Diary

突如復活日常記録簿


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ここは、個人サイトの極私的な日記のページです。
従ってここに書いてある内容はすべて当サイト管理人本人の主観に基づくものであり、これを万物の真理であると主張するつもりはありません。
ただし、間違いなく管理人の主観でもあるので、このコーナーに対するご意見・ご批判は私ことyou@sun-house.netまで直接ご連絡ください。直接連絡以外の影での誹謗・中傷は固くお断りします。
また、以上の趣旨を理解していただいた上での読み物としてこのコーナーを閲覧してください。この趣旨に賛同できない方は、以下の記事の閲覧はご遠慮ください。


2003年 7月

2003.7.31(木) たこ焼祭り
(おやつ)庭で採れたもぎたての焼トウモロコシ、青菜むすび
(昼)たこ焼きにビール♪
(夜)鯖の生姜煮、焼茄子、ゴーヤーチャンプルー、泡盛のシークヮーサー割



かなり前に家でたこ焼きを焼いた時は地獄だった。鳥のヒナよろしく口を開けて待ってるだけの坊主共の胃袋を満たすため、ひたすら焼き続けた。自分にはなかなか口に入らなくても、時間が経って満腹になっても焼き続けた。3時間近く焼き続けた。二度と家で焼くまいとさえ思った。
それから数年。時は流れ、子供達は成長した。つまり自分達で焼くようになった!ただし、一度に焼ける15個中、巧樹は1個、奨悟は3個であとは志朗と章祥がクルクルと回し続けるのだが。
俺は焼き具合奉行と化し、それそちらをかえせこちらを皿に上げろと指示を飛ばし、皿に盛られた15個のたこ焼きにおたふくソースをかけて青のりをまぶすだけでよくなった。ひさみは追加の粉を調合する合間にたこ焼きをつまめる余裕も出来た。ビールを合間合間に飲む余裕すらあるのだ!(しかも平日の昼間から!!)
分業制にしたので焼く効率も良く、2時間足らずで家族のお腹は満たされた。その間各人の胃袋に消えたたこ焼きの総数約200個。
…何でこう何でもかんでも食う量がバカみたいに多いんだろう?(笑)
2003.7.30(水) ナイター・サッカー
(昼)胡麻ダレ冷やしそば、シーフードマリネ
(夜)[ほか弁]カレーにビール♪



今年も小中学校で希望者にアビスパのタダ券を配っていたのでもちろん申し込む。
枚数の関係もあり、今回はとりあえず家族のみで試合場へ。
博多の森のナイターは初めてだったが、夕暮れ〜夜の心地よい風にナイターの雰囲気は悪くない。
行きがけに購入したカレーを食べながらのんびり観戦も楽しい。
とはいえ、やはり熱気がある方が面白かろう、と食事が済んだらゴール裏からサポーター席の方へ移動する。
(アビスパ側のサイド部分で、野球で言えば外野席で応援団が集中してる箇所)
Jリーグから落ちたとはいえ、熱心なファンはまだまだ存在する訳で、熱気こもる場所でのにわかファンの応援も悪くない。
ただ、試合経過など目もくれず鬼ごっこで目の前をチョロチョロ走り回るガキ共数人(小学校低学年位?)が気になる。ちょっとは放っておいたがたまりかねて「うろちょろするな!」とどやしつけたら、その間に貴重なゴールシーンを見逃した。このクソガキ〜!!(怒)
多分、後方で周囲の目なんざ気にもせず宗教じみた応援歌を唄ってるサポーターの子供なんだろう。これじゃパチンコに熱中して子供を駐車場に放ったらかしのバカ夫婦となんら変わりない。
親を見つけたら怒鳴りつけてやろうと思ってたが、見当たらない。まぁいいか、と試合場を出る前にトイレに行くと、先刻のガキ共数名がここでも鬼ごっこをしながら走り込んできた。勢いよく小便器の前にピョン!と飛んで行った子供が一人、勢い余って見事に便器に頭から突っ込む。身体がすっぽりはまって眼を白黒させている。そうか、お前はそこに住んでいたのか。ではそこに帰れ、二度と出てくるな、と心で優しく話しかけ、トイレを後にした。子供を放置させたバカ親は、我が子が小便臭いのにも気付かずまた次回も騒ぎに来るのだろう。勝手にやってろ。

以前の自分の日記で、アビスパのサポーターの事をボロクソに書いていたが、今回も何となく「何か変だよなこいつら」という思いは残った。
例えば福岡ドームに行って外野席でにわかファンになって応援する時はそう感じない。ちゃっかり周りと一緒に自分も声を上げて応援してるのだ。この気持ちの差は何だろう?別に自分が取り立てて野球の方が好きでもないし(どちらかと言えば元サッカー部だし)…と漠然と試合を観ながらずっと考えていたんだが、帰りの車中ではたとその理由を思いついた。
他人に対するマナーが悪すぎる。これに尽きるだろう。
ダイエーの応援団はスピーカーを持って周りに呼びかけ「ご一緒に応援よろしくお願いしま〜す!」としょっちゅうやっている。試合が終われば勝っても負けても「ご協力アリガトウございました〜!」と周りに頭を下げる。だからこっちも「いやいやこちらこそおかげで楽しませてもらいました」という気になって、あ〜楽しかったという気分で帰る事が出来る。
サッカーのサポーターにはこれがない。少なくとも俺が今まで博多の森で見てきたアビスパの応援にはない。もっと細かく言うならゴール裏のサポーター集団は「ご協力お願いしま〜す」とやっているが、サポーター席側の連中には皆無。上記の便器在住小僧にしてもそうだが周りの事などまったくお構いなし。居酒屋でやかましいバカ騒ぎの学生コンパ集団と隣り合わせになってしまってヤレヤレ状態と一緒だ。しかも何語か見当もつかない変な唄を延々と歌い続けるし(野球の応援歌はダサダサだけど日本人の心に親しみやすいと思う)。
終わっても自分達だけでワーワー騒いだり悪態ついたりで品がまるでない。
剣道の応援は応援時もあまり声を出すと父兄でも注意されることがあるので、この落差は強烈。オマエラ、正座して観戦してみろ!と言いたくなる。周りに迷惑かけるよりはマシだろう。
ということで、疑問もスッキリ解決し(笑)、試合…というよりもイベントは楽しめたし、良い一夜だった。ここでも記念写真をパチリ。
2003.7.29(火) 玉竜旗男子決勝
(昼)玉葱納豆、ツナと紫蘇入り卵焼、ミョウガの味噌汁、短冊山芋
(夜)鶏手羽のさっぱり煮煮玉子入り、ピーマンと人参の胡麻炒め


前述の通り、我が家の今年の玉竜旗熱は27日をピークに過ぎてしまったのと、ブロードバンドで試合の生中継が観れることもあり、今年の最終日は会場に行かずネットで観戦。
これなら仕事しながらでも出来るし…なんてひさみと話していたが、結局どの試合場も気になるチームが多く見て廻っていたら結局ほとんど仕事は手に付かず(苦笑)
優勝旗は関門海峡を渡ってしまったが、優勝した桐蔭はやはり剣道の完成度がずば抜けていたように思う。
それにしても、ネットの中継が度々切れるのには閉口した。そんなら見に行けよ、とも思うがリアルタイム中継を唄っている以上、ある程度の環境は予め用意しておいてほしかった。多分、当初の予想よりアクセスが集中してニーズより回線が細かったんだろう。
事実、今年三連覇がかかっていた九州学院の試合が特に繋がりにくかったし。来年は改善に期待したい。というより最終日までL高校に残っていてほしい…ちょっとそれは難しいか(笑)
2003.7.28(月) 帰ってきた奨悟
(夜)鰻のひつまぶし、卵豆腐、枝豆



奨悟が前日まで能登川で不在だったため、我が家の土曜丑の日はこの日に。
ひつまぶしは少なめに茶碗に盛り、一杯目は粉山椒を、二杯目はミョウガと海苔を薬味にして。三杯目はミョウガとネギを、四杯目はワサビとネギに海苔をそれぞれのせ、煎茶と出汁をかけて茶漬けに。結局四杯も喰ってしまった。これじゃ痩せない(笑)
鰻が大好物の章祥はもちろん、他の三人の坊主もご満悦。数十杯のお代わりを延々とつぎ続けたひさみのみが「これじゃゆっくり食べれない!もうやらない!」と根を上げていたが(笑)

それにしても奨悟。
能登川は楽しかったようでヨカッタ。しかしやっぱりこっそりやってたんだ、コイツが。自分なりの正義を通したらしいが…しかし3回もやるなよ。結構喜々としてやってないかお前?心配して冷や汗をかく親の身にもなれ!何?お前が子供の時はどうだったって?そりゃ親になってみらんとこの気持ちは分からんさ。こりゃまた失礼イタシマシタ(笑)
2003.7.27(日) 我が家の玉竜旗
(夜)いくら丼、具だくさん味噌汁、唐辛子もろきゅう



例年、最終日の男子決勝を家族みんなで観戦に行くのがここ数年の行事となっていた。
しかし、今年は初日に志朗が所属するL高校が出場する。とりあえず初日に観に行かなきゃ!とバタバタとただでさえ忙しい夏の予定を変更。
この日は巧樹が出場する相撲大会もあるので、極力そちらも応援してやりたいし、観れるトコまで観て行こうかい、と相撲のある神社へ朝から出かける。
自称"強い"巧樹は団体戦で2敗し、調子が悪い(ホントはこれが実力か)
続く個人戦も大した期待はしちゃいなかったが、何とか勝ち抜いて準決勝まで駒を進めた。お、やるじゃんと期待を持ちかけたら、負けた(笑) しかも先週の個人戦では決勝で当たって勝った子に!バカヤロ! もっとも、その子も剣道を教えてる子だし、それはそれで良かったが…知り合いとしては嬉しいが親としてはクヤシかった(笑)
気を取り直して3位決定戦。これも負けた(笑) …ウ〜ン、今一歩!

午後1時頃に巧樹の個人戦が終わると、俺と章祥で会場のマリンメッセに出かけた。この日全25試合中22試合目と遅めだったのが幸いした。
(無論、一日で25試合だけある訳ではなく、A〜Hパートに別れて各パート毎に団体戦が25試合行われる)
この玉竜旗は団体戦と言っても抜き戦(勝った方がそのまま残り、次の順番の相手と闘う)なので、5人抜きなど早い所は早く終わるし、一進一退で団体戦一回につき10試合近くも闘うこともある。また、ポンポンとものの1、2分で決まる試合もあれば延長を重ねて計20分近くも続く試合もあったりで、試合場によって順番の消化具合が大きく違ってくる。
L高校のパートは何故かもっとも遅い類で、試合の順番が廻って来た頃には5時近くになっていた。
試合前に探し出して声でもかけようか、と思っていたが、何しろ初日で計545校が参加し、選手のみならず審判やら応援の父兄やら来ているのでこの日は特に人出が多い。とても探し出せなかった。
クーラーがまったく効かず、会場内は苦しいぐらいの暑さだったのも辛かった。もっとも、来月の俺の昇段試験は九電記念体育館でもっと会場は古いし、まだ暑いのかもしれないが…ハァ、憂鬱だ。

閑話休題。
ようやく試合直前になって下の会場にいる志朗達を発見し、俺達も降りて行った。選手ではないにせよ、憧れの玉竜旗会場に立つことが出来たので、ここでとりあえず記念に一枚パチリ。
いよいよ始まった試合も懸命に応援したが、健闘及ばず初戦敗退。去年は5人抜きされていたので、今年相手の中堅まで行ったのは上等か?
試合後、志朗の歯の治療についての確認事項をいくつか先生と打ち合わせ、ホテルまで同行して荷物と一緒に志朗を引き揚げることにした。試合の応援中に俺の目の前で応急処置の歯のカバーが飛び(笑)ロクにモノが食べれないようなので、明日の朝早くから歯科に連れてゆくことにする。かかりつけの歯科の先生はL高校の卒業生(この町の小中学校からL高校に進学したのはこの先生以来志朗が2人目らしい)なので話も早い。L高校進学を決めかねている時も親子でこの先生にアドバイスを求めに行ったし、つい数日前に志朗が挨拶に行ったばかりだ。こんな事で志朗が訊ねてきたらビックリするだろう(笑)
志朗が荷物を取ってくる間、同行した剣道部の2・3年生と話した。みんな素直でよい子ばかりだ。指導者や引率の先生も立派な方ばかりで改めて安心する。
ともあれ、我が家の玉竜旗観戦はこの日がメインだった。

俺達が帰宅すると、鹿児島から書類が届いていた。志朗の期末テストの成績表だ。
総合成績は、俺の設定したハードルにまったく及んでいなかった。順位が最初から低かった英語と数学は十分努力の後が見られたが、得意科目の国語が酷いものだった。それが総合順位にも響いていた。本人はなんでそんなに悪いかまったく理解できないと言っている。おおかた、解答欄の書き間違いとかそういった大ポカだろう。せっかく俺がハードルを低めに設定してやっている(本当は本人の実力の130%が死にものぐるいで努力するレベルだがそれを115%程度のマイルドな目標にしてやったのに!)のにそれすらもクリアできない。
あ、ここで「なんて子供に無理強いする親なんだ!」と思った人、それは間違いです。ウチの子はみんなかなり高めの努力目標を与えて追いつめないと本気で努力しない!何しろ俺の子だからね(笑)

章祥以下3人もテストや通知表の結果には元々満足してなかったので、食事前にお説教。目標クリアできなければ剣道を休部もしくは退部する旨を通知した。夏休みは例年よりずっと厳しく管理することも宣言。不満げながら言い返せない坊主達。ヘヘヘざまーみろ、悔しかったら見返してみやがれってんだ!(笑)

と、この日もこのように濃い一日が終わり、やっと安心して皆でいくら丼を食べました。あぁ、一日の終わりはやっぱり良く冷えた焼酎のロックだね(笑)
2003.7.26(土) 深夜のベル
(夜)豚肉のしそ巻き焼、きゅうりの胡麻マヨネーズサラダ
(深夜)[外食]ラーメン『元祖長浜屋』(天神)

夜中にヒステリックなベルが鳴り出す いつかのヒッチコックの映画のように
(ARB『ノクターン・クラブ』)

いつかはこの書き出しで日記を書いてやろうなどと思っていたが、その日は予期せず突然にやって来た。
この日一日、玉竜旗剣道大会の女子の結果で盛り上がり、この日も4人で空間の少し広く感じる食事を済ませ、夜11時にさぁ今日はもう早めに寝ようか、と言っていた時にいきなり電話が鳴った。
「こんな時間になんやろ…?ちょっと出てよ」
といぶかしがるひさみに促されて、俺が電話に出る。
「もひぃもひぃ…」
受話器の向こうは何だか籠もったような語尾がはっきりしない志朗の声。
「何かお前、今頃どうした?」
と訊ねる俺に、唐突に自分の保険証が家に置いてあるか?と問い返す志朗(寮暮らしのため、保険証は志朗の分だけ別に作ってある)。何を言ってるんだ?ん?保険証が何でこんな時間に…??
「何で保険証が要るとや?」
「歯ぁが折れた〜」
…ハァ?(別にダシャレではない(汗))
何故!?と混乱する俺をヨソに、志朗はなおも保険証の在処を尋ねる。
さっぱり要領を得ないので、ひさみと代わる。
眼を白黒させながらも受け答えをするひさみは電話を切ると、
「…合宿先で歯折れたから、保険証持って来てくれって。何喋ってるか聞き取りにくいし、24時間営業の○○歯科に行くらしいから、とにかく詳しい話はそこで聞こう」
と言う。
未だ後頭部に鈍痛が走るので早めに寝よう、と思ってた俺の計画はぶち壊し。ともかくバタバタと既に寝ている2人の坊主達に書き置きだけ残して家を出る。
はやる心を抑え空港方面に向かう車中の俺達の頭の中は疑問符だらけ。
剣道の練習中にやったのか?面を被って歯を折るはずないし、面を外した時に竹刀で叩かれたか?いやこんな時間に剣道するはずはないし…じゃあ喧嘩!?歯折られたってのはヤラれたって事か?負けるとはけしからん!いや、今はそんな事で怒ってる場合じゃない。ツマラン事で試合前の先輩達や先生達に心配かけてどうする!いや、原因もワカランのに怒ってもしょうがない…結局、何でこんな事に?会って聞いてみらんことには分からんよ。でも何で…とかなり混乱した会話を重ねる俺達二人。そのうち、自分で電話してくる位だから大事には到ってない事は分かっているのもあって、だんだんと腹が立ってきた。心配ばかりかけやがって!
剣道して親に怪我させかけたり今度は自分が歯折って…剣道やっても怪我するばっかりやんか、と怒りがかなり高まって来た処で歯科に到着。時間はあれから30分ほど経っている。
と、その歯科の前に立っていた男性がこちらに近寄って来て俺達に
「中倉さんですか?」
と声をかける。
その男性は引率の先生だった。
この歯科に来てみたが一時間待ち(こんな時間になんて客が多いんだ!)とのことで、近くのやはり深夜営業の歯科に行ったので案内するとのこと。ともかくそっちに、と、先生に同行してもらい再度移動。

結局は喧嘩などが原因ではなく、バッド・タイミングで起きた偶発事故だった。志朗にも相手方にもまったく悪意なし。運が悪かったとしか言いようがない。歯は前歯が2本欠けて見た目結構悲惨な(もしくは笑える)状態だが、事故後、引率の先生方が誠意ある迅速な対応をして頂けたのが不幸中の幸いだった。
とりあえず折れた部分のカバーを充てて応急処置をしてもらった歯医者によると痛みがこれ以上増すことはないし、今晩は家に連れて帰らなくても大丈夫だろう、との事。剣道部の方は次の日ももう一泊を予定しているとの事だが、明日の試合の結果如何によって連れて帰るかどうするか決める事にし、とりあえずこの日はホテルまで送って先生によくよくお願いしておいた。

先生と志朗を降ろして帰路に着く頃にはもう午前1時前になっていた。
やっと気が抜けると腹も減る。パフェを主張するひさみだったが、安い・早い・腹減ったとのゴーインな理由でラーメン案で押し通した。夜中のラーメンは旨かった。明日も早くから忙しいけれど。あぁ疲れた。
2003.7.25(金) 残りの4人
(昼)[外食]ラーメン『てん』(大橋)
(夜)烏賊天入りソーミンチャンプルー、鶏の唐揚げ



朝、奨悟は姉妹町との交換小学生で滋賀県・能登川町へ旅立って行った。
志朗も以前経験し、章祥は希望者多数のためジャンケンで涙をのんだ能登川行き。
来月には我が家を訪れる事になる、まだ会った事もない相手の子の家に行くというのに、いつもと変わらぬ肩の力が抜けすぎたリラックス振りの奨悟。…我が子ながらホントにコイツは大丈夫か?
菓子折持って詫びを言いに能登川に飛んで行くような羽目だけにはなりたくないが…運を天に託す(オイオイ)

昼には志朗を合宿先となる大橋の施設へ送って行った。
二日後の高校玉龍旗に参加するため、他の高校も数校、同施設に宿泊するようだ。
「おい、早く食事済まさないと午後からの練習に遅れるぞ!」
と先輩に檄(げき)を飛ばされ勢いよく剣道着で走り去って行く他校の生徒。
それに対して、のんびりマイペースで私服のまま食事に向かうL高の生徒。ある意味志朗に合った環境なのか?(笑)
気負ったものがない部分、試合で良い所が出せると良いと思う。志朗、今回はメンバーになれなかったお前もしっかり頑張ってこんかい!

そんなこんなで、この日の夕食はお箸が4つしか食卓に並ばない。
かなりの争奪激戦となりそうなこの日のメニューも余裕を持って食べれた。楽だね。でも慣れとは恐ろしいもんだ。4人ではちと寂しい。
2003.7.24(木) ノーシントー
(昼)[外食]ラーメン『祇園ラーメン』(八幡) … ココのラーメンが俺的ランキング1位
(夜)鰹のタタキ紫玉葱添え、おからの五目煮、しそ入り汁素麺

夜、数ヶ月ぶりに志朗と剣を交えたが、腰の筋をやってほとんど練習してなかったらしく、大した成長なし。つーか退化してないか、お前?
本人もそれが納得いかないようでヤケになったり中途半端に打って来たりで、俺は労せずして竹刀を捌きつつポン、ポンと技を入れてゆく。
「ほら、お甲手!」とポン、と打ち込んだ所に志朗がえいクソと両手を俺の面に思い切りぶちかまして、タイミング悪く(良く?)俺はのけぞって後頭部から転倒した。
嗚呼、やっぱり道場の床は固い。俺の頭より固いかもしれない。というか痛い!冗談じゃなく痛ェ!後頭部を抱え込んで道場の隅でうずくまる。
子供達が心配そうに集まってくる。他の先生達も「大丈夫ですか?」と声をかけてくれるが、我が息子にヤラレタのでは誰にも文句言えない(苦笑)
目の前がグルグル廻り、後頭部はガンガン痛い。それでも少し休んで再度面を被り、志朗と向き合った。
が、ものの数分も持たなかった。目の前はますます廻り、吐き気がこみ上げる。
これ以上周りを心配させたくなかったので、面を外してなんとか防具だけ片付けると、竹刀の片付けを奨悟に任せ(奨悟に任せたというトコロがすでに正常な判断力を失っていると思われる(笑))、子供の回収はひさみに任せて俺は道場を後にした。
視界がいくつもズタズタ分断されてそれぞれが廻ってるような感じで、車の運転は危険きわまりない。何とか帰り着いて車庫入れもせず、家に上がる。
ここでバタン・キュ〜と寝込めないのが悲しき剣道後の状態。汗くさくてドロドロだ。
トイレに行って吐いたあと、這うようにして風呂に入る。湯船に浸かって目の前がグルグル廻り動けない(ひょっとしたら多少意識が飛んでたかもしれない)所を、帰宅したひさみから
「これじゃのぼせてますますひどい状態になるでしょ!」
と強制風呂退出を命じられ、上がってすぐに氷枕で横になる。
この後、なんとか飯を喰ってその日は寝たが、後頭部の鈍痛は数日続いた。
こんな事は、中学の時先輩とタイマン張って後頭部に肘打ち入れられて以来だった。
それにしても馬鹿息子だ。面を打って来て勢い余って相手をブチ倒したならともかく、親だろうが何だろうが目上に向かってこういう危険行為をするとは礼を欠きすぎ。甘えんな!とたんまりお灸を据えておいた。
2003.7.23(水) 志朗帰省(一時)
(夜)ゆで豚のにんにくソース、きんぴら蓮根、自家栽培の茹でトウモロコシ、キムチ

五月蝿い。
車の中は堰を切ったように坊主共の話し声の洪水だ。
こちらが話しかける余裕まるでなし。
志朗を博多駅まで迎えに行った帰りの車中はこんな状態だった。
で、帰って晩飯になってもその状態のまま。
2日後には南区での合宿に参加するため、この日はプチ帰省。
それでも志朗の好みのものを作ろう、とひさみは、先日の村崎さん&AKIさんご一行様宿泊時に売れ行きの良かった料理を再度作った。
ということで、とりあえずこの日の我が家は志朗プチ帰省祭り。というか俺は呑むネタがあれば祭りが出来てそれで良し(笑)
2003.7.22(火) 夏休み、そしてそのありきたりの日常
(昼)海老と焼茄子のぶっかけ素麺、豚しゃぶと紫玉葱のサラダ胡麻ドレッシング和え
(夜)白身魚(マビキ)のムニエル、豆腐とじゃこの和風サラダ、唐辛子もろきゅう

06:00 ひさみ&章祥起床。ひさみはすぐさま朝食の支度。
06:30 俺が暑さで目覚める。章祥は一人先に朝食。
06:50 奨悟&巧樹起床。寝ぼけ眼でラジオ体操へ。章祥は部活へ。
07:30 ラジオ体操から帰ってきた下二人と一緒に家族の朝食。
08:00 ひさみは家事にパタパタと動き回る(う〜ん、これぞ『パタパタ・ママ』)。下二人は二階で午前中の学習。
08:30 俺はゲームで軽いウォーミングアップをしつつ、仕事開始。
10:00 奨悟、学校の水泳教室へ。
10:30 章祥、部活より帰還。頼むから喋るのは後にして早くシャワーを浴びてくれ。
11:00 退屈した巧樹が仕事部屋に乱入。PCでゲームしていいかとせがむのでプロレス技をかけて追いやる。
12:30 奨悟、より黒くなってプールより帰還。昼食。
13:10 俺はゲームで軽いウォーミングアップをしつつ、午後の仕事開始。
13:15 ひさみは家事にパタパタと動き回る。パタパタ・ママ・アフタヌーンバージョン。
15:00 昼のおやつをクーラーが利いている俺の部屋で。クーラーが利いていてもやはりアイスは旨い。
15:30 ひさみ、俺の部屋で経理作業開始。もちろん、ウォーミングアップはパズルゲームだ。
16:00 退屈した巧樹が仕事部屋に乱入。マンガを持ち込んで読み出す。
16:30 退屈した巧樹がPCでゲームしていいかとせがむのでプロレス技をかけて追いやる。悪態をつきつつ巧樹、退場。
16:45 仕事に飽きた俺が部屋で剣道形の稽古を開始。あまりに酷い忘却ぶりにひさみに馬鹿にされる。
17:00 奨悟、サマーメモリアル参加のため再度小学校へ。
17:10 巧樹、子供相撲の稽古に出かける。
17:15 剣道形に飽きた俺が部屋で仕事を再開。
19:00 俺が剣道の練習に出かける。
19:10 巧樹、相撲の練習より帰宅。今年調子の良い巧樹の舌はこの日も絶好調。お前も喋るのは後にして早くシャ(以下略)
20:00 章祥と巧樹だけ先に夕食。
20:30 章祥と巧樹だけ先に入浴。
21:00 解散時間になったので奨悟を引取に、ひさみが学校に出かける。
21:20 俺が剣道の練習より帰宅。途中で徒歩のひさみ&奨悟と鉢合わせ。俺はとても優しいので同乗させてやる。
22:00 各人入浴後、子供は就寝。親は夕食と言う名の酒盛り。

これが我が家の夏休みの、いつもの日常。もちろん、どちらかと言うと変化が少ない日だ。
明日からはもう一人増える。多分、何の違和感もなく我が家の日常に溶け込むだろう。
2003.7.21(月) 洪水の後
(夜)豚とニンニクの芽炒め、シシャモ、キムチ、ブロッコリの胡麻マヨネーズ和え、もぎたてトマト

女房子供は子供会の行事でプールに出かけてしまい、俺は家にポツンと残された。
申込み時に「仕事が忙しいのにそんなの行けるか!」と豪語した手前、どうも働かなきゃいけないらしい。嗚呼休日なのに(泣)
家に居ても気が乗らずに仕事にナランと判断し、昼食がてらクライアント廻りだ、と午前中から外へ。
先週末の大雨は九州各地に多くの被害をもたらしたらしい(筑豊の誇る文化施設・嘉穂劇場が壊滅的な被害とのこと。ショック!)が、篠栗は思ったより大したことなく、何の気ナシに外に出てみたらあちこちに水害の爪痕が。
新規開拓だ、とネットで調べていそいそと向かった志免のラーメン屋は休業中だった。その辺り一帯の店はどこも屋内に残った凄まじい泥の掻き出しで商売上がったり状態。道路の両脇には泥があちこち積み上げられ、収集車が何台も走り回っている。
洋服屋の店先でずぶぬれになって泥だらけの商品を外に並べたまま茫然自失と座っている女性がやけに頭に残った。

この日向かった先は吉塚のクライアントで留学生用の学校。浸水50cm以上で机の引き出しが半ば水に浸かり、大事な書類や機器の多くがオシャカに。水の引いた後も床の一部がたわみ、引き出しの中やキャビネットの下は泥だらけ。俺が呼ばれたのはPCと周辺機器の動作確認。被害結果はインクジェットプリンタ水没、無線LAN環境が吹っ飛び、OAタップやコンセント廻りもアウト。
俺の作業は数時間で復旧したが、ここの先生達は土曜の夜8時に緊急呼び出しで、明日の授業に向けてずっと作業を続けているらしい。
(復旧作業開始当初はとにかく浸水後に残った泥の悪臭がひどく、掻き出し作業ばかりだったらしい)
これは水害というよりもう洪水だ。天災の前には人間為す術もなし、ということを実感。
それにしてもPCは通常机の上に置いてるからどこも大丈夫だったようだが(ただし机の中にノートPCを入れていた人はアウト!)、コピー機は床に直置きしてる所がほとんどでどこも使い物にならない。儲かるのはコピー販売会社で損するのは保険会社なんだろうか?
(すぐこういうことを考える)
2003.7.20(日) 子供相撲大会
(夜)ポークソテーのトマトソース和え、いんげんのバター炒め、サラダ



毎年恒例の地域の相撲大会。
神社の奉納行事として、境内の一角にある土俵で行われる。我が家は長男以下毎年参加者数が多い割には獲得タイトルは少ない(笑) いつもこの時期になると剣道の稽古を休んでまで相撲の稽古に行っているが、その成果は上がっているのか?
というか、ウチの子に相撲は向いてないのか?子供相撲の強弱の基本は体格。この点で既にウチの子はあまり有利であるとは言えない。背が高めだった志朗はちょっと細め、章祥は運動神経は良いものの身長は中くらいで身体はガリガリに近く、奨悟はふっくら気味でも身長は学年最小に近い。体格的に有利な条件は巧樹のみか。ただしこれは鈍重の気あり…マイナス要因しか見当たらない(笑)
例年、技の仕掛け方など何らかのアドヴァイスはしていたものの、それをこなせるほどのパワーもテクニックもなし。なので今年はほとんどノータッチ。なるようになれだ(笑)

今年は奨悟と巧樹が出場。小六の奨悟が相撲の大会に出るのはこれが最後になる。
場所が境内なので、例年蚊の空爆にあったり猛暑に閉口したり、と観る方もなかなかツライが、今年は風が蚊を吹き飛ばし、梅雨空の雲が日差しを遮って観やすかった。
でフタを開けてみれば、
巧樹は「僕は強い!」(まるでNHK大河ドラマ『武蔵』のB鹿の一つ覚え科白だ)の自己主張前評判通り奮戦。奨悟は華麗に空を舞った…のではなく、正確には小六で一番大きい子が一番小さい子を吹っ飛ばして土俵外まで飛んでいった(笑) これはこれで場内を沸かせたのでまぁいいか。
結果、奨悟は団体戦3位(小さい割によく頑張った!)、巧樹はなんと団体戦優勝、学年別個人戦でも優勝。
「お前が強い訳なかろう!お前はウソツキの王様だ!ほら吹きイナズマだ!」と練習の成果も知らず試合前から罵声を浴びせていた俺の立場やまるでなし。
金メダル一気に2つ一人で取って来たのは我が家では前代未聞(今後もない可能性が強い(笑))
章祥解説委員の分析曰く「昨年まではなかった足腰の粘り、内股気味だったクセが直り安定感が増し、課題のスピードも剣道で足捌きが身に付いた」とのことらしい。
勝てば官軍負ければ賊軍。帰って来ても得意げに喋り続ける二人(特に末っ子)。お前達が頑張って結果出してくれるなら俺はいつでも賊軍になってやるよ(笑)
2003.7.19(土) Sound Blaster!
(夜)[外食]ラーメン『天天ノ有』  (晩酌)びなの醤油煮

分かる人にはピンと来る、このサウンドボード。カセットテープを高音質で購入するために約1年半ほど前に購入。
我が家の腐りかけた年代物カセットの音源をいくたびデジタルの海に蘇らせたことか…その功績は大きい。
半年前の突然のHDDクラッシュによりその環境もオシャカに。そのままなんやかんやで再設定せぬままだったが、俺の内なるアナログ〜デジタル化の欲求は高まる一方、年代物カセットの腐食化も進行する一方で、久々に一念発起、よっしゃ!とばかりに再設置〜設定を…
全然認識しな〜い!(泣)
苦闘5時間、プロを公言する俺が指したり外したり接続を変えてみたり…全然ダメ。最新のドライバを入れてもダメ。つーか半年前まで製品添付のCDで十分認識してたやん。同じPCに同じボード、指せば命の泉湧く…じゃないがPlug&Playでスッスッと認識し、後はソフトをちょちょいのちょい、だったはず。半年の間にPCとボードの相性が悪くなってしまったのか、二人の気持ちはもう交わることはないのか、永遠の愛はあり得ないのか、ええいこしゃくな人間様じゃあるまいし機械は四の五の言わずにいつも同じ動作しやがれ!と悪態ついてみたものの、そもそも機械がいつも同じ動作するならしょっちゅうクライアントから電話かかってくる事も俺が保守契約でクライアント廻りすることもない(苦笑)
と言う訳で、我が家のカセット群はかなり危機に瀕してます。夏を乗り切れるのか?いや、既にこの梅雨でまた貴重なカセットがいくつも臨終してるんじゃないのか?俺が再度設定に挑む気力と時間的余裕が出てくるのはいつの日なのか…(泣)



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