来るか調べること、という姿勢だ。生徒達を子供々々扱いしてない。
…ということが良く分かったので(笑)早速寮監室へ訊きにやらせる。結局今日は夜8時の点呼までに帰ってくれば特に外出届は必要ないとのこと。それならまずは俺達の宿泊先へ、と寮を出て天文館へ向けて車を走らせる。
途中買い物にダイエーに寄ったことと、時間がちょうど夕方のラッシュにあたったこともあって、車はノロノロ運転で1時間近くかけてようやくホテルへ。部屋は心配したほど汚くもなく意外と小ぎれいで、ヘンなモノが出てきそうなイヤな感じもしない。志朗に荷物の持ち込みを手伝わせてホテルを出ると、今度は夕食を取りにJR西鹿児島駅前へ。

もう10年以上前に俺がサラリーマンだった頃、鹿児島市内に出張した事があって、その折りに俺の親父が駅前に美味いカレーを喰わせる店がある、と教えてくれた。とにかく海老フライカレーを頼め、とも。実際にその店を見つけて食べた海老フライの見事な大きさとカレーの心地よい辛さはいつまで経っても忘れられない味だった。
もしも志朗が鹿児島に行くことになったらあのカレーを喰わせてやりたいね、などと冗談交じりに話したこともあったが、そのもしもの事態になってしまったので、この機会に一緒に喰いに行くことにして意気揚々と駅前に繰り出した。
…ない。店がない。というより、駅前の風景が変わってしまっている。考えてみれば当たり前だ。来年にはこの駅まで新幹線が来るため、駅前は急激な再開発が行われて煩雑だった路面電車乗り場もなく、ごちゃごちゃと固まっていた駅前の商店群も姿を消している。そこで初めて憶えているのは店の場所とカレーの味だけで、店名も電話番号も知らない事に気付く。
ともかく、駅前の元々店があったとおぼしき場所近辺をウロウロしてみる。
何とかカレー屋があるにはあったが…怪しい。店頭のビミョ〜なドラエモンの絵は何だ?再開発でこの辺りに移転しているとも充分考えられるが…ヤマかけて入って全然関係ないカレー屋だったらどうしよう?カレーのメニューが全部「ドラミちゃんカレー」とか「スネ夫カレー」とか大盛りの「ジャイアンカレー」とかそういうセンスだったらどうしよう?(そんな訳はない)明日の朝食から寮の食事になる息子に美味いもの喰わせてやりたい親心は…
しかし、だんだんと門限時間も迫って来ている。腹も減った。頭の中は既にカレーだ。他に適当な店も見当たらない。えぇいままよ、とばかり店に飛び込んだ。客が誰もいない。やばい。ハズレを引いてしまったか?奥の店主と目が合った。もう戻れない。でもカレーの匂いはキョーレツに鼻を刺激する。
気を取り直して椅子に座り、メニューに目をやる。そこにドラエモン・キャラの名前はなく(当たり前だ)、コロッケにカツなどカレー屋らしいメニューが並ぶ(これも当たり前だ)。その中に特大カレーというのがあり、海老フライも書いてあった。
「この海老フライって大きいですかね?」
「えぇ、結構ありますよ」
うん俺の記憶の店はここか?と訳のワカラン自問自答をしながら、もう後に引けないので特大海老フライカレーを3つ注文。
出てきた海老フライは…俺の記憶と違〜う俺が求めていたのは、頭の先からしっぽの先までまっすぐピンと伸びて皿からはみ出ているカラリと揚がった海老だ。目の前の海老も結構デカイが海老らしく(笑)丸くなって揚がっている。
ともかく喰わなきゃ、とカレーを口に運ぶ。
間違いない、この味だった。大人の辛さが空腹を刺激し、さらにスプーンを口に運ばせる。美味いこの店だよ。この時点でようやく目的の店に入った事を自覚する。やっと一安心。辛いのがあまり得意ではないまだまだオコチャマ舌の志朗も、カライカライといいながらせっせと食べている。向こうの方にはいつの間にか老夫婦の客が居る。閑古鳥が鳴いている訳でもないらしい(ひどい思い込みだ)。そう、その老夫婦の皿と俺達の皿が違う。向こうはよくある大きめの丸い平皿、こちらは横長で少し底がある皿だ。前もこの同じ皿だった。この横長の方向に長い海老フライが乗っていたのだ。何らかの事情で海老の種類か揚げ方は変わってしまったんだろう。しかし、頭から尻尾まで残さず食べれる位カリカリに揚げているのは一緒。あぁ、夕方から降り出した雨に濡れながら駅前を親子3人彷徨した甲斐があった。
マスターに訊けば、やはり店の歴史は結構古く、再開発で現在の場所に移転したとのこと。だから店の表の雰囲気も違ってた訳やね。
(じゃないとあのきょ〜れつなドラエモンの絵は一度見たら忘れないはずだ)
結果的に満足して店を出て志朗をそのまま寮に連れて行く。
(ちなみにこの店の名前は「サフラン」だった。味は間違いなくお薦め。)
「一緒にホテルに戻ろうぜ〜」
とかこの後に及んで泣き言をほざいてる志朗を送り届けると、俺達は再び天文館のホテルに戻って行った。

元々、俺は鹿児島と何かと縁がある。というより何故か来たくても来れない土地だった。
母方の血筋が鹿児島で、夏休みにでもそのうち遊びに行きたい、なんて思ってた高校時代のある日、土曜の午後に寮から自宅に帰るとそこに家族の姿はなく、テーブルの上に置き手紙が。
「3人で鹿児島に遊びに行ってきます」
泣いた。マジで悔しくて泣いた。泣きながら米を炊き、マヨネーズをかけたシーチキンだけで一人の晩飯を喰った。
…話が逸れた(笑)
他にも、俺の中学受験時、このL中学を第一志望にしながら風邪でダウンし泣く泣く受験を断念した。
一浪時にはひさみと一緒に鹿児島大学を受験して共に落ち、心で泣いた。…なんだ、泣かされてばっかりの土地じゃねぇか。
(注1:この時はあくまで男女の仲ではなく、同じ予備校に通う友人同士という関係だった。でも帰りの特急の中でずっとお互い喋り続け、家に帰り着く頃にはちょっとだけ気になる娘になっていた)。
(注2:受験時、ひさみは合格の可能性が高く、俺は確率が低かった。平たく言うと俺の方が成績が悪かった訳だ(笑) 結果的には二人ともサクラチルだったが)。
このように、こちらが望んでいてもなかなか土地に受け入れてもらえなかった場所だ。つくづく、俺達夫婦を翻弄する土地でもある。
騎射場のホテルに同じく予備校の友人と3人で泊まった時には、約20年後にこうして二人でまた鹿児島のホテルに泊まるなんて考えてもいなかった。鹿児島を目指す受験生だった俺達が、今じゃ鹿児島に子供を預ける親になってる訳だ。
明日の入学式を前に、ひさみとホテルの部屋で酒を交わしながら、なんとなく感慨にふけりつつ、そんな事を話してその夜は更けていった。
でも、寝る前に最後に話したのは「志朗、今頃もう寝たかなぁ?寂しがってないかねぇ」だった。やっぱり俺達は親なんだね。一緒にいる時間はあれから数年しか経ってないような気もするけど。
2003.4.2(水) 挨拶文難産

昨日の懸念事項−何故ウチが!?−は何も解決しないままだが、ともかく受けたからには何か考えなきゃならん。
挨拶する場所がL高だからヘタな事言って失笑買うのもシャクだし…と気負って考えること数時間。
よし、出来た!考えがまとまると文章にするのは早いぞ。何しろ俺はプロのテクニカル・ライターだからなフッフッ…と急に肩の荷も下りて打鍵する手つきも軽やかにすらすらと打ち終わった。
プリントアウトして、さっそくひさみに見せる。
「おら、これでどーよ?この自信作!
黙ってじっと文に目をやるひさみ。そら、言ってみろ「素晴らしい!」と!!
読み終え、顔を上げた彼女は、開口一番こう言った。
「面白くない」
…ハァ!?人が一生懸命考えた文章をどういうことだよ!?
「これじゃアンタが挨拶する意味なんにもないよ。そこら辺の面白くない来賓の挨拶と同じ」
キ、キミ〜…それはシビア過ぎませんか!?この時間がない中当たり障りがなく分かり易い挨拶を…ハッ!それじゃ確かに俺らしさがない…クッ!しかし、どーすりゃいいのよそれじゃ!?
「それはアナタが考えることよ」
う〜ん、人の苦労も知らずになんたる言い草!じゃお前考えてみろよ〜!
「しょ〜がないわね〜フフン(薄笑)」
そう言って、さも自分なら簡単に…と書き始めたひさみ。
だが、やがて自分の文章を読み直して
「…ああ、ダメだこりゃ」
どれどれ、大口叩いた成果を見せてみろ!と下書きを取り上げて見たら…なんだ、お前も当たり障りのない文章じゃねぇか!(笑)
(※なお、このひさみバージョン没原稿もUPする予定だったが、本人の超強力な掲載拒否によりお見せできない(笑))
なかなか思ったほど書けないのがやっと分かってそれでも何とか考えようとしているひさみを見ながら、「俺らしさ、俺らしさ…」とブツブツ考える。
…ひらめいた。
再度PCに向かい、一気に書き上げた草稿をひさみに見せる。
「今度はどーよ!?(かなり自信ありげ)」
「うん、これならOK!」
よっしゃ〜!俺らしいだろう?そうだろう〜!!(完全自己満足モード)
何かちょっと挨拶するのが楽しみになって来たゾ。何より、当日俺の挨拶聞いて「そう来たか…」とヤラれる志朗の顔を見るのが楽しみだ(笑)
…明日は明け方に鹿児島に出発するんだから早く寝なきゃな。もう午前様になってるよ(泣)
2003.4.1(火) 何故ウチが!?

志朗の鹿児島行きがいよいよ2日後に迫ったこの日、志朗と章祥を連れて俺の母校である小倉のN中学へ剣道の出稽古へ。
俺が在籍していた頃は、俺みたいな幽霊部員が大きな顔している位弱かった(笑)が、今では指導者の熱意もあって北九州随一の強豪校になっている。昨年の篠栗中学も新人戦で敗れた相手だ。
行って剣道を見て実感したことだが、今のこちらの剣道がもっとも苦手なタイプの剣道スタイルだった。遠間からほとんどモーションを付けずに打ち込んでくるので、間合いが近い篠栗では分が悪い。やがて、章祥と当たることもあろうし、良い勉強にもなるだろうと思って連れて行ったが、行って良かった。

小倉から帰って来た後、今日の出稽古についてひとしきり話に花が咲き、もうじき遅めの夕食を始めようという直前に電話が鳴った。誰だ、こんな遅い時間に?…と思いながら受話器を取った。
「…夜分恐れ入ります、私、L高校の教師の○○と申しますが、中倉志朗君のお宅でしょうか?」
あまりにも予測していなかった突然の電話に、一瞬にして弛緩していた思考回路は収縮し、頭の中では脳内ドーパミン(何じゃそりゃ?)が大量に分泌し始め、色んな考えが瞬時に駆け巡る。
「何でいきなり夜にL高校から?」「これって四月馬鹿で誰か俺を担いでるのか?」「L高校のPTA地区総会に欠席したからか?」「入寮式の日にちを勘違いしてたのか?」「合格は間違いでやっぱり取消なのか?」
と疑問符で溢れかえる頭の中を抑えつつ、
「は、はい、中倉ですが…ど、どう言ったご用件でしょうか?」
と何とか返事を返す。
「志朗君のお父さんでいらっしゃいますか?」
とこちらの立場を確認した上で先生が切り出した要件は…何と俺に入学式で父兄代表挨拶をやってほしいと言うのだ!
何で?マジ?どうして?なしか?…と貧困なボキャブラリィ丸出しの言葉で埋め尽くされる頭の中。しかし、一方で何でも面白がるチャレンジャーの血が急激に脳内を満たし、口を突いて出た言葉は
はい、喜んで!
だった…あまりにも後先考えない短絡的な返事(笑)
「しかし、どうしてウチなんですか?」
と素直な疑問が次いで口から出る。
いや、実は…と先生が話してくれた内容は、その先生が志朗の担任で学年主任でもあるため、挨拶の父兄代表を選考しなければならないこと、できれば父親にやってほしいが入学式が平日で遠方からの入学生も多いため入学式に出席する父親が少ないこと、であった。
なるほど、とその場は納得し、その頃にはようやく気持ちも多少落ち着いてきたので、大事な事は聞いておく。
「どの程度お話すれば良いですか?」
「式の最後に中学と高校の新入生父兄代表がそれぞれ一人ずつ挨拶していただきます。校長に向かってそんなに長くない程度でお願いします。」
「具体的にどんな内容をお話すれば良いでしょうか?」
「学校への抱負でも新入生に贈りたい言葉でも…内容についてはお任せします。」
うっ…(汗) さすがは生徒の自主性を重んじるL高校。父兄にも自主性を求めているのか…しかし、それではさっぱり不安なので、入学式前日の入寮式終了後に事前にお会いして、文面をチェックして頂く約束をもらい、電話を切った。
それでも頭の中はやっぱり何故ウチが?と自問自答の疑問が渦巻いている。
とりあえず、流しで食事の用意をしているひさみに言うと、思ったとおりの反応。半信半疑。そりゃそうだろう。で、口から出た返事は
何故ウチが?
うんうん、お前の気持ちは分かるよ、俺だってそう思ってるんだから。
その後、食事の直前に
「志朗、重大発表があるよ〜」
と、志朗にも事の次第を告げたが、コイツは見事に信用しなかった。親が共謀して自分を担いでいるとハナから決めてかかっている。
「ともかく、入学式を見ておけ!」
と言っても信用しない。イヤ、信じたくないのか?(笑) 入学早々、親が目立ってほしくはないだろうからなぁ。…ハッ!ひょっとしてヨソの親はそれで何軒か断られて、巡り巡ってウチに来たんじゃないのか!?
あまりにしつこく信じない志朗に俺達がしつこく言うので(笑)、さすがに志朗もまさかホントに…と思い出した。
今日は志朗の大好きな手作りハンバーグ。明日はじいちゃんばあちゃんに会いに行く&章祥以下3人を預けに行くので、我が家ではこれが最後の晩餐。これが事実なら、とてもそんな優雅な気分にはなれないだろう。ついには
「分かったから、もうその話はやめよう!ご飯をおいしく食べようよ!」
と言い出しやがった。なるほど、目前の疑問は置いといて、とりあえず現実逃避モードか。確かにこの場合、それが正しい選択かもしれない(笑)
色々と解決しない疑念ばかり残りながらこの日は寝た。
志朗が出てゆく前に家族で馬鹿騒ぎやって、少しはしんみりした気分も味わって、などと考えていたが俺の気持ちはもうそれどころではない。
早く挨拶文を考えなきゃ!



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